メイスの過去①
ス……。ねえ……イス…………。……メイスってば。
重い瞼を開けると、耳の長い少女がそばに座り、黒田を揺さぶっていた。
「あっ、やっと起きたぁ」
「イリー、俺の名前はメイセイだ。いい加減覚えろよな」
「ええぇ。だって言いづらいじゃない、それ」
イリーことイリス・クリシュナは、もごもごと口を動かして、メイ、セイ、メイ、セイ、とぎこちなく発音を繰り返す。
世界樹の木漏れ日が彼女の金髪を明るく照らすのをまぶしく思いながら、黒田はゆっくりと身体を起こした。
「で、用はなんだ?」
「あっ! そうだった! ママがね、もうすぐお昼の準備ができるから、メイスを呼んできてって」
「ああ、もうそんな時間か。すぐ行くから、お前は先に行っててくれ」
「やだ、私、メイスと一緒に行く!」
「いや、だからな……」
言いかけたが、イリーがぷくーっと頬を膨らませるのを見て、あきらめた。
黒田は、イリ―のママの子供ではない。当然、イリーとも血は繋がっていない。
黒田は、三年前に、最強職の一つである魔術詠唱師として、カルム王国という異世界の人間の国に召喚された。しかし、当時の黒田は十二歳と若く、身体は痩せ細り、弱々しい風体をしていた。カルム王国はこの召喚を失敗と断定し、黒田を王都から追放した。
王都の外は、黒田のいた世界で言うところの不良や害獣が跋扈していた。森林では常に死角から害獣に襲われる危険があり、逆に砂漠では身を隠す場所がなく、盗賊団の格好の餌食だった。
雨風をしのぐ屋根すら見当たらず、天候が悪い日は雨でずぶぬれになり、晴れの日は焼けつくような暑さに苛まれた。
それでも、最強職として召喚された黒田は、召喚の際に、並々ならぬ魔力を付与されていた。不良や害獣に襲われたときには大量の魔力を放出して相手を吹っ飛ばし、後はひたすら逃げた。雨の日には、手や洋服で雨水を溜めてすすった。晴れの日には森林に入って食べられそうな木の実や小動物を必死になって探した。
しかし、十日目には限界が来た。雨が降りしきる中、黒田は木に背をもたれさせ、その時が来るのを待っていた。
薄れゆく意識の中で、黒田はドスッドスッという足音が近づいてくるのを聞いた。
それはイリーのパパの乗る獣の足音だった。
イリーのパパに助けられた黒田は、それ以来、このクリシュナ家に厄介になっているのだった。