歴史の話3
残されたのは汚染された土地と、そこに放り出された人間だけとなった。
中央政府が機能を停止すると、改めて人々は生きる方法を模索し始めた。
多くの人は食料を求めて農地や海岸に移動し、先行者が細々と運営していた自給自足のコミューンに参加した。
当初は30-50人規模のコミューンが多く、集団で農業や漁業を営み食料を得ていた。
原始コミューンの多くは、以下のような特徴がある。
・食料を自給自足すること
・コミューンの運営方針は他からの影響を受けず自分達で決めること。また他コミューンの運営に口出ししないこと(コミューン自治の原則)
・上下関係のないフラットで平等な組織形態とし、全員参画で意思決定を行うこと
・専任職をつくらず、機会均等で仕事を分担すること
・閉鎖的な組織にせず、適宜他のコミューンとの人的な交流をすること
しばらくすると旧政府は海外との貿易を再開し、モバイル端末用ソフトウェアを輸出し始めた。
その収益で投資資金を得ると、モバイル端末の製造を再開した。
当初は海外との貿易のみであったが、しばらくすると国内向けにもモバイル端末の提供を開始した。
但し既に国内は貨幣経済ではなくなっていた為、旧政府はコミューンから優秀な人材を招聘し、その対価として端末と無線通信インフラをコミューンに提供することとなった。
優秀な人材を確保したい旧政府側と、端末がほしいコミューン側の利害が一致した形だ。
端末に入っているコミューン運営システムは、従来のコミューンの運営を劇的に進化させた。
それまでは多くとも100人に満たない程度だったコミューンが、200-300人程度まで規模を拡大することが可能となった。
更に端末は進化し続けた。
当初の機能は、コミューン運営と労働管理システムだけだった。
しかし今では体に体温保護フィルムを貼り、そのフィルムと連動して健康状態の管理まで行うことができる。
健康システムは、労働管理システムと連携している。
僕の暮らしている葛葉というコミューンは、人が住めるぎりぎりとされる最東端に位置している。