リーダーとの会話8
「ところで、ナツメさんはパンドラの箱の話をご存知ですか」
「知っています」
「今の状況はパンドラの箱が開いた後の世界です」
「災いの種が放たれてしまった後の世界ですね」
「しかしそんな世界でも生きなければいけない、そう思い込んでいませんか。
避難せずに葛葉に留まってこのまま死んでいくのもいいでしょう。端末があっても生命値が下がるのは止められませんが、痛みや苦しさは抑えられます。
過度な不安も端末の沈静信号で抑えられ、穏やかに命を終らせることができます。そう選択する人がいても責めることはできません。
安らかに死ねるということは最後の希望だからです。しかし……」
「避難しろと言いたいのですね」
「あなたはどう思っているのですか」
「あなたもコミューンで育ったのなら分かるでしょう。葛葉では皆残って安らかに死ぬことを選ぶでしょう。
コミューンでは良くも悪くも流れに逆らわない生き方が好まれます。死をいたずらに怖がってはいけない。私達は子供の頃から繰り返しそう教わって育ちます。
あなたが言うとおり、もしコミューンから避難したら端末は電源が落ちてしまうでしょう。痛みを抑えたり、不安を和らげる機能も停止してしまい、不安や体の不調をまともに受け止めることになります。
今なら安らかに死ねます。生き延びればきっと苦しんで死ぬことになるでしょう。
避難し生きると決めたら、強い向かい風が吹くのです。それでも生きなければいけないと言いたいのでしょうか」
「時に苦境は人を自由にしてくれます。
平穏で幸せな生活は確かに居心地良いでしょう。しかしそれは同時に居心地の良さに縛られているということです。
満たされていたら、あえて何か探し求める必要はありません。
しかしもしもこの悲惨な世界で、生きることに決めたとしたら自分にとっての希望、自分が生まれてきた理由、死ぬまでになすべきこと、何かを探さなければいけません」
「避難してもその先に何か意味があるように思えません」
「では逆にあなたはこのまま人生を終えても平気なのですか。
そもそもなぜあなたは人が嫌いでもないのに、中央から離れてわざわざ森のそばに一人で住み始めたのですか。
あなたは旧政府に行くという選択肢があったはず。あえてコミューンに残って1人で旧世界の悲惨な記録を読みあさってばかりいる。あなたは一体何を探し求めているのですか」
「自分でもよく分かりません。ずっと昔から私は自分の気持ちに蓋をしてきました。
ここに来る前までは、自分の気持ちに蓋をしたことすら忘れてしまっていたんです」
「何の理由もなくこの世界に放り出されていたように思っても、心は出口を求めています。死期が迫っていればなおさら狂おしく求めるものです。
死ねば身体は終ります。でもそれは心にとっての出口ではありません。その人の気持ち、強い思いは死でも終りません。
心の出口、それはハッピーエンドと言い替えてもいい。あなたは何をする為に生まれてきたのか、それに向き合う時が来たのではないですか」
リーダーは僕の中にあるものに語りかけているのだろう。僕はもう見てみぬふりをすることができないようだ。世界はもう僕が自然に目が覚めるまで待ってはくれない。
「本当は分かっています。おそらく私は避難したいのだと思います。きっと先が見えないから不安になっているのでしょう。
今はパンドラの箱が開いてしまった世界です。もう私は何もしない為の理由を探してはいけないようですね」
「なぜこんな話をしたのか分かりますか。私は黙っていられなかったのです。
あなたは異端の人です。あなたは私に似ています。
日常生活の中でいつも違和感を抱えて生きています。平穏な日々の中にあっても心が業火に焼かれることがあるのです。
あなたや私の安住の地は求め続ける先にしかありません」
「そういえばここはスクールという場所でしたね。どおりで私も生徒になってしまう訳です」
「いいえ、あなたは生徒ではありません。私の友人です。
あなたはこれからあなたの物語を紡ぎ出せばいい。もうお別れの時です」
リーダーが微笑んで言った。
「さようなら」




