4.領主一家の呪い:その4
サイは異界の中にいた。ヨハンに案内されたエレーナの部屋の中は瘴気で満たされ自分の指先すら見えない。
「エレーナさん、俺と話をしませんか?」
「■■■■!■■■■■■■■!」
そんな視界すら不確かな中、サイは歩みを止めない。むしろ、進んだ所から瘴気が薄れているようだった。
そんな、サイを近付けまいとするように瘴気は濃くなり手を伸ばす。
「クッ…」
歯を食いしばり侵食しようとする瘴気を払うように、手を顔の前にかざす。
チッ!
苛ついたように瘴気の触手が鋭く伸び、サイの頬を掠めると赤く血がにじむ。だが、触手はまるで傷付けた事を後悔する様におずおずと戻って行く。
「見つけましたよ。手を握りますね」
「■■■■!」
『来ないで!』
サイの頭の中に、直接生の感情が流れ込んで来る。その頭の痛みにサイは顔をしかめるが、手は離さない。
「■■■■■■■■■■!」
『あなたも私を辱めるの!』
「いいえ、貴方を助けるために来ました」
「■■■■■■■■■■!」
『私は穢されてしまった!』
「だけど、貴方の魂は救いを求めている。そうでしょう?」
「■■!■■■■■■■■■!■■■■■■■■■■■■!」
『憎い!私を穢した男が憎い!私はそのために戻ってきた!』
「分かります。だけどその男の家族は関係ない」
「■■■■■!■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
『だけど憎い!私だけが穢され、あの男の家族は何も知らずに生きている!』
「そうですね。だけど貴方の憎しみは何処かで終わりにしないと全てを憎んでしまうようになってしまいますよ」
「■■!■■!■■■■■!」
『憎い!憎い!全てが憎い!』
エレーナからは瘴気が滲みだすが、サイの存在を避けるように徐々に薄れていき、その姿を明らかにしていく。
四肢が捻じれ、全身が黒く染まった異形の姿。もはやエレーナは人の姿をしていなかった。
「その憎しみで、貴方を愛した人や貴方が愛した人も呪いますか?」
「■■■■■■■■■■■■■■!■■■■■!」
『助けてくれなかった家族が憎い!恋人が憎い!』
「でも、本当は憎みたくは無かったのしょう」
「■■■、■■■■■■■。■■■■■■■■■■■」
『父さん、母さんを愛していた。フレドリクを愛していた』
「まだ、今なら貴方が全てを憎む者になる前に止めてあげられます。俺に貴方を留めさせて下さい」
「■■■■!■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
『もう遅い!私は全てを憎む存在になってしまった!』
「いいえ、俺を信じてください。シュリエルス、居るんだろう」
『御身の後に』
サイの背後に現れた存在に、エレーナが身を硬くする気配が握った手から伝わる。
「恐れないでください。俺が大精霊に頼んで貴方を平穏の野に送ります。受け入れてもらえますか」
「■■■■■■■■■■■■■■■■?」
『私の心は人間のまま逝けるのですか?』
「そのために俺は来ました」
「…■■■■■■。■■■■■■■■■■」
『…助けて下さい。これ以上憎みたくない』
「目を瞑っていてください」
「■■…」
『はい…』
「シュリエルス…送ってもらえるかい」
『御心のままに』
突如、光の柱が天に向かって登る。村を覆っていた暗雲を払い、空にぽっかりと穴をあける。さらに幾条もの光の柱は天に登り、辺りを煌々と照らす。
いつしかサイの体からは白い光が溢れだす。
「…■■」
『…怖い』
「恐れないでください」
サイはゆっくりとエレーナを包むこむように抱きしめる。
やがて天を突く光の柱は消え失せ、エレーナの姿も無くなっていた。後には拳ほどの澄んだ魔石が残されている。
「エレーナさんだ。シュリエルス、頼んだよ」
『御意』
シュリエルスが魔石を恭しく受け取ると、その姿を消す。
サイから溢れていた光も消え去っている。
「終わりましたよ」
サイはエレーナの部屋から出ると、部屋の前にいたヨハンに声をかける。
「エレーナは…」
ヨハンは沈痛な面持ちでサイに確認する
「残念ながら…人として助ける事はできませんでした。おそらく、この家に帰ってきた時に既に…」
「そうか…」
ガシャン!
