メイスの過去⑫
立ち上がろうとする黒田の右肩をごつい手が掴んだ。
「おい、意識はあるか」
見ると、長身で筋骨隆々の男が黒田の傍に立っていた。右手には大剣を持ち、顎には無精ひげが生え、自慢の長耳はぴんと立っている。
ガリウスだった。
黒田は、先ほど黒田を吹っ飛ばしたのはガリウスだったのだと悟った。
あの場にとどまっていれば、俺は死んでいた。
感謝の意を告げようとガリウスを見上げて、黒田は絶句した。
ガリウスは深手を負っていた。全身生傷だらけで、左目は深く切られていた。
「ガリウス……あんた……」
「俺のことは気にすんな。それよりも早くここから逃げろ」
「そんなの、できるわけねーだろ!」
満身創痍のガリウスをここに置いていくのは、見殺しにするに等しい。
「あれをお前が相手にするには早すぎる。お前はさっさと逃げやがれ」
ガリウスは頑として引かない。こうなると、黒田が何を言っても聞かないことはよく知っている。
「くそっ、俺は役立たずだってのかよ」
悪態をつく黒田の頭を、ガリウスが左手で鷲掴みにする。
「違う。お前は強い。だが、お前はまだまだ強くなる。だから、こんな場所で命を散らしちゃいけねえ。生きて、守ってやれ。あいつを」
予想外の言葉に黒田は戸惑った。それは、死を覚悟した者が口にするセリフだ。
「おっと、無駄話してるうちに奴さんも来なすったぜ。ほら、行った行った」
ガリウスが黒田の背中を押す。
黒田は、まだ決心できずにいた。
ここにいなければならないという義務感と、今さらやってきた死の恐怖と、先ほどのガリウスの言葉が黒田の頭の中で渦巻いていた。
ただ、黒田の直感は、今すぐ逃げろと言っていた。
敵は、あのガリウスに死を覚悟させるほどの実力を持っていることは確実だ。それに、あの攻撃はなんだ。魔術なのか、それ以外の異能の力なのか、全く見当がつかない。そんな攻撃の正体の分からない敵に真っ向からぶつかるなど、自殺行為も甚だしい。
俺の直感は正しい。従うべきだと思った。
直感に従った上で、ガリウスも助ける方法。それは、もう一つしかなかった。
「逃げるぞ、ガリウス!」
「はぁ?」
「だから、一緒に逃げようって言ってんだ」
黒田はガリウスに懇願する。
しかし、ガリウスの目はまっすぐ前を見据えたままだった。
「メイス、それはできねえ。もう他の仲間はみんな奴にやられちまった。女子供も奴らの手の内にある。俺にはもう、逃げ場がねえのさ」
それに、とガリウスは続ける。
「お前はこの村の者じゃない。お前は俺とは違って、この村の因果に縛られる必要はねえんだ。だから、頼む。この村からイリスと逃げて、イリスを幸せにしてやってくれ」
それが最後の望みだと言わんばかりにガリウスは黒田に頭を下げた。