再会と手料理
「よーぅ、オト! 元気しとったか? ほれほれ、愛しの愛しのお師匠さんやでー!」
「お帰りください」
ウザい。
その一言で言い表すほかないテンションで僕らの家を訪ねてきたのは他でもない僕の師匠、囚我廃人だった。その隣には仁王君も居たけど、僕は師匠のあまりのウザさに玄関を閉じた。ついでに鍵も閉めた。
「ええええ? 酷くない? なんでそんな冷たい反応するん? オトをそんな子に育てた記憶はあれへんよ!」
「ええ、師匠を反面教師に育ってるんですから当たり前ですよね!」
扉を隔てたまま大声でのやりとり。「うるせーぞ!」と怒鳴る小坂君の声が聞こえてきたけど気にしない。僕は今傍迷惑な師匠を帰すことに全力を注ぐんだ。
「まあまあ、音無君。そんな酷いことしないで入れてあげなよ。せっかく来てくれたんだろう?」
「ぐ、ぐぬぬ……わかりました。猫さんがそう言うのなら……」
惚れた弱みというかなんと言うか。猫さんがにっこり微笑みながら優しく諭すように言ってくると、僕は渋々玄関を開けざるを得ない。人の心を読んで、本当はこうしたいということを的確に言ってくるから尚更だ。好きじゃなきゃ本当にタチが悪いと思っていたところだと思う。好きだからいいんだけど。
「いやー、優しいねーちゃんがいてよかったわ。あ、これ土産な。ほんじゃ、遠慮なくあがんで」
玄関を開けると師匠はカラカラと笑いながら僕に何かの箱を押しつけてズカズカと上がっていった。うん、こういうところが本当に僕の師匠だ。
後から追いかけてリビングに行けば、ちゃっかりソファーに座って猫さんにお茶を出してもらっていた。ちなみに仁王君はその隣にちょこんと座っている。
「で、今日は何の用で?」
「何、用があらへんと来ちゃ行けへんのか? かーッ、ほんまに冷たいやつや。可愛い可愛い弟子の顔を見に来ちゃあかんのか。あ、そうや。せっかくやからねーちゃんの手料理が食べたいなぁ」
「は?」
そう言ってウィンクをしてくる師匠。殴りたい。いや、そうじゃなくて。
そうじゃなくて!
「ん? 僕の手料理かい? 構わないよ」
ああああ!
ちょっと照れながら頷く猫さんは今日も見目麗しいんだけど状況がよろしくない! なんてことを言いやがるんだこのポンコツ師匠は!
「い、いや、猫さん! こんな師匠の言うことなんて間に受けなくていいですから! こんな人さっさとお茶漬けでも食わせて帰らせればいいんですから!」
「そないなこと言わんでもええやろ。ほら、ちょうど昼時やし」
「師匠は黙っててください!」
「僕は大丈夫だよ、音無君。気にしないで」
あーッ!!
もうダメだ……ニコニコしながら猫さんが台所に入ってしまった……僕は、無力だ……。何故今日に限って雪乃さんも気流子さんも居ないんだろう。せめて暁さんだけでも居てくれればよかったのに! よかったのに!
仁王君は……畜生! いつのまにか逃げている。小坂君のところだろうな。十中八九小坂君のところに逃げたんだろうなぁ!
「あ、なにかリクエストはあるかい?」
絶望する僕をよそに猫さんはひょっこりと台所から顔を出してそんなことを聞いてくる。そして馬鹿な師匠が元気よく「オムライスが食べたーい!」などと答えやがった。なに勝手にリクエストしてやがるんだ。せめてこう、調理の過程がものすごく簡単で、なんなら火を使わないとかアレンジのしようのないものにしてくれればよかったのに! オムライスなんて最悪だ。米を炊いて、具材を切って、チキンライスを作って、更には卵を焼いてソースをかける。こんなに工程が沢山あったらアレンジのし放題じゃないか! せめて食材が選べない料理にしてくれたらよかったのに!
こうなったら仕方ない。僕にできることは、いかに自分の分を師匠に押し付けて自分の被害を減らすか、だ。
猫さんは壊滅的に料理ができない。
それを知ったのはいつのことだっただろうか。知る機会はいくらでもあったけど、何度も雪乃さんと気流子さんがそれを阻止してきてくれたので随分と後のことになった気がするし、一回だけで済んだと思う。その時はカレーを作ってもらったので本当に地獄という地獄をみたのだけど。まさか、誰でも美味しく作れるはずのカレーをあそこまで不味く、ダメージを大きく作れるとは思いもしなかった。
その悲しい出来事があって以来、僕たちの中で猫さんに料理をさせてはいけないという暗黙のルールが出来た。それなのに、それなのに! この馬鹿は!
