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第100話 北海道です! その一

 夕食後のティータイム。カチャリと音を立てティーカップをソーサーに置いた。ふぅと息を洩らし目の前に座っているメイドロボを見た。


「ご主人様、どうかしましたか? 何かそわそわとしているようですが」


 ご主人様と呼ばれた長身白ティー黒髪おさげ丸メガネの女性は黒ノ木黒乃(くろのきくろの)。メイドロボのマスターである。


「ん〜? いや〜ちょっとメル子にご報告がありまして〜」


 メル子と呼ばれたメイドロボは自身が淹れた紅茶をクピクピと飲んで訝しげな顔を見せた。漫画のように整ったやや丸めの輪郭にキリリとした大きな目。フワリとした金髪のショートヘアが見目麗しい。その見た目と三つ葉柄の和風メイド服が和洋の美しさを引き合わせて一つにしているかのようだ。


「なんの報告でしょうか」

「実は来週から出張に行く事になってさ」

「出張ですか」


 メル子は目を閉じて紅茶をひと啜りした。


「どちらに行かれるのでしょう」

「北海道だよ。向こうにある会社をいくつか回る事になったんだ」

「北海道とはずいぶん遠いですね」

「まあね」


 メル子は明後日の方向を向きながら聞いた。


「期間はいかほどでしょうか」

「二週間ね」

「……結構長いですね」


 メル子はプルプルと震える手でティーカップを置いた。


「どしたのメル子?」

「何がですか?」

「様子がおかしいけど」

「どうもしませんよ。気をつけて出張に行ってきてくださいな」

「これはどうも」


 黒乃はカップをグイッと傾けて紅茶を飲み干した。


「留守の間の事なんだけどさ。プランターの世話はどうしようか」


 黒乃はボロアパートの駐車場に設置してあるプランター畑の事を言っている。毎日メル子が我が子のように大事に育てている野菜達だ。


「どうって、もちろん私がお世話をしますよ。留守の間の事はお任せください。でも二週間は長いですね……」


 メル子は上の空でティーカップをいじった。


「メ〜ル子、こっち見て」


 そう言われメル子は黒乃を見た。黒乃はなにやらニヤニヤとしている。


「メル子も一緒に北海道に行くんだよ」

「え?」


 メル子はポカンと口を大きく開けた。目を丸くして黒乃を見つめた。


「私も行けるのですか!?」

「そうだよ」

「お仕事なのにどうしてですか!?」

「北海道のペンションに宿泊するんだけど、そこのオーナー夫婦だけだと人手不足なんだって。だからペンションでメイドとして働くんだよ」

「ペンションでメイドさんのお仕事ができるのですか!?」


 メル子はガタンと音を立てて勢いよく立ち上がった。


「ご主人様!」

「ふふふ、嬉しいかい?」

「はい! だって、初めての旅行ですもの! 生まれて初めての!」


 メル子はテーブルを回り込んで黒乃の方へ走り寄ると黒乃の首に腕を回して抱きついた。


「やりました! 旅行です! 北海道です! わー!!!」

「おいおい、苦しいよ」


 メル子は黒乃の首を締め上げて大騒ぎを始めた。


「着替えはどうしましょう? メイド服は三着全部持っていきます。パンツもありったけ、でも向こうで洗濯もできるから。あと何かあった時の為にメンテナンスキットと、念の為ロボローションも持っていきます! そうだ! ロボパスポートを用意しないと!」

「北海道はパスポートいらないから」

「そうです! スキー板はどうしましょう。レンタルをするか買ってしまうか。ご主人様はスノーボード派でしょうか?」

「一応仕事だからね?」

「北海道では何を食べましょうか? 札幌ラーメンはマストとして、じゃがバター! 海鮮丼! チタタプ! カニ! エビ! ジンギスカン! チタタプ!」

「こらこら」

「わー!!! 考えがまとまりません! うわー!!!」


 メル子は床にダイブするとゴロゴロと転がりだした。


「どんなペンションなのですか!? 広いお部屋をお掃除できるのですか? ベッドメイクの技を見せて差し上げますよ! どんな食材を使えるのでしょう!?」

「メル子、落ち着いて。まるで子供だなあ」

「わー!!!」


 メル子は深夜まで騒ぎ通し、糸が切れた人形のようにバタンと倒れて眠ってしまった。



 ——出発当日の早朝。

 ボロアパートの前に二人は立っていた。


「さあメル子、忘れ物はないかい?」

「もちろんです! 昨日の晩は荷物を抱いて寝たので忘れようがないですよ!」


 黒乃の荷物は小さめのスーツケースだけだ。中身は白ティー五枚とジーンズ、パンツ、ブラ、靴下、ロボローション、爪切り、耳かき棒、ブラシ、防寒着一式。

 メル子は巨大なスーツケースとボストンバッグだ。中身は赤と青のメイド服一式、パンツ、ブラ、ロボローション、補修用ナノペースト、タオル、ブラシ、スリッパ、水筒、ティーバッグ、紙袋、ビニール袋、サングラス、折り畳み傘、防寒着一式。

