89 封印解除はキスから始まる
「アルトさん、しっかり捕まっててくださいね!」
「う、うむ……」
エルの言葉に従って、彼の体をギュッと抱き締める。
ふふふ……体に伝わるエルの体温が心地よい。
「アルト殿、主様に手が届かないのでもうお尻を引っ込めてください」
エルの感触を堪能していると、妾の背後からハミィがグイグイと体を押し付けながら耳元で言う。
失敬な。まるで妾の美尻が大きすぎて邪魔みたいではないか!
というか、お主がエルに引っ付きたいだけであろうに。
「ふ、二人ともあんまり動くと危ないですよ」
む、すまぬ。
モゾモゾと主導権争いをしていた妾達はエルに嗜められ、素直に体を固定した。
今、妾達は魔剣で空を飛ぶエルにしがみつきながら、地上十五メートルほどの上空を移動していた。
骨夫達が一時的に離脱し、転移魔法による移動手段が無くなったための苦肉の策だが、これはこれで新鮮な感動があり良いものではある。
開放的な空をエルに密着して進むのは、なんとも心地いい。
まぁ、妾を挟むようにして後ろに陣取るハミィがいなければ、もっと開放的だったかもしれんが。
一応は魔剣での移動に馴れぬ妾の補助のため……という名目だったが、その言動には明らかに、妾とエルを二人きりにしておいしい思いはさせん! という意思が込もっていた。
まったく嫉妬深い従者である。
もっと、妾の余裕ある立ち振舞いを見習えば良いのにな。
「主様、あまり飛ばすとリディ様達と離れすぎてしまいますよ」
「おっと、そうだね」
ハミィに言われて、エルは少しスピードを落とす。
そうしてチラリと後方に視線をやると、そこには肩に母上達を乗せて疾走する巨大な淑女の姿が見えた。
文字通り身長が十メートルを越える彼女こそ、もう一人の魔王であり、ブレイブロボ(リディ殿命名)こと現『山の巨人王』。
その大きさを除けば、外見は優雅な貴族然としており、ロボなんて言われ方される筋合いなど全く無く見える。
なにより、初めて言葉を交わした時には、その外見とのギャップに驚かされた。
移動手段を考えていた時に、突然木々の上から「そろそろ私も話に交ぜていただけますか?」などと話しかけられ、驚く妾達にも笑顔で接してくれた。
挙げ句、母上達を運ぶ事に「お任せください」と快諾してくれるくらい気さくな方である。
気さく過ぎて、リディ殿の「いくぞ、ブレイブロボ!」と呼び掛けに「マ"ッ!」などと乗ってしまう姿には、若干心配にもなるが。
ちなみに、巨人族はその巨体故に服の布地は少ないのが当たり前だったが、彼女は王の称号を冠するだけあってきらびやかなドレスに身を包んでいる。一体どれだけの布地が使われているのかと、他人事ながら気になるレベルだ。
そんな風に物腰も柔らかく、気品があり、今までの巨人族のイメージを一転させられてしまうのが彼女だった。
「あんまり見つめられると、照れてしまいますわ」
妾がじっ……と、見ている事を察した巨人王が頬を赤らめる。
障害物の無い空を行く妾達と並走しながらも、そんな余裕がある事に驚異を感じずにはいられない。
「巨人族は目立つから、姿を隠す隠蔽魔法を得意といている者が多い。しかし、姿を隠せても質量からくる足音などは隠せないから、どれだけ気配を感じさせないかで技量がわかる」
かつて、父上から教わった話がふと頭の中に蘇る。
地上をかなりの速さで走りながらも、ほとんど足音を響かせぬ辺り、彼女は相当な使い手なのだろう。
しかし、そんな彼女を巨大ロボなどと呼び、色違いで似たデザインという謎の変装をしていたリディ殿達は、なんのつもりだったのだろう。巨人王の扱いや、あんな変装では逆に目立ってしまうだろうに。
疑問に思ったので先程聞いてみたのだが、「格好いいだろう!」(ジャキーン!)という返事が返ってきた。
格好いい……格好いいかなぁ……?
