69 長い夜の一幕
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はぁ……はぁ……はぁ……。
広いベッドの上で、一組の男女が荒く息を吐きながら背中合わせで横たわっていた。
肌を流れる汗の滴が、激しい行為の後を想像させる。
腰に巻いたシーツ以外は全裸姿の男……人間界の王族であるボルキアは、自分に背を向けて横になっている魔界の貴族階級の女、アルトニエルに無言で視線を向けた。
今の彼女は、数々の魔法が付与された戦闘服も兼ねたドレス姿ではなく、均整の取れた美しいプロポーションが透けて見える薄いネグリジェを纏うだけである。
大抵の男ならそうなるであるように、ボルキアの瞳にも再び情欲の炎が宿った。
「ククク……やっぱり初めてだとショックはでかいみたいだな」
「黙れ……」
上から目線で物を言うボルキアに、アルトニエルは静かだが呪詛の籠った声で答える。
「おいおい、なんでも経験してみるもんだろう? 案外、癖になるかもしれないぞ?」
馴れ馴れしい物言いに、アルトニエルの機嫌はさらに悪くなっていく。
「だから、黙れといったであろう」
魔法が使えたなら、即座にボルキアを殺していた……そう感じさせる程の殺気が、アルトニエルの声には感じられた。
「ククク……この期に及んでも気の強い女だ」
嗜虐心をそそられたボルキアは、モゾモゾと動いてアルトニエルの正面に回ると、恥辱と屈辱に歪む彼女の顔を覗き見る。
文字通り、刺すような視線をアルトニエルは向けてくるが、それがますますボルキアを興奮させた。
「さぁ、休憩は終わりだ。第二ラウンドといこうか」
「ふざけるな……あんな真似をまたやろうというのか!」
「当たり前だ、一晩付き合うという約束だからな。まだまだ夜は長いぞ」
ベロリと舌舐めずりするその顔に、アルトニエルの嫌悪感はますます増していく。
しかし、ボルキアを拒否することはできない。
それをすれば彼女が寵愛する少年、エルトニクスが王族への暴行の罪で投獄されてしまうし、協力者であるトーナン達にも何らかの罪が着せられるかもしれないからだ。
これから先、アルトニエルの目的を果たすため、何より彼女の心の拠り所としてエルトニクスの存在は欠かせない。しかし、人間界の王族を敵に廻すわけにもいかない。
阿呆王子の要求など、魔法でどうとでもできるとたかをくくっていたのだが、魔法封じの結界が張られたこの部屋に通されてしまった。
そんな己の目論みの甘さと迂闊さに、腹が立つ。
しかし……それ故の結果にアルトニエルは僅かな諦めを見せる。
そう、いまは受け入れるしかないのだ……。
────男女の激しい息づかいと、ギシギシというベッドの軋む音が、むっとした熱気の漂う室内に響く。
「そんな顔を、せずにっ、ん、お前も楽しんだら、はっ、どうだ?」
息継ぎをするように弾んだ口調で、ボルキアは自分の上で動くアルトニエルを見上げながら声をかける。
「くっ……こんな、事をして……うっ、楽しめる、訳が……はぁっ……ないだろっ、が」
この変態めとボルキアを罵り、アルトニエルは顔をしかめた。
「フフン……その割り、には、俺の、ふっ、気持ちいいポイントを、攻めて来るじゃ……ああっ……ないか」
「さっさと……ううっ……終わらせたい、だけ、だっ!」
それが強がりではなく、心の底から嫌悪していると表情から解る。そして、それはさらにボルキアを奮い起たせた。
「ハハハ! いいぞ、ラストスパートといこうか!」
愉しそうに吠えたボルキアは、体勢を変える。
そして、ベッドの軋む音は一段と激しくなった!
「ううっ……」
「どうした、もっと力を入れてみせろ!」
背中越しに、アルトニエルを叱咤するボルキア。
屈辱に泣きそうな顔をしながらも、彼女は一層力を込めた!
「あああっ、いいぞ! いいぞ!」
アルトニエルの位置からはボルキアの顔は見えないが、切羽詰まりながらもうっとりとしたような口調はその表情を連想させる。
ギリッと歯軋りしながらも、アルトニエルはさらに力を込める。
「はぁ、はぁ……もうすぐイクぞ! お前もいい声を聞かせてくれよ!」
彼女からの返事はない。しかし、それを暗黙の了解とみなす。
どんどん昂っていく息づかいと、食いしばる口の端から零れ落ちる声。
やがてそれは頂点まで昇りつめ、すべてが解き放たれようとした次の瞬間!
「この豚野郎がぁぁっ!!!!」
「ぶきいぃぃぃっ♥」
アルトニエルが雄叫びと共に、ボルキアの尻を蹴り上げる!
文字通り、豚のような鳴き声を放ちながら絶頂を迎えた彼は、忘我の表情でベッドに倒れ付したのだった。
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妾に踏まれ、尻への一撃を悦んで受けた阿呆王子との第二ラウンドはこうして終了した……って、あぁーっ! まったく以てやってられん!
いつまでも、こやつのプレイに付き合っていられるかっ、くそうっ!
だいたい、人にこんないやらしい格好をさせておいて、『俺を踏め!』だの『フィニッシュは、思いきり尻を蹴りつけろ!』だのと命令するとはどういう了見か!
