歴史の話2
今の平和な時代になる前に、原子力発電所の事故があった。
人為的に引き起こされた事故だと言われている。
いわゆるテロだ。
原発密集地の内の1つの原子力発電所で大規模爆発があり、その後立て続けに関東、中部、東北、北海道各地の原子力発電所が爆発した。
原発の保守会社が犯行に関わっていることは判明しているが、背後関係や目的などは、今も明らかになっていない。
政府は直ちに非常事態宣言を発令し、残りの原発全てを緊急停止し、国内の人や物の流れを一時的に制限する様々な措置を行った。
様々な情報が錯綜する中、日本政府は第一次被害報告をまとめ、事故の影響が及んだ地域を発表した。
被害はあまりに甚大で、日本列島の中部を含む北東部の広範な地域が、原則立ち入り禁止となった。
その後、政府と中央省庁を広島市に移転することを発表した。
同じ頃店頭に食料や生活必需品を求める人が殺到した為、急激に物価が上がり、ハイパーインフレーションが発生した。
国の施策は後手に回っていた。
外貨準備の流動性を取り崩し終わると、海外からの輸入がぱったりと途絶えた。
次第に食料不足の問題が深刻になり、その後石油の備蓄が払底すると、流通網が遮断され、地方に物資が届くことはなくなった。
徐々に日本はコントロールを失い始めていた。
地方で食い詰めた人々は中央政府に目指し、国会を取り囲んで、食料を確保するよう団体交渉を行った。
しかし色よい回答が得られないと判断した人々は、中央政府を解散せよと要求した。
食料が国会議員に優先配分されていたからだ。
そうしたある日、国会に火が点けられた。
大勢の群衆に囲まれ、燃えさかる炎の中で、政府は全会一致でその役割を終える特別決議を採択した。
旧政府と呼ばれる地域は、今も旧広島市地域に存在している。
学校で教わる歴史の授業では、中央政府が解散する以前の時代を「旧世界」と呼び、今の世界とは区別している。
事故の発生から2年あまりが経過した時、日本の人口は推定1/8以下になったと言われている。