そう言えば、以前エルも必殺技の名前にこだわっていた事もあったし、男子特有のアレなのかもしれない。
そうやって心の内でモヤモヤしていると、ふと獣王殿がブツブツと呟いている姿が視界に入った。
「……なんだか、巨人王もそれなりにピックアップされてる気がする……。雑な扱いなのは俺だけかよ……グリーンだし……」
うーん、やはり遠いせいかな。彼が何を呟いているかは、妾の耳まで届くことはなかった。
ただ、何となく己の処遇に嘆いている雰囲気だけは感じられたが。
そんなこんなで、妾達は十日以上かかるであろう道のりを、わずか三日程で踏破する事ができた。
転移魔法に比べれば時間はかかったが、それでもかなりの速さであったと言えるだろう。
城に戻ると、出迎えてくれた魔界猫達にテンションが上がった母上達が、猫をモフりまくるといった騒動があった事はさておこう。
しばらくして落ち着いた母上達に教えを請い、いよいよ父上の封印を解く時がやって来た。
「それじゃあ、アルトちゃんにエル君。二人で協力して、愛の雫をこの小瓶一杯になるまで貯めてちょうだい」
母上が胸元から小さな小瓶を取り出して、妾とエルの間に置いた。
こんな瓶にきれいに入るのかと心配したが、瓶には魔法がかけられていて、近くにある特定の液体を自動的に瓶の口に運ぶ仕掛けになっているそうだ。
ようは瓶に向かって垂らしていけばいいのだな。
そうやって貯める液体……母上は愛の雫などと言っていたが、要するに妾とエルのキスによって混ざり合った唾液。
考えようによっては酷いフェチズム感溢れる儀式だが、初代勇者の性癖だったらいやだなぁ……。
本来なら、こういうのは抜きでエルと口づけを交わしたい所だが、まぁ役得という事で納得しよう。
「よし! 心の準備はよいか、エル?」
「は、はい! よろしく……お願いします」
真っ赤になって目を閉じ、少し背伸びしながらエルが妾に顔を近づける。
ぐふふ……なんと愛らしい姿よ。安心するがよい、優しくしてやるからな。
妾もゆっくりと目を閉じながらエルに顔を寄せて……そこで、妾達を凝視する母上達の視線に気がついた。
……確かにエルとのキスに少々浮かれてはいたが、よく考えれば衆人環視の中でディープなキスをせねばならぬって、結構な恥ずかしさを感じる。
「あの……すいませんが、みんなあっち向いて!」
妾の申し出に、母上やチャル殿、そして窓から覗き込む巨人王殿が不満の声を上げる。
が、もう一度強く言うとしぶしぶ回れ右をしてくれた。
これで良し。
さぁ、気を取り直して、今度こそ……。
再び目を閉じたエルに、妾は覆い被さるようにして唇を重ねるのであった!
────っぷはっ!
妾とエルの顔がようやく離れ、互いに大きく息を吸い込む。
そのまま、二人して腰が抜けたようにへたりこんでしまった。
はふぅ……どのくらいの間、キスを交わしていたのだろう……。
ぼんやりとする頭では、正確な時間は計れていないが、少なくとも十分以上はキスをしていたはずだ。
濃厚で激しく、刺激的ながらも甘く蕩けるような、甘美な時間であった……。
ちょっと刺激が強すぎるために描写は割愛するが、どうやら愛の雫を目的の量、貯める事はできたようである。
「二人とも、御苦労様」
そう言ってリディ殿が小瓶を回収するが、なんとか反応を返すのがやっとで、正直なところ頭の中はさっきのキスで一杯になっていた。
とろんとした瞳で、エルの方を見れば、彼もまたとろんとした顔で妾を見ていた。
そんなエルが愛しくて、再び妾達は顔を近づけ……。
「はい! そこまでよ!」
またキスしようとした妾達を、間に入ったチャル殿が止める。
「いくら好きあっていても節度は守らないとね。後はやる事をやってからにしなさい」
ハッ! そうであった!
あまりの快感に、つい現状を忘れる所であったわ!
父上の封印を解く液体の入った小瓶をチャプチャプを揺らし、母上は父上の玉座に近づく。
この城の、あらゆる機能をコントロールする事ができるその玉座。
母上が何やらモゾモゾと玉座をいじっていると、カキンと音がして隠してあった引き出しのような物が開く。
そこから母上が取り出したのは、小さな……石板?
「これがあの人を封じている媒介……後は」
母上が目配せすると、頷いたリディ殿とチャル殿が何やら呪文のよう物を紡ぎ始める。
そのリズムに合わせて、母上はポタリポタリと、妾達の愛の雫を石板に垂らしていった。
数分ほどそれは続き、最後の雫が石板を濡らした瞬間!
甲高い破裂音が響いて、石板が砕け散った!
同時に、何処からともなく煙が溢れ出て、室内はあっという間に埋め尽くされてしまう。
くっ、なんなのだこれは!
「アルトさん、大丈夫ですか!」
「うむ、なんとかな」
近くでエルの声が聞こえ、返事を返しながらその手を握る。
一体、この状況はなんなのか。はたして父上の封印は解けたのか……。
妾達が注視する中、やがて煙は薄らいできた。
そして──。




