酒処グレゴリ
「ここはD地区、人間の居住区だにゃ」
「人間はこの地区にしか住めないのか?」
「身分が高ければ別の地区にあるそれなりの家には住めるにゃ。まあ数は限られてはいるんだけどにゃ」
「ここって、人間の国じゃなかったのか?」
「人間の国にゃ。今は魔族の植民地になっているんだけどにゃ」
クレアは小さく肩を落とした。
「ここ、カルム王国は三年前に魔族の襲撃を受けて植民地化されたにゃ。面目は、人間が魔族の庇護下に入ったことになっているんにゃけど、実際は人間が魔族にこき使われているだけにゃ」
「カルム王国だって?」
黒田を異世界に召喚しておいて見殺しにしようとした、あの人非人の王国だ。そういえば、さっき見た衛兵の服装も黒田の記憶の中で見たものに似ていた。
「そういえば渉は大賢者メイス様の魔力を受け継いでいるんだったにゃね。ここはメイス様に所縁のある王国でもあるんにゃ」
「知ってるぞ、黒田……メイスを捨てた国だろ」
俺は吐き捨てるようにして言った。
「はにゃ?」
クレアは不思議そうに少し首をひねった。
「ミャーはメイス様が最後の半生を過ごしたことを言ってるんだにゃ」
半生を過ごした、だと!?
「それって、いつ頃のことなんだ?」
「もう、かれこれ二百年ほど前になりますかにゃ」
俺は耳を疑った。二百年前!
「つまりここは、黒田が死んでから二百年近く経った世界……」
俺は黒田のことを結構身近に感じていたから、その分二百年という時の隔たりは大きなものに感じた。
黒田は俺のずっと前に、異世界に召喚されていたのか。
「さあ着いたにゃ」
荷車は一軒の酒場の前で止まった。看板には、『酒処 グレゴリ』という意味ののたくった文字が殴り書きされている。
「おいクレア、俺はまだ未成年だから酒は飲めねえぞ。たとえ飲めたとしても、昼間から酒引っ掛けるのはどうかと……」
「いいからついてくるにゃ」
荷車から降りたクレアは、ずんずんと酒場に入っていく。常連のような確固とした足取りだ。
俺は慌ててクレアのあとを追いかけた。