40 重くて静かな戦い
「お願い?」
「はい!」
いやに真剣に答えてくるエル。
んん? 一体どんな……ハッ!
ま、まさか……アマゾネス・エルフ達に捕食……もとい、保護された竜人達の末路を想像していたらエッチな気分になったとか!?
それで妾に対する劣情を押さえきれずに、何かおねだりを……。
い、いかん! いかんぞ、エル!
そりゃあ、お主が妾の事を大好きなのは知っているが、こんな昼間から……しかも人気の多い場所で!
で、でも……もっと夜のデート中とか、雰囲気の良い時におねだりされたら、そりゃあ妾だって……。
「あの……アルトさん?」
大丈夫ですかとエルに声を掛けられて、妾の意識は現実に帰ってきた。
あ、危ない危ない。
もう少しで、妄想のエルに身を任せるところであったわ……。
んんっ、こほん。
で、そのお願いというのは何かな?
「アルトさんと以前にもめた、ラライルさんの呪いを解いてあげてほしいんです」
んもう、エルってばそんな甘えん坊な事を……は?
全く予想もしていなかったその「お願い」に、意表を突かれてきょとんとしてしまう。
ん? ラライル?
「あの……僕とアルトさんが初めて会った時に、アルトさんに絡んできた冒険者チームのリーダーらしいんですけど……」
妾が誰だっけといった顔をしているのを察して、エルが説明をしてくれた。
あー、ハイハイ。あの風呂場で襲ってきた無粋な連中であるな。
そういえば、その時にエロくなる呪いをかけてやるとかハッタリをかました気がする。
でも、あくまでハッタリよ? それで本当にエロスな人に成ったというのなら、どれだけ思い込みが激しいのか……。
でも、なんでそんな奴等の呪いを解いてやらねばならんのだ?
「ラライル組の人達も、領主様に雇われて情報収集をしていたんです。それで、前に領主様を訪ねた際に鉢合わせしてまして……」
その後、一悶着はあったものの、なんやかんやで和解したので呪い解いてもらえるように頼んでみると約束していたらしい。
ふーん、まぁ所詮は向こうの思い込みだし、一声かけてやるだけだから別に構わん。構わんのだが……。
「向こうから喧嘩を売ってきたのだから、まずは詫びの一つも入れてきてからだな」
「それは……そうですよね」
奴等の幹部と和解していたというエルは少し複雑な表情をしたが、こちらにだって面子はあるし、相手の言い分ばかりホイホイ聞いてやる筋合いはない。
だから、相手の出方次第だと断りつつ、こちらの用事が済んだら会いに行くというのだけはエルに約束してやった。
エルもそれで納得してくれたし、とりあえずは目の前の用事を済ませてしまおう。
カートが転移魔法を展開して転移口を開く。
それを潜り抜けると、大きな屋敷の門が妾達を出迎えた。ほう、これがエルの知り合いである領主の館か。
「おお、エルトニクスじゃ……ない……か」
門の前に立っていた衛兵らしき人物が、エルの姿を認め声をかけてきたのだが、その動きが油の切れたからくり人形みたいに止まる。
その視線の先にいるのは……もちろん妾だ。
ふふ、どうやら妾に見とれているようだが、無理もあるまい。
「あの……」
「は? あ、ああ! すまんすまん。りょ、領主様に取り次ぎだな」
ボンヤリしていた衛兵が、エルに声を掛けられて正気を取り戻す。
どうやら、エルが受けていた仕事の事はちゃんと伝わっているらしく、即座に領主と面会できるように連絡をしてくれた。
しかし、あれよな。こうして相手を見事に魅了できると、気分が良いものだな。
かつてその美貌から『魔界の至宝』と呼ばれていた頃の自信が甦ってくるというものだ。
よーし、この調子でエルにちょっかいを出す幼馴染みの姉にガツンと格の違いというものを教えてやるとしようか。
面会の準備ができましたと案内に来たメイドに従い、領主と対面すべく妾達は応接室へと向かった。
──カートと骨夫を見張りとして部屋の入り口を守らせ、応接室の中には妾達を含めて四人の人物が集まっていた。
柔らかいソファに並んで座る妾とエル、その対面には紅茶の置かれたテーブルを挟み、やはり並んで座っている(恐らく)領主殿とその娘。
ふむ……この娘が幼馴染みか。
なるほど、素質は悪くない。
いずれ大きく花開くであろう、美しさを内包した可愛らしい外見は庇護欲を掻き立てられる男も多いだろう。成長性ーAといった感じだな。
向こうは妾に見とれてつつも、ライバルとしての戦意は消えていない。
その心意気は誉めてやろう。しかし、すでにどちらの格が上かは理解しているだろうがな。
エルと領主殿が情報のやり取りをしている中、妾とリーシャ嬢の静かなる駆け引きは続く……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
うう……空気が重い。
アルトさんとお姉ちゃんの間には、静かだけど重苦しい、まるで深海のような沈黙が澱んでいた。
僕と話をしているトーナン様も、話に集中しようとしているけど、隣の女性陣が醸し出す雰囲気に圧迫感を覚えているみたいだ。
「…………」
「…………」
せめて何か会話してくれればいいのに、二人は穏やかな笑みを浮かべたまま、一言も言葉を交わさない。
こ、これが女の戦いという物なんだろうか。
親戚のお兄さんが言っていた「女の戦いに男は口を挟むな……火傷じゃすまんぞ?」という言葉は本当かもしれない。
実際、迂闊にアルトさん達に声を掛けたらそれが起爆剤になりそうで、トーナン様に依頼されていた魔界の状勢を報告しながら二人の様子を伺うのが精一杯だった。
そんな中、ついに戦局が動いた!
