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夏の花の声を聞かば

作者: 図科乃カズ


 軒下に如雨露じょうろを置き、開け広げた縁側に腰掛けて遠くに目をやる。

 草原くさはらには自由に伸びる草木、遠くに見える雑木林から蝉の声が聞こえる。仰ぎ見れば透明な青空に白い入道雲が天高くそびえ立つ。下を見れば伯母おばが大切に育てていた花畑に向日葵や桔梗、花車、時計草、それ以外に名も知らない花々が彩り豊かに咲き乱れている。


 太陽が天頂に差し掛かる炎天下で誰が好きこのんで水まきなどするだろうか。草花のことを考えれば真夏の水やりは朝夕が基本だ、そんなことは私も理解している。分かっていない伯母の為だけにこんな理不尽なことを続けているに過ぎない。


 うつむきながら自嘲するとふわりと舞った風が私の前髪を持ちあげた。

 慌てて髪を押さえると、その風は花畑へと引き返し向日葵たちの頭を撫でた。大きい輪、小さい輪、大小様々な花が同じ方向へ頭を下げる。


 花はいいわよ。あんたと違って素直だから。手間かけた分だけちゃんと答えてくれる――伯母の言葉が脳裏をかすめる。胸の奥がざわりとする。


 そこに引き戸が開く音と同時に家の奥から呼ぶ声が聞こえた。急いで玄関に向かうと伯母宛の宅配便だった。小型の段ボールには英語で取扱注意のシールが貼られていたが、海外から送られてきたせいか至る所が凹んでいた。


 縁側に戻った私は躊躇ためらうことなく荷物を開けた。

 中には英語で書かれた説明書のような1枚の紙と銀色の立方体の機械が入っていた。機械の方はつまみやメーター、伸縮式のアンテナが付いている。


 ラジオだろうかと思いながら紙を裏返ししてみると、1行だけ日本語があった。


 ――あなたはできます。草花の声を聞くことが――


 自動翻訳で作成されたにしても随分と要領を得ない文章だ。


 植物に限らずあらゆる生物には生体電位が生じていると聞いたことがある。最近ではウェアラブルコンピュータにその技術が応用され、生体電位を含む生体信号を取得して様々なサービスを提供している。この機械は植物の生体信号を受信して音に変換するということなのだろうか。さしずめ、植物の声を受信できるラジオ、といったところか。


 私は花畑で揺らめく花々を見ながら、伯母は疑うことなく信じたのだろうと思った。

 花の声が聞こえればみんな私が正しいって言うに決まってる、とよく口にしていたのだから。お前は妹と同じで嫌になるとすぐ逃げ出そうとするね、ともよく言われた。


 そんな悪態をつくほど憎いのであればどうして私をこの家に迎え入れたのか。

 答えは分かっている。伯母は独身、親族は妹である母しかいない。この家とそれに付随する土地をいずれ誰かに継承しなければならない。この家を守ることが感情よりも優先されたのだ。


 流れる雲が真上を通りこの家に影を落とす。この光景を見るのは何年目だろうか。

 目で追うと黒い影はぬるりと花畑を飲み込む。緑を無くし、急に静かになる草木たち。


 あ――思わず私が声に出してしまったのは、いるはずのない伯母が花畑に水をやっている姿を見たからだ。その幻は陽光が影を追い払うにつれ空気に溶けるように消えた。


 伯母は一生この家に縛られたままだと諦めていたのかもしれない。だから大学進学と共にこの家を出た母を憎悪の対象にするしか心の均衡を保つ方法がなかったのだろう。


 それに対して母は奔放な人だった。就職先は大学より更に遠方を選び、そこで父と知り合い結婚した。

 私が生まれてからようやく伯母に連絡したようで、それが伯母の憎悪をますます成長させることとなった。私は母と同じだと罵るときは伯母は必ずこの話をした。


 たまには父さんと夫婦水入らずで旅行させてね――それが最後の会話となり、母も父も帰らなかった。

 旅先での交通事故、地方紙に小さく記事が載った。


 たったひとりの血縁者の言葉を拒否する力は当時未成年の私にはなかった。母が生きていたとしてもいずれ後継問題は私に回ってきた筈だ。それを母の死を口実に私を引き取り逃げられないようにしたのだ。


