92 魔王達の戦い
足音もほとんど感じさせずに、巨大な淑女が地を駆ける。
隠蔽魔法によって姿を隠している『巨人王』と、彼女の背にしがみついた妾達は、一陣の風となって竜族の領地に迫っていた。
「もうすぐ竜族の警戒網に掛かりますわ。皆さん、準備はよろしくて?」
『巨人王』の呼び掛けに、妾達はもちろんであると返す。
手はずとしてはこうだ。
まずは『巨人王』が囮となって竜族の兵を集め、さらに父上と『獣王』が参戦することで城を極力、空にする。
そうして出てくるであろう七輝竜達に、それぞれ受け持った妾達が当たるという、最もシンプルな物である。
……結局、ほとんど正面突破と変わらない。でもまあ、一騎当千の集団では自然とこうもなろう。
「……来たっ!」
それでも、もっとスタイリッシュでインテリジェンスな作戦を立てられたらなぁ……なんて考えていると、『獣王』が警戒の声をあげる。
彼の優れた視力が、こちらに迫る数匹の敵影を捉えたようだ。
「では、手はず通りに!」
妾の声に応じて、皆が『巨人王』から離れる!
そして彼女は、まっすぐこちらに向かってくる竜族へ突き進んでいった。
「待て!貴様は何者……」
「ごめんあそばせ!」
一体の竜族が確認の言葉を言い終わる前に、その顔面に『巨人王』の拳が突き刺さる!
その一撃で吹っ飛ばされ、地に落ちた竜を見て、他の竜達も一気に戦闘体勢に入った!
「さぁ、戦いの時間ですわよ! どこからでもかかっていらっしゃい!」
彼女の一言を合図として、残る三匹の竜がいっせいに炎のブレスを放つ!
だが、それは『巨人王』に届く前に、突然発生した竜巻に絡め取られ打ち消されてしまう!
「ふはははは! なんだ、今の竜族の炎は温いな! この程度では湯も沸かせんぞ」
竜巻を巻き起こした父上が、竜族を挑発するように仁王立ちで嘲笑った。
その姿に一瞬だけ気を取られた竜族の一匹が、当然血を吐いて地上へと落ちていく。
「ふん……『鋼の魔王』が言う通り、温すぎるな」
地上から砲弾のように飛び上がり、蹴りで竜を貫いた『獣王』がつまらなさそうに呟く。
この三人の戦力を見て、残った竜達もただ者ではないと悟ったようだ。
闇雲に向かってくるではなく、笛のような物を吹いて、周辺に異常事態を知らせる!
よし! これで作戦通り、ほとんどの竜族がこちらに集まって来るはずだ。
あとは、妾達もそれぞれのターゲットを目指して行動開始!
あちこちから集まってくる竜族に対峙する父上達を一瞥し、妾達は竜族の城へ向かって走り出した。
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「へぇ……たった三人でそんな風に、堂々と喧嘩を売ってくる連中は初めてね」
部下からの報告を受けたその女は、クスクスと笑った。
成熟した女の色気と、少女のようなあどけなさが同居する彼女の笑みに、報告に来た竜人がゴクリと喉を鳴らす。
ああ……自分はなんと幸せなんだろう。報告に来た竜人は心底そう思っていた。
『色欲』の名を冠する七輝竜リュシエル。彼女に仕えられる事以上に、この世に素晴らしい事など有るだろうか?
立ち上がったリュシエルから、ふわりと花のようなの香りが竜人の鼻に届く。
それだけで脳に霞がかかり、陶酔したような笑みが彼の顔に浮かんだ。
リュシエルのために死んでもいい……いや、むしろ彼女のために死にたい。そんな忠誠心が、彼の中で沸き上がってくるのを感じていた。
「それで、暴れているのはどんな奴等なの?」
リュシエルに問われて、竜人は緩んだ表情と思考を引き締める。
「はっ……『山の巨人王』および『暁の獣王』、それに凄まじい魔力を振るう魔王クラスの男が一人です」
「あらぁ……」
竜人からの報告を聞いたリュシエルはペロリと自身の赤い唇を舐めた。
「素敵ね、『獣王』と魔王クラスの男、その二人を下僕にできれば、アタシがこの魔界を支配できるんじゃないかしら」
自らが頂点に立つ魔界を思い浮かべて、リュシエルがまたクスクスと笑った。
それはとても素晴らしい考えだと、竜人も思う。
いや、彼女に尽くす事。それこそが真の力の使い道というものだ。
ぜひとも彼女が世界の支配者となるための礎として、捨て石となるよう命じてほしい……そんな事を考えていた竜人の耳に、突然あらぬ報告から悲鳴が届いた!