いや、別に阿呆王子からいやらしい事をされたい訳ではないけれど!
変態のプレイに付き合わされたのが腹立たしくて、もう一度ボルキアの尻を蹴り上げてやる! と、またも快楽の声を上げて悦に入っていっいた。
もうやだ、こやつ……。
妾の足下でピクピクと痙攣しながら、余韻に浸るボルキア。死にかけた虫のようなその姿に王族の矜持はなく、ただ快楽を貪る愚か者にしか見えなかった。
はぁ……他人の性癖をどうこう言うつもりはないが、強要される身としてはたまらない。
くそっ……落ち着かれてまたプレイを持ちかけられたら面倒だし、今のうちに絞め落として失神かせておこうか?
でも『窒息プレイとかご褒美です!』とか言われたらやだなぁ……。
そんな事を考えながら、とりあえず物は試しとボルキアの首に腕を伸ばす。すると、にわかに部屋の外が騒がしくなってきた。
むむ? いったい、何事か……?
喧騒はだんだんとこの部屋に近付いてくる。
やがてこの部屋の前まで来ると、
「アルトさーん!」
「お嬢ー!」
妾を呼びながらドアを蹴破って、エルと骨夫が飛び込んできた!
「アルトさん! 無事でよかった!」
ボルキアの首を絞める妾の姿に、エルがホッとしたように顔を綻ばせる。
「第三王子は特殊な趣味を持つ大変な変態だと聞いて、居ても立ってもいられなくなって……」
そんなに、ボルキアの趣味は広く知られているのか!?
よく「王族の品位を汚した」とかで放逐されなかったな。
「転移魔法でこっそり救出に来ようかと思ったんですが、なぜかお嬢の魔力は探索できないやら転移口は開けないやらで、結構焦りましたよ」
ひとまず妾の無事を確認した骨夫も、額の汗を拭った。
まったく……心配するなと言っておいたのに、無茶をしおって。
「し、しかしお主らはどうやってここまで……」
妾達のいる場所はともかく、ここに来るまで見張りや巡回の兵もいただろうに。
エルの性格上、邪魔する奴等を指先一つでダウンさせてきたとは思えないのだが……。
「えっと……軽く昏倒してもらったり……」
「転移魔法で街中に移動させたりしておきました」
あ、結構乱暴な手を使っていたわ。
だが、妾の身を案じてそこまで必死だったとも言えるか。
「当たり前じゃないですか! アルトさんに何かあったら……僕は……僕は……」
自分のせいで妾に負担をかけたと思っていたエルが、涙目になって震える。
こう言ってはなんだが……可愛いすぎる! ハァ……他に人目が無ければ思いっきり抱き締めてやるのに……。
「私も心配してましたよ! お嬢に何かあったら、私が御父上に殺されますからね!」
ハハハ、こやつめ。もう死んでるアンデッドのくせになんとも素直な事よ。
後でお仕置きだからな☆
しかし、こんなに大暴れした以上は長居は無用だな……。
人間界の王族の協力を得られなかったのは残念だが、魔界進行の後ろ楯である『勇者の一族』を名乗る連中は(エルが)叩き潰したし、『竜殺し』である妾達の戦力が投入できなければ無駄な兵力を上げて攻め入る事もあるまい。
ただ、気になるのはこのままではエルが罪人として手配されるのではないかという事だが……。
「構いません! なんならアルトさんと一緒に魔界でずっと暮らしても……」
そこまで言いかけて、かなり恥ずかしい事を告白しようとしていることに気付いたエルは真っ赤になる。
ふふ……それもいいな!
「主様、兵が集結しようとしています!」
見張り役をやっていたらしいハミィが、廊下の曲がり角から姿を現して警戒の声を上げる。なるほど、もう時間がないな……。
よーし、逃げるか!
着替える時間が欲しかったが今は仕方がないと決断し、ドレスを抱え込んで骨夫の転移魔法が使える場所まで移動しようとした。
「行かせんぞ! アルトニエルにはもっと踏んでもらわねばならんのだ!」
しかし、いつの間にか覚醒したのか、目を血走らせてボルキアが妾にしがみつこうと飛びかかってくる!
だが、咄嗟に妾とボルキアの間に入った影、ハミィの膝蹴りが王子の顔面に突き刺さった!
「至福♥」
ギャル姿のハミィに一撃を食らわされたボルキアは、悦びの悲鳴を上げながらベッドまで吹っ飛んだ。
「うわ……」
蹴った当のハミィも、王子の気持ち悪るさに我が身を抱き締めて身震いする。
うむ、その気持ちはよく解るぞ。
「そうだ、アルトさん、トーナン様からこれを預かってきてます」
そう言ってエルは一枚の手形を見せた。これは……?
「この手形を見せればナルツグ商会やその関連業者から、様々な融資が受けられるようになります。魔界で僕達が物入りになった時に使えと預かってきました……」
そして、お姉ちゃんをよろしく頼むと……そうトーナン殿の伝言を伝えて、エルは口をつぐんだ。
なんともありがたい……彼には本当に助けられるな。
「よし! ではリーシャ達を回収した後、再び魔界に向かう。よいな?」
異論は無いと、皆が元気よく返事をする。
妾も一つ頷き返し、そして骨夫が作り出した転移口へと飛び込んだ。