 ()()()()()()()()()()()()、でしょ。そんなことも言えないなんてさすが妹の子だね――この家に入ると決めた時、伯母に言われた最初の言葉。虫を見るようなさげすんだ目は今でも忘れない。


 どうして憎い妹の子である私にこだわったのだろう。

 ただ大きいだけの、朽ちたこの古家の周りに隣家はない。花畑から草原くさはら、その先の雑木林や山々、見える限りの全てがこの朽ちた家の所有物だ。


 もしかすると伯母も所有物のひとつだったのかもしれない、と心をよぎったが即座に首を振った。


 私はいつの間にか前髪の中に指を入れていた。指先に触れる皮膚の盛り上がった感触。私の額の右側には赤いあざがある。母も同じ所にあざがあったが、小さくて目立たない。言われて初めて気づく程度だ。


 小さい頃、このあざの事で泣いていると、母は自分も同じ場所にあるからお揃いだねと言って慰めてくれた。それ以来、このあざは母との愛情の証、母との繋がりとなった。


 それから数年して前髪を伸ばすようになったのは、周囲の人間がこのあざを見るたびに驚いて硬直するのに気づいたからだ。大切なものは隠しておけばいい。


 花畑の草花と戯れていた風が縁側に座る私に近づきひゅんと表面を撫でた。長く伸びた前髪が横に揺れ、額のあざあらわになる。


 刹那、あの時の記憶がよみがえった。


 それは幾度目の言い争いの時だったか。勿忘草わすれなぐさの小さな青い花が花畑にひっそりと咲いていた頃だったか。


 いつもの嫌味を無視していると伯母は急に私の腕を掴んだ。中年女性とは思えない力強さに驚た私は前髪を必死に押さえながら大声を出して抵抗した。春暖を迎え入れようと開け放たれた縁側で叫んでも、この朽ちた家の中でそれを聞く者など誰もいない。


 伯母が長く伸びた前髪を乱暴にくと額が剥き出しなる。

 あんたがこそこそ隠してたそれ――ねっとりとした伯母の嫌らしい声。

 道化師のように顔を歪めながら、母との絆であるあざを見てあざけった。


「妹の顔に刻まれてるみたい。醜くていい気味」


 ことん、と膝の上から銀色の機械がすべり落ちた。

 意識を戻すと目の前には先ほどと同じ青い空と白い雲、緑の草原くさはらが陽光に照らされ輝いていた。

 伯母はこのラジオで草花の声を拾って私に聞かせたかったのかもしれない。時が止まったこの朽ちた家で、たったひとりで居た伯母の人生は間違いではなかった、と。

 しかし、これを使うべき本来の所有者はもういない。


 サンダルに足を通すと、ラジオをいじりながら花畑へと近づく。

 私が近づくのに気づいたのか風に揺られて草花がお辞儀をする。伯母だと勘違いしているのか。そんなことは決してないのだが。


 私はゆっくりとつまみを回す。それに合わせてノイズ音は高音から低音へと変化していく。

 本当に聞こえるのであれば教えて欲しいものだ、あの人がいまどんな気持ちでいるのかを。


 草花の根は地中深く張り巡らされ、あの人のところまで届いていることだろう。


「伯母さん、この家は私が継ぐから安心して」


 私は、狂い咲く花々に向けてアンテナを伸ばした。



     了


ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。

短いホラーですが、少しでも冷やっとしていただけ

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[一言] 人怖の方だった!
[良い点] 倒叙ミステリーのようで、だんだんと決定的な結末に収束していく様が良かったです。 [気になる点] 素直に?読むと主人公の性別は女性のように読めるのですが、本文には明記されていないところが読者…
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