カップがサイ投げつけられ、額から一筋の血が流れる。
「人殺し!あんたは私達の娘を殺したんだ!」
「よせ!ハンナ」
「いいや、言わせてもらうよ!どんな姿をしていようが、エレーナは私達の娘だった。それをあんたが殺したんだ!」
「…」
暴れるハンナをヨハンが押しとどめる。サイは何も言えずに家を出て行った。
いつも間にか夜は明けていた。青空に天気雨が降っている。
サイは無力感に項垂れながら村の広場を歩いている。
「その様子じゃ、また憎まれたようやなぁ」
「ニーナか…」
「んで?呪いの原因が分かったんかいな?」
「ああ」
「凄い光やったが、解決したんやな?」
「そうだ」
「ほな、しゃっきりしいな。あんたは人を救ったんやろ!それとも救えんかったか?」
「救った…はずだ…」
「せやろ、なら胸を張りなぁ。救われたモンが心配するやんか」
「そう…だな」
「せや、あんたは救われたモンもために前を向いて歩かなあかん」
「分かったよ。ありがとう」
「あんたに礼なんて言われると気味が悪いわ!原因は…教えてくれへんのやろね」
「教えられない」
「まあ、依頼人ものうなったことや。気にしてもしゃあないか」
「依頼人が亡くなったって?」
「せや、領主の息子も奥方様もみーんな死んでもうたよ」
「じゃあ、報酬は」
「無理やろうね」
ニーナが両手を広げる。その指の間には親指ほどの魔石が挟まっている。全部で8個の魔石を手にしてニンマリしている。
「ここに来るまでの道々、光の柱に浄化されとった魔物から魔石を拾っとったんよ。今回の返済はこんだけにしといてやるわ。そうや、あんたの取り分忘れる所やった」
サイの掌に爪の先ほどの魔石を5粒程落とす。
「あんたにしては良うやったんとちゃうん?」
「ちゃっかりしてやがるな。あれだけ苦労して俺にはこれか」
「調子が出てきたやんか。その調子でこれからも、あんじょう気張りや」
いつの間にか天気雨も上がっていた。
「ほな、あたしは先に行っとるわ」
サイは明るさを取り戻した村を見て回る。昨日の翳りが嘘のように晴れ、麦畑は黄金の海を取り戻している。人々も日常に戻っていた。
「貴方は…」
サイは不意に呼び止められる。フレドリクが立っている。
「昨日、森で何があったのか教えてもらえますか」
「いえ、私には何も分かりませんでした」
「そうですか…」
エレーナのためにもフレドリクには隠しておいた方が幸せだろう。そう思い、サイは何も言わなかった。
活気を取り戻した村を見て、サイは人間の強さを強さを感じる。
(昨日はあんなに不安そうだったのに)
だが、これで良いのだろう。厄災が過ぎ去ればいつもの日常に戻る。その強さがあるから生きていける。
エレーナが全てを憎んで、両親も恋人も村のみんなも滅ぼしてしまったら彼女自身が自分を許せなかっただろう。それでは自縄自縛だ。そうなる前に止めることが出来て良かった。
サイは心の整理をつけて村を立ち去ることにした。
森への道の手前にはヨハンの家がある。サイは努めて平静に前を歩き去る。
その姿にヨハンとハンナの夫妻は頭を下げていた。
読んでいただきまして、ありがとうございました。
今回の作品は次回作の序章になります。前作と作風を変えてみましたがいかがでしょうか?
現在、続きを書いております。早ければ10月中旬過ぎには投稿したいと考えです。
お待ちいただければさいわいです