31 手強いお姉ちゃん
「ど、ど、ど、ど、どういう事だ、エルトニクス!」
「いえ、いえ、いえ! ぼ、僕にもなんの事やら!」
唐突なリーシャ様の発言に、僕とトーナン様は動揺し、困惑した。
本当に、何がどうなってそんな話が出てきたんだろう!?
しかも、当のリーシャ様はなにやらドヤ顔で、慌てる僕達を眺めている。
「あらあら、どうやらエルは忘れてしまったみたいね……小さい頃の約束とはいえ、お姉ちゃんは悲しいわ」
小さい頃……お姉ちゃん……リーシャ様が言う、その単語に触発されて、僕の脳裏にある光景がフラッシュバックされてきた。
──転んでしまったのか、膝から血をながして泣いている幼少の僕と、それを宥めてくれている小さい頃のリーシャ様。
男の子なら、そのくらいで泣いちゃダメよと、手当てしながらリーシャ様は僕の頭を撫でる。
現金な僕は、そんな優しいリーシャ様の対応にあっさりと笑顔になった。そして、お姉ちゃん大好き! と彼女に抱きついたのだ。
リーシャ様はにこにこしながら受け止めてくれて、それじゃエルが怪我をしても泣かないくらいに強い子になったら結婚してあげようかなと言い、僕はそれに強くなると誓った。
そんな小さい頃の、子供同士の口約束……。
「あら、何か思い出しましたか、エル?」
「かなり……昔の、もっと小さかった頃にそんな約束をしたような……」
「正確には八年前ね。私が八歳、エルが四歳の頃よ」
当時の口約束を僕が思い出した事に、リーシャ様は嬉しそうにいつの頃の話かを捕捉する。
「リーシャ! 冗談なら時と場所を選べ!」
ようは子供同士の戯れ言だったと理解し、一喝するトーナン様。
だけど、リーシャ様は至って真面目に、私は本気ですわと真っ向から対峙してみせた。
「あの時、私の申し出に即答してくれたエルの可愛かったこと……もう、これは運命的な物だと幼心に悟りました」
少しだけ赤く染まった頬に手を宛て、思い出すようにほぅ……と吐息を漏らす。
「それに、初めてエルに会った時から何か……不思議な力を感じておりましたわ」
こういう私の直感は、意外と当たりますのよ……そう言いながら、リーシャ様は僕に向かってウィンクしてみせた。
うう……もしかして、『勇者の力』を感知されていたんだろうか?
だとすると、リーシャ様はすごい魔法の才能があるのかもしれない。
だけど今は、彼女の申し出を断らなければ! 僕にはまだ婚約やら結婚やらは早すぎるって!
「リーシャ様、あの……」
「お姉ちゃん」
「え……? あの……リーシャ様?」
「お・ね・え・ちゃ・ん!」
……どうやら昔みたいに『お姉ちゃん』と呼ばないと話を進めてくれないみたいだ。
「お……お姉ちゃん」
「なぁに、エル♪」
満面の笑みで返答してくれるリーシャ様。
うう、なんか断りづらい……。
「リー……お姉ちゃん。お姉ちゃんの気持ちは嬉しいんだけれど、僕にはまだやらなければならない事があるんです」
僕の言葉に、リーシャ様は黙って耳を傾ける。
「それはもしかしたら、人間界と魔界の両方の今後に関係するかもしれない話で、危険かもしれないけれど……誰かがやらなきゃならない事なんだよ」
いつも間にか、昔みたいにお姉ちゃんに訴えるような口調で、僕は彼女を真っ直ぐ見据えながら説得していく。
「だから、僕を快く行かせて欲しい。あと、婚約者とかいう話も無かった事にしてもらいたい」
小さい頃の話だし、何よりも今、僕には大事な女性がいるんだ……。
「……エルには今、好きな人がいるの?」
少し寂しげにリーシャ様は尋ねてくる。
……僕がそれに答えようとした時、「その通りです!」と言う声と共に、部屋に乱入してくる人物がいた!
言わずと知れた、アマゾネス・エルフのカートさん!
お願いだから、これ以上話をややこしくしないで欲しい!
「お嬢様には申し訳ありませんが、エル様にはすでにアルト様という方がおり、そして私という愛人一号がいるのですからね!」
どさくさ紛れに何を言ってるんですか、あなたは!
トーナン様が「その歳で愛人って、マジかよ……」みたいな顔で僕を見る。
違いますからね! そんなんじゃないですからね!