悔やんでいても仕方ない。師匠は何も知らないのだ。知らないことには身を持って知ってもらうしかない。
「ね、猫さーん。あの……」
自分の被害を減らすために、僕は師匠そっちのけで台所を覗く。台所ではルンルン気分でエプロンをつけながら返り血で真っ赤に染まりながらノコギリを握る猫さんがいた。まな板と思わしき場所には赤黒い物体が無残にも切り刻まれた状態で鎮座している。コンロではグツグツと沸騰する緑色の何かがあった。うん、僕はもう何も突っ込まないぞ!
「ん? どうしたんだい?」
「えっとですね、仁王君が多分小坂君に会いにいってしまいまして。他の皆さんも帰ってくるかどうかわからないので……」
「そっか。じゃあ二人分だけ作るようにするよ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ここでしれっと僕の分も無しにしてもらいたかったけどそうはいかなかった。そうだよな、そうだよなぁ。多分猫さんの中で師匠と水入らずのランチを楽しんでもらう的な構想が浮かんでるはずだ。そこに気が回るなら、自分の料理について察するとかそういう能力が備わっていて欲しかった。なんで読心術があるのに自分の料理下手を自覚してないんだろう……不思議だ。
どういうわけか猫さんの調理スピードは恐ろしく速い。猫さんが使える氷魔法と雷魔法をフルに生かして作るからなんだろうな。雷を撃ち込めば一瞬で食材を焼くとかできるんだと思う。多分。
モタモタしていられない。僕も早く次の一手を打たなければ。
「あー……師匠? 変なことを聞きますけど、師匠はまだ“組織”の跡地にいるんですよね?」
「ん? ああ、勿論」
「そこには狂偽兄さんも?」
僕の兄さん。嘘誠院狂偽。戦いが終わって、狂偽兄さんが神様になったあとも僕はまだ一度も顔を合わせていない。許すとか許さないとかそういうのは置いといて、どういう顔で会えばいいのか分からないのだ。きっかけも分からないし、会ったとして僕が何をしでかしてしまうのか分からない。何をされるかも分からない。分からないことが多くて……怖いのだ。
「ああ、勿論おるよ。でも呼び出したらすぐに来るで。オトの呼びかけなら尚更、な。なんなら今呼び出すか?」
「……はい。お願いします」
だけど今日、僕はほんの少しの勇気を振り絞って狂偽兄さんに会ってみることにする。向こうに行くよりもこっちに呼び出す方がみんなも居るし安心だろう。他力本願ではあるけど、いざというときは存分に頼らせてもらうつもりだ。
……まあ、呼び出す理由は猫さんの手料理を僕の代わりに食べてもらうからなんだけど。
自分でも本当にどうかと思う。こんな一大イベントをこんな理由で起こすべきではない。分かってる。分かってるんだけど、僕はどうしても猫さんの手料理から逃れたい!
あのとき、いろんなことがあった。一度はみんな殺されてしまった。狂偽兄さんのせいで苦しい思いも悲しい思いも沢山した。
だからそう、これはほんの少しの仕返しだ。恨みを晴らすとかそういうわけではないけど、やられっぱなしというのもシャクだから、ってやつだ。可愛い悪戯だと思って欲しい。うん、よし。
深呼吸をして背筋を伸ばす。
師匠が呼び掛けると、師匠の隣に魔法陣が現れて白い光を放った。そして、それは人の形になり段々と狂偽兄さんが姿を表す。
「……久しぶり」
吸った息を吐き出すように絞った声は少し震えてしまった。僕は今、どんな表情を浮かべているんだろう。
「久しぶり、音無」
姿を現した狂偽兄さんは柔らかく微笑んでいた。その目にはうっすら光るものが見えたような気がした。
ぎこちなくなってしまうかもしれないけど、僕もなるべく笑顔を浮かべるよう努力をする。喧嘩をする気はない。師匠が少しだけ身構えているけど、穏やかな狂偽兄さんの表情を見ていると大丈夫そうな気がした。
なんてことはない、時間は掛かったけど再会なんてあっさりしたものだ。
そして僕は心の中でそっと呟く。
さあ、猫さんの手料理食べてもらいますよ。