情報の取捨選択
情報を取捨選択するために。
必要なのは、背景、事実、記者の意見を区別して理解すること。
これが、私の意見です。
みなさん、自分できちんと判断できるようになりましょう。
考えるな!感じろ!
が通用したのはいつの時代であろうか?
情報過多のこの時代、考えないといけないことばかりである。
ある記事を見て、賛成だと言うのも簡単だし、反対と言うのも簡単である。また、別々の記事が反対の意見を書いていたら、あの記事ではこうだから、この記事はわかってない。とコメントする。それも、簡単です。
これらのことは、誰でもできます。内容を理解しなくてもいいのですから。
情報過多の時代だからこそ、きちんと情報を取捨選択して、自分の頭の中で整理することが大切である。特に私が思うのは、記事を読んだ際に、『背景』と『事実』と『記者の意見』を分けて理解することの大切さである。
『事実』かどうなのか怪しいものもあるが、実際に起こったことは、情報が捏造されてない限りは『事実』であろう。大抵の場合は大量の情報の中から一部分だけ見せて、そこから言えることだけを記事にして、あたかも真実のように見せるのが常套手段であろう。見せられた情報は、『事実』の一部分であるという前提で理解することも大事である。
字数制限のある記事に全部のデータを載せるのは不可能なので、それを理由に、限られた情報から、記者にとって都合のいい解釈と書きやすい意見を加えて、正当性のあるように記事にする。データからかけ離れた結論を書く記事はないとは思うが、『記者の意見』があたかも普遍の事実のように書く記事も見られる。
『背景』の理解は事実を『事実』として理解し、『記者の意見』を客観的な意見として判断する際の基準となる。背景こそ、どこまでが信用できた事実であって、どこからがただの他人の意見なのか、判断して自分の中に理解しておく必要がある。
科学に関する話題は、科学的根拠や判断基準がシンプルでわかりやすいので、背景理解が比較的簡単なのに対して、政治や経済の話は、背景を理解することが本当に難しいと感じる。
ネット環境があれば、どこからでも情報は手に入るので、今の時代、背景を勉強しようと思えばいくらでもできる。もちろん、ネットの情報が全て正しいとは言えない。また、権力もしくは権威がある人の意見が正しいわけでもない。多数決の意見が正しいわけでもない。
注意深く勉強したい。そして、注意深く考えたい。
もちろん、私の意見が正しいわけでもない。大切なのは個々人がきちんと勉強して、自分で判断することである。
他人のせいにしても、自分にとって利益はないですよ。
一方で、自分が理解したことを人に対して攻撃的に使うことには賛成できない。
理解してない人に対してマウントを取るために何かを理解しようとしているのではない。自分の意見は、自分の正義である。自分の正義と他人の正義がぶつかれば争いになる。
正義は胸に秘めておくくらいがちょうどいい。らしいですよ。
読んでいただきありがとうございます。
一つの意見として参考にしていただければ幸いです。




