第19話 看病します!
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
朝、メル子は黒乃の出社を見送った。
「お帰りなさいませ、ご主人様……まだ五分しか経っていませんが。忘れ物ですか?」
黒乃が青ざめた顔で立っていた。肩を落としフラフラしているように見える。
「家でた途端、急激に具合悪くなってきた……」
「まあ、大変です!」
なぜかメル子の目が輝いた。
メル子は布団を敷き黒乃を寝かせた。既に黒乃は発熱をしていて、呼吸も不規則になっているのがわかる。
「ううう……なんだろう、ゴホゴホ。昨日、仲見世通りをうろついたのが悪かったのかな」
「人ごみでウイルスに感染しましたかね」
「ううう、ここ数年で一番具合悪い……病院いかないとヤバいかも」
黒乃は相当苦しそうだ。この状態では病院にいって帰ってくるだけでも辛いだろう。
「ご主人様、ご安心ください。私が看病しますので!」
メル子は黒乃の手をしっかりと握りしめた。
「ありがとうメル子。でも手に触るとウイルスうつるかも。いやロボットだから平気か」
「ではまず、症状の検査を行いましょう」
「メル子、そんなことできるんだ」
「もちろんです。医療補助の資格を持っていますので」
メイドロボになるには『AI高校メイド科』を卒業する必要がある。その過程で医療補助士、介護士、調理師、保育士などの資格を取得できる。
「お熱を計りますね」
メル子は手を黒乃のおでこに当てた。
「39℃です。かなり高いですね」
「うわー、そんな熱子供の頃以来だよ」
「心音を見ます。ちょっと失礼します」
布団をまくりあげて、黒乃の胸に耳を当てた。
「聴きやすくて助かりますね」
「どういうこと!?」
「あーって言ってください」
「あー」
その後も脈拍や瞳孔、咽頭などを見ていった。
「では最後にウイルスの分析をします」
そういうとメル子は自分の人差し指を口に咥えてチュパチュパしだした。そしてチュポンと引き抜く。
「はい。この指を咥えてください」
「なんで!?」
「私の体内のナノマシンで、ご主人様の口の中のウイルスを捕まえて分析しますので、指を咥えてください」
つっこむ気力もないので、黒乃は大人しくメル子の指を咥えた。
「しばらくそのままでお願いします。ご主人様? 咥えるだけでいいのです。私の指をペロペロするのはやめてください」
「ほひふふ」
黒乃はメル子をじっと見つめたまま指をペロペロしている。
「こっちをじっと見ながら指をペロペロするのはやめてください!」
一通りの検査を終えた。後はこのデータを医療機関に送信すれば、医師が診断して薬を処方してくれる仕組みだ。
メル子はデータの送信を始めた。
「ピーヒョロロローピー」
「それなんの音? ゴホゴホ」
「データを送信している音です。ピロン」
「ん?」
「もう診断結果が返ってきましたね。さすが医療ロボのブラックジャッ栗太郎先生です」
「ふざけてる? ねぇ、その名前ふざけてるの? ゴホゴホ」
「落ち着いてください。浅草で一番の名医と名高い先生です。診断結果は……やはりウイルスでしたね」
火星三型という二十二世紀から流行り始めたウイルスだった。このウイルスに感染すると、高熱が続き死亡リスクが高いが、現在では特効薬が開発されている。
「処方箋も出ていますので、薬局でお薬を貰ってきますね」
「ううう、メル子〜、いかないで〜」
「いかないとお薬を貰えませんよ。すぐ帰ってきますから」
夜。
黒乃の症状は薬を飲んだことで比較的落ち着いてきた。解熱剤のおかげで熱は下がったものの、まだ起き上がれる状態ではない。
「明日には動けるようになるそうですが、その後完全にウイルスが消えるまで、三日間は自宅待機だそうです」
夕食を作りながらメル子は黒乃に言った。コリアンダーの独特な香りが鍋から漂ってくる。
「さあご主人様、アグアディートができましたよ」
アグアディートはペルーのお粥で、コリアンダーベースのスープに、米や鳥を入れてトロトロになるまで煮込んだものだ。
「メル子〜、なんかパクチーの匂いがする〜。私パクチーだめ〜」
メル子は布団の横に座り、黒乃の上体を起こした。
「大丈夫ですよ、ご主人様。コリアンダーしか入っていませんよ。ほら、あーん」
「あーん」
スープをすくい上げたレンゲをフーフーしてから黒乃の口へ運んだ。黒乃は恐る恐る食べた。
「どうですか? 美味しいですか?」
「うん、美味しい」
黒乃はやや活力を取り戻し、その後もアグアディートをすすっていった。
「ロボットはさ、風邪とかひかないの?」
「コンピュータウイルスのことですか? 政府がネットワークを完全に管理するようになってからはすっかり廃れましたね。ロボットがネットワークにアクセスするのも規制されていますし」
「へー、そうなんだ」
「今問題になっているのは、悪性ナノマシンの方ですね。誤動作や突然変異を起こしたナノマシンが、自己複製をしてロボットを蝕んでいくそうです」
「怖いよ〜」
「今の技術ではナノマシンを扱いきれていませんからね。ナノマシンを完全に制御できる理論を持った科学者の出現が待たれます」
黒乃はアグアディートを食べて落ち着いてきた。呼吸が安定してきている。このまま眠りそうだ。
「メル子はさ〜、私が死んだらどうするの〜?」
「なんの話ですか。ちゃんとお薬飲んだので死にませんよ」
「例えばの話だよ〜」
唐突な質問にメル子は数秒考えた。
「別のご主人様のところにいきますよ」
「え〜、いやだ〜。メル子が知らない人のところにいくのやだ〜」
「では、どうすればいいのですか」
「ずっと私だけのメイドでいて〜。他の人のところいかないで〜」
今にも黒乃は眠りそうだ。
「わかりました。私はずっとご主人様だけのメイドです」
「約束だよ〜」
「約束です」
安心したのか、黒乃は目を閉じて寝息を立て始めた。
メル子はしばらくの間そのまま横に座り、変化がないのを確認すると、自分の布団を敷いて寝る準備を始めた。