「カートさん! 突然、何を言い出すんですか!」
慌ててカートさんを止めようとすると、彼女はフッ……と小さく微笑んだ。
「これ以上、エル様の回りに女性が増えて、私の順番が後回しにされたら辛いです」
(エル様、時としてはっきりと現実を伝えることが、相手への思いやりになるのです)
……また、本音と建前が逆になってる。
冷静に見えて、実は焦っていたんだろうか。
そんなカートさんを眺めながら、リーシャ様はただ静かに何か思案していた。
うう……この沈黙が逆に怖い。
「ま、まぁ……愛人うんぬんは置いといて、どうやらエルトニクスには決まった人がいるようだし、リーシャもこれで……」
トーナン様が話を纏めようとしていたけど、それを無視してリーシャ様は僕に歩み寄る。
そうして僕の頬に両手を添えると、正面からジッと見つめてきた。
「どうやら……お姉ちゃんと離れてる間に、悪い女性に取り込まれてしまったみたいですね」
い、いや。アルトさんは決して悪い人じゃないです!……カートさんを見た後だと、説得力は薄いかもしれないけど。
「わかりました、私も魔界に参りましょう!」
フンッ!と奮起したように力を込めて、リーシャ様は可愛らしく拳を握った。って、あなたまで何を言ってるんですか!
「少し離れている間に、お互いの想いは募るものと考えていました。けど、それが裏目に出た様子。ならば、私自らが魔界に出向いて、アルトさんという方と直接お話します!」
へろへろパンチをシュッシュッと振るい、やる気を示すリーシャ様だったけど……無理ですよ、それは。
仕方がない。ここは心を鬼にしてでも止めなければ!
「いい加減にしてください!」
突然、大声を出した僕に驚いたのか、室内にいた全員が静まり返る。
よし、言うぞ!
「お姉……リーシャ様、戦場は遊び場じゃないんです。戦えない人間がしゃしゃり出て来れば、それだけ犠牲が増える事になるんですよ!」
ビクリとリーシャ様が身震いをした。
「僕なんかを、そこまで好いてくれていたのは本当に嬉しいです。でも、貴女には貴女の立場があるでしょう? 軽々しく戦いの場に出向くなんて事を言ってはだめです!」
リーシャ様は黙って俯き、トーナン様は尤もだと頷く。
……うう、やっぱりこういうのは苦手だ。
なんとか表面上は厳しい顔を作っているけど、悲しそうなリーシャ様を見てると申し訳ない気持ちが沸いてくる。
間違った事を言ってるつもりはないのだけれど、お説教じみた事を言えるほど僕も大した人間じゃないからなぁ……。
しばし沈黙が室内を支配する。
が、それを破ったのはリーシャ様のすすり泣く声だった。
「うえぇ……エ、エルに嫌われだぁ……」
なんでそうなるの!? 嫌いになったからきつく言った訳じゃないんだけどっ!
けれど、僕の内心が届いていないリーシャ様はボロボロと大粒の涙を流し続けた。
「べ、別にリーシャ様を嫌いになった訳じゃないですよ!」
焦りながらも、なんとか泣き止んでもらおうと僕は彼女に話しかける。
「だっで……もう、お姉ちゃんて呼んでぐれないぃ……」
「ごめん、お姉ちゃん! 大丈夫、お姉ちゃんの事嫌いになんかなってないから!」
「本当に……?」
「本当!本当!」
「じゃあ……お姉ちゃんの事、好き?」
「好き好き! 大好き!」
軽くパニクった僕は、おうむ返しみたいにリーシャ様に答える。
その甲斐あってか、ようやく彼女は泣き止んでくれた。
「えへへ……嬉しい」
まるで僕より小さい子どもみたいに、コロコロと変わる表情。
本当の姉みたいに慕っていた彼女が見せたそんな姿に……正直、ドキッと胸が高鳴った。
それから少しして、落ち着きを取り戻したリーシャ様は、いつもの様子で僕に頭を下げてくる。
「ごめんなさいね、エル。少しワガママが過ぎたみたいでした」
慌てて頭を上げてもらうと、彼女はなにやら決意を固めたような表情をしていた。
「私も魔界に行くなんて、もう言いません。その代わりと言ってはなんですけれど、エルにはコレを持っていって欲しいの」
そう言ってリーシャ様が見せたのは、一つの指輪だった。
彼女は僕の左手を取り、特に飾り気の無いシンプルなその指輪を薬指にソッと通す。
「魔界に戻って、そのアルトさんに会えたら、この指輪の送り主は私だと伝えてね」
静かな口調の中にピリピリとした闘志を感じさせながら、彼女ははっきりとそう言った……。
「宣戦布告……ですかね」
後ろでポツリと溢した、カートさんの呟きがとどく。多分……そうなんだろう。
にこやかな笑みを浮かべつつ、まったく引く気を見せないお姉ちゃんに、少し戦慄を覚える。
今更ながら僕は大変な女性に見初められたのだと自覚するのだった……。