リュシエルを庇うようにして立ちふさがり、悲鳴の聞こえた方向に目を凝らす。
「んん~、女王気取りで男を侍らせてるだろうから、何となく男子寮っぽい雰囲気に当たりをつけて来てみたけど……」
そんな事を言いながら、一人の女が歩み出てくる。
気軽い雰囲気なのに、右手で顔面を鷲掴みにされて引きずられている竜人の兵士が異様さを醸し出していた。
「勘が当たったみたいねぇ」
リュシエル達は知らぬ事だが、都市伝説扱いされる魔王カタストルフィナはにっこり笑い、「七輝竜見ぃつけた♪ 」と呟く。
「……どちら様かしら?」
「私が誰だかなんてどうでもいいわ。でも、貴女はちょっとだけ聞き捨てならない事を言っていたわね」
ルフィナの笑みがフッと消える。
「うちの旦那を下僕にしようなんて、ふざけた事を言ってんじゃないわよ!」
言うなり、ルフィナはぶら下げていた竜人の兵士をリュシエルに向かってボールのように投げつけた!
しかし、彼女も顔色一つ変える事なく、飛来する竜人兵を片手ではたき落とす!
「ふぅん……面白いのよね、夫婦の絆をぶち壊すのって。ますます、外の魔王を誘惑してやりたくなったわ」
ルフィナとリュシエルの間に稲妻が走り、緊張感が増していった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なんでまた攻めてくる馬鹿がいるんだよ……」
イラつきを隠そうともせず、七輝竜の一人である『嫉妬』のアルジェは、戦場へ向かっていた。
部下の報告によれば襲撃者は三人。いずれも魔王クラスとの事である。
「ちくしょう……そんなに強ぇって自慢してぇのかよ」
ガチガチと爪を噛みながら、彼はブツブツと呟く。
たった三人で竜族の領地に殴り込みをかける連中だ、さぞや強靭な肉体と豊潤な魔力を持っているのだろう。
アルジェは、そんな奴等が大嫌いだった。
奴等が目立ちながら調子良くいいとこ取りばかりするから、自分には割りの合わない事ばかりが回ってくる。
それが煩わしくもあり、妬ましくもあった。
だけど、彼にとってちょっとした喜びもある。
(くくく……)
彼の脳裏に浮かぶのは、前回の戦い。
現竜王の弟であるトゥーマが各種族の兵を引き連れ現れたあの戦いで、アルジェは自身の能力を大いに振るった。
堅い絆で結ばれていただろう各種族の連中が、彼の能力一つで罵り合いながら同士討ちを始めた時には、最高にスカッとしたものだ。
自分には溢れた連中のコンプレックスにまみれた姿は、アルジェの心を満たし、優越感をくすぐる。
そう考えれば、魔王クラスの連中がどんな不様な姿を晒すのか、逆に楽しみになってきた。
偉そうな連中の情けないやり取りを想像しつつ、アルジェは城の外へと進んでいく。
ふと、そんな彼の前に立ちふさがる一組の男女がいた。
「おっ! なにやら暗い気配を感じて来てみれば、あれが僕らのターゲットじゃないか?」
アルリディオがアルジェの姿を見つけて、隣のチャルフィオナに問いかける。
「そうね、確かに他の竜族よりも強いけれど歪んだ様な気配も感じるわ」
リディに同意して、チャルは頷いた。
(なんだ、こいつらは……)
先程までの妄想で高揚していた気分が一気に落ち込む。
見たところ、こいつらは魔族ではない……ただの人間だ。
こんな所にいるのだから、並みの人間ではないのだろうが、自分を値踏みするような視線が彼を苛立たせる。
(くそが……人間ごときが見下しやがって……)
こいつら番か何かだろうか? さぞや幸せな生活をしているんだろう。
ああ、なんとも妬ましい。
再び嫉妬の炎がアルジェの胸の内に燃え上がり、同時にある欲望が沸き上がる。
この二人が仲間割れをする姿が見たい。
罵り合い、いがみ合って、みっともなく殺し合う姿が見ていたいのだ!
魔王達の不様を堪能する前戯として、こいつらで遊ぼう。
ひねくれた笑みを浮かべる七輝竜のアルジェを前に、リディとチャルは呼吸を合わせて構えをとるのであった。