「えっと……アルトニエル様……」
「アルトで良いよ。エルの友人なら気兼ねせずとも良い」
「左様ですか。では改めてアルト様、エルがお世話になっております」
お姉ちゃんが話しかけ、アルトさんが答える。
ただそれだけなのに、まるで真剣で鍔競り合いをしているような圧力があるのはなぜなんだろう。
「エルとお父様のお話はもう少し続きそうですし、よろしかったら別室で女同士のお喋りなどいかがでしょうか?」
お姉ちゃんがポンと手を叩き提案する。
「それは良いな。ガールズトークなど久しぶりで、心が弾む」
アルトさんも、それに乗ってきた。
美少女と美女がにこやかに話しているというのに、豪傑同士が「場所を変えて決着をつけようか」といった会話をしてる風に見えてきてつらい……。
そんな僕達の心境を知ってか知らずか、アルトさんとお姉ちゃんは少し席を外しますと軽く挨拶をしてから、ウフフと笑いあって部屋を出ていった。
それから数分、無言の時間が流れる。
完全に二人の気配が去っていった後、僕とトーナン様は同時に大きなため息を吐き出した。
「ハァ……ハァ……」
「な、なんというプレッシャーだ……我が娘ながら恐るべし」
魔界の実力者であるアルトさんは兎も角、まさかお姉ちゃんがそれに対抗するとは僕も予想外だった。
「お姉ちゃ……いえ、リーシャ様はなんであそこまで……」
言い直した僕に、トーナン様はお姉ちゃんと呼んでおいて構わんぞと苦笑いしながら僕の肩を叩く。
「それはもちろん、お前という想い人をめぐっているからだ。あれが、あんなに執着を見せるのは初めてだがな」
そ、それはうれしいけど、後がちょっと怖いような……。
しかし、真に本気になった女の戦いは恐ろしい……そう言って、トーナン様はソファの背もたれに体を投げ出す。
僕もやたらと喉が乾いていたことに気付いて、冷めてしまった紅茶に口をつけた。
「まぁ、誰を選ぶかはお前次第だが、恨みだけは買わぬように気を付けろ」
思わず吹き出しそうになりながら、僕は妙に含蓄のあるトーナン様の言葉に頷いてかえした。
「ところで……情けない話なんだが、女二人に気圧されていて先程の話があまり頭に入って来ていなかったんだ……すまんが、もう一度報告してもらっていいか?」
それに関しては、恥ずかしながら僕も同じです。
何となく、同じ境遇に耐えた共感みたいな物を覚えた僕達は、再び打ち合わせに没頭し始めるのだった。
「……なるほどな。竜族の王の死と、内輪揉めか」
どの種族でもそういうのは付き物だなと、トーナン様がため息を吐く。
「しかし、これはあまりよくない流れだ……。竜族の兄弟、どちらが勝っても魔界の覇権を握られかねない」
確かにそうだ。アルトさんが竜王の次男を胡散臭いと言っていたのは、最終的に得をするのは竜族の流れを作りそうなのを見抜いていたからかもしれない。流石だなぁ……。
「万が一、竜族指導で魔界統一がなされた場合……最悪、人間界との戦争が引き起こされる可能性があるな」
それは心配しすぎじゃないかと言いかけて、アルトさんから聞いていたある竜族の特徴が頭に浮かんだ。
「竜族は……自分達が至高の存在であると自負している」
僕の呟きに、トーナン様が頷く。
「そうだ。魔界統一後、その思想から全種族を自分達の参加に納めようとしかねない野望が、竜族にはあるからな」
ある程度の強豪同士が牽制しあっているから、変な話バランスが取れて人間界と魔界は上手く行っていけそうな状態なのだ。
そのバランスが崩れた場合、二つの世界の関係はどうなるか……最悪、戦争になってもおかしくない。
「残念な事に、人間界にも魔界に喧嘩を売ろうとしている勢力がある」
トーナン様の言葉に、僕はギョッとした。
なんで、わざわざそんな事を……。
「欲と既得権益に群がる連中は、どこにでもいると言うことだ」
ハァ……トーナン様に釣られて、僕もため息を吐いた。
戦争によって儲ける種の職業は確かにある。でも、その為に泣く人を大量に出していい訳がない!
憤慨して口を開こうとした、その時!
チャラララッ! チャラララッ !チャッチャー♪
突然僕の頭の中に、軽快な音楽が突然鳴り響いた!