 メル子は使い慣れた料理器具も持っていくと言い張ったが空港で厄介な事になるので止めた。メンテナンスキットはかさばり過ぎるので現地で用意する事にした。


「プランター畑はどうするんだっけ?」

「大家さん夫婦に水やりをお願いしました。あとルベールさんが時々見にきてくれるそうです」

「アン子に頼むんじゃダメだったの?」

「アン子さんは用事があるから無理だそうです」


 いよいよ出発である。荷物を持って浅草駅へと向かう。黒乃の荷物は小さいので何ら問題はないが、でかい荷物を運ぶメル子はしんどそうだ。


「メル子、大丈夫? 荷物持とうか?」

「何を言っていますか! ご主人様に荷物持ちをさせるメイドがどこにいますか。へっちゃらですよ!」


 メル子は汗だくになりながら浅草駅まで頑張った。電車に乗るとほっとひと息をついた。早朝なので座席に座ることができた。浅草から羽田空港までは一直線だ。


「ハァハァ。ご主人様、今のうちに飛行機のチケットをください」

「え? チケット?」

「そうですよ。まさか忘れてきていませんよね?」

「もちろんあるけど……渡すのは後でいいでしょ」

「そうですか。わかりました」


 

 ——東京国際空港。

 通称羽田空港。東京都大田区に存在する日本最大の空港である。

 二人は第一ターミナルを人に紛れて歩いている。浅草も外国人が多いが、空港はそれとは比較にならない程多い。


「ご主人様、空港って広くて綺麗ですねえ。私初めて来ました。もちろん飛行機に乗るのも初めてです! ご主人様は飛行機に乗った事はあるのですか?」

「もちろんあるさ。そんなに得意じゃないけど」

「ああ、楽しみです! 空からの景色はどんなでしょうか!」


 子供のようにはしゃぐメル子を黒乃は何故か青い顔で見ていた。

 ターミナルから滑走路が窺える。飛行機が発着している様子を間近で見ることができた。


「見てください! 飛行機が飛んで行きますよ! どうしてあんな大きな鉄の塊が飛ぶのでしょうか? 魔法ですか!?」

「ロボットのセリフとは思えんな」


 二人はカウンターでチェックインを済ませて荷物を預けた。機内には大きな荷物を持ち込むことはできない。

 次は保安検査だ。ここで身体検査や手荷物検査が行われる。金属探知機を潜るのもここだ。


「保安検査って何かドキドキしますね! ロボットだから金属探知機には絶対にひっかかりますし。ご主人様? その台車は何ですか?」


 黒乃はゴロゴロと大きめの台車を引いてきた。メル子はその台車をポカンと見つめた。


「ご主人様? これは何に使うのですか?」

「メル子……」


 そう言うと黒乃はメル子を強く抱きしめた。周囲でざわつきが起きる。


「ちょっ、ご主人様!? 何をしていますか? 空港でイチャイチャはまずいですよ! みんな見ています! ご主人様!?」


 すると黒乃はメル子の耳の中に人差し指を突っ込んだ。


「ぎゃあ! 何をしますか!? やめてくだ……」


 キュイーンという音と共にメル子は崩れ落ちた。黒乃がそれを支えて台車に寝かせた。メル子はピクリとも動かない。


「ふう……じゃあよろしくお願いします」


 メル子を乗せた台車をスタッフが引いてどこかへ連れていった。



 ——新千歳(しんちとせ)空港。

 北海道最大の空港で北海道の空の玄関口である。


「ふぁ〜、たった一時間のフライトだけどよく寝られたわ」


 黒乃は大あくびをしながら飛行機を降りた。再び台車を引いて手荷物受取所で荷物が出てくるのを待った。

 間もなくするとターンテーブルに乗って自分のスーツケースが出てくるのが見えた。それを回収するとメル子のスーツケースとボストンバックもすぐに出てきた。

 荷物は全て回収したが更に待った。


「あれ? 遅いな」


 一通りの他人の荷物が黒乃の前を通過していった。その後にメル子が体育座りの姿勢でターンテーブルの上を流れてきた。ピクリとも動かない。


「お、きたきた」


 メル子をターンテーブルから引きずり下ろすと荷物と一緒に台車に乗せた。台車をガラガラと押しながら到着ゲートから出た。

 ロビーの端までメル子を連れて行くと黒乃は突然TM NETWORKの『Get Wild』を熱唱し始めた。低めのヴォイスが新千歳空港に響いた。なんだなんだと利用客が集まってきたがそれには構わず最後まで熱唱した後、メル子の耳に指を差し込んだ。キュイーンという音と共にメル子が再起動を開始した。集まった利用客から拍手が起きた。


「……」

「メル子、大丈夫? 北海道着いたよ?」


 メル子は下を向いたまま動かない。


「……」

「メル子? おーい。空の旅はどうだった?」


 メル子は下を向いてプルプルと震えている。


「なんて事をしてくれたのですか……」

「え?」

「なんで飛行機に乗った記憶が無いのですか……」


 黒乃は指で頬をポリポリかいた。


「えーと、シャットダウンして貨物として輸送したからだね」

「何故そんな事を……」

「いやだって、メル子の移動費は経費として落ちないし、起動している間は貨物としては扱われないから。貨物室は料金爆安なんだよ」


 メル子は黒乃の白ティーをむんずと掴むと体を反転させ体落としを炸裂させた。黒乃は地面に仰向けに叩きつけられた。


「ぐええ!」


 すかさず腕を取り腕ひしぎ十字固めを決めた。


「いででででで! いでで!」


 腕をギリギリと捻りあげる。


「折れるぅうううううう! メル子ォオオオ!」


 メル子は目に涙を溜めて叫んだ。


「飛行機を! 楽しみにしていたのに! 起きたら空港! なにをしてくれたのですか! 人権! 人権があるのですよ! ロボットには人権が! 貨物ではないのです! わあああああああ!」

「イダダダダダ!」


 こうして波乱万丈の北海道編が始まったのであった。


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