23 空き城に住まう者
転移口をくぐり抜けると、目の前には巨大な穴の空いた城門が目に飛び込んでくる。
変わらない……あの日のままだ。
一歩、踏み出した妾は何か柔らかい物を踏む感触に、違和感を覚える。
「ぐえっ」と、奇妙な鳴き声を上げるそれは……なんだ、カートか。
確かに、先に転移口に放り込みはしたが、ピタリと妾の足元で転がっている事はないではないか。ほんとに踏まれるのが好きな娘だな、こやつは。
とりあえず、彼女が脱ぎ散らかした装備を投げ渡し、さっさと身支度を整えさせる。
いつまでもほぼ真っ裸でいるんじゃありません!
さて……エル達はいまだ、城門に空けられた大穴を見つめている。
「スゴいですね……」
ポツリと彼が呟く。
ああ、この城門を破るなど並大抵の事では……。
「あ、いえ……そうじゃなくて、獣臭が……」
エルの言葉に、僅かな警戒が混じる。
だが……獣臭?
言われて、鼻をスンスンと鳴らしながら周囲の匂いを嗅ぐと、確かに獣臭い。
ま、まさか、この穴から潜り込んだ魔界の野性動物が、ここに住み着いたとでもいうのかっ!
魔界タヌキ、魔界アナグマ、魔界ハクビシン……。
農家を困らせる、危険な魔獣達の名前が次々に浮かび上がる。
しかし、奴等は人気のある家屋には近寄らぬはずだが……まさか、ここには勇者の系譜はいない?
そんな考えが頭に浮かんでいた、その時!
物陰や暗がりに光る、無数の目がこちらを見つめていることに気がついた。
その数は、十や二十ではきかない、少なくとも五十はいるだろう。
ここにいるやつらが総数では無いだろうから、城内にはわんさかいるに違いない。
くそ、獣臭いわけだ。
しかし、サイズ的には大きくはなさそうだが、これだけの数がいっせいに襲ってきたら厄介だな……。
とりあえず、この場のやつらだけでも倒しておくかと、妾は魔法を放とうとした。
その瞬間! 奴等は動いた!
にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー!
媚びるような甘えた声で、暗がりからたくさんの魔界ネコが飛び出してきた。
奴等は一斉に妾達の足元に群がると、腹を見せ、コロコロと転がり、脛に体を擦り付けて甘えてくる!
はわわわ……な、なんだこの状況は!
……人間界の愛玩動物なネコとは違って、魔界ネコは危険な生態を持つものが多い。
毒を持つポイズンキャッツ、麻痺をもたらす痺れキャッツ、無限のおねだりをする欲張りキャッツ等々……。
そんな危険な魔獣どもが、今、妾達の前で甘え媚びている姿は微笑ましいやら怖いやら……。
「あら、可愛い! まー、可愛い!」
どっかのおばちゃんみたいな喋り方で、骨夫は群がる魔界ネコを撫でまくり、エルもすり寄って来る個体にご満悦の様子だ。
ふと、妾のスカートの裾を引っ張るように、一匹の子猫が足元で妾を見上げていた。
その頼りない姿に、抱き上げてみようかと手を伸ばすと、妾の指先にペチペチと肉球を叩きつけてくる。
ふふふ、なんとも愛くるしいではないか。
「何か食べる物でもあればよかったのだがな」
妾がポツリと呟いた瞬間、天使のような可愛さを見せていた子猫の顔が、チンピラのそれに豹変した!
え? 何事!?
甘えていた姿から一転、統率の取れた部隊のように妾達から距離を取ると、一斉に後ろ足で砂をかけながらネコ達は城内に消えていく。
な、なんだあいつらは!? 餌が欲しかっただけかい!
……うん、まぁネコってそういう所あるけれど。
とにかく、妾の城を猫屋敷にするわけにはいかない。かわいそうだが、追っ払って元の野良に戻ってもらうとしよう。
猫達を追って城内に入ったものの、居るわ居るわ。
あちらこちらから妾達を監視する猫の目線は、城門にいた猫達よりもはるかに多い。
しかも、前を走る連中はチラチラと後方の妾達を振り返り、まるで何処かに誘導しようとしているみたいだ。
……はて、この先はたしか。
開きっぱなしの扉に、猫達が飛び込んでいく。
間違いない、ここは……玉座の間!
妾達も急いで入室すると、そこには、鍛えられた精鋭の騎士団を思わせる、整然と並んだ猫達の姿があった。
そして、その中央……魔王が座り、妾が座っていた玉座に鎮座していたのは……。
「我が城によく来たにゃ。我はあらゆる猫の皇、マタイチだにゃ」
他の猫より二回りほど大きい、すらりとした黒猫が、玉座に体を預けながら名乗りをあげた。
「猫がしゃべった!」
流暢に人語を話すマタイチに、エルが驚きの声をあげる。
人間界の猫ならいざ知らず、魔界の猫でも上位種となると、けっこう話せる奴はいるのだ。
そんなエルの驚きっぷりが気持ちよかったのか、マタイチはゴロゴロと喉を鳴らす。
「恐れおののくのも無理はないにゃ。今なら……」
言いかけた、マタイチの言葉が止まる。それは、怒りに燃える妾の視線に気付いたからだ。
「猫よ……貴様は誰に断って玉座に座っているのか」
しかも、我が城だと? ふざけおって……。
魔法を展開したつもりはなかったが、妾の怒りに呼応して右手に炎が宿る。
それを見た周囲の猫達は、潮が引くように逃げ出して部屋の角や物陰に隠れた。
ただ、マタイチだけは「フン……」と小さく鼻を鳴らす。そして、そっと玉座から降りると、ハンカチでパッパッと玉座の誇りと抜け毛を払う。
その足が震えていたのは、見間違いないではないようだ。
「な、なかなかの魔力だにゃ。どうにゃ、我が傘下に加わる気はないかにゃ?」
完全にビビっているのに、そんなことを言える胆力はなかなかのものだ。
だが、大事な玉座を汚した罰は受けてもらわねならない。
「や、やるというなら仕方がないにゃ!必殺、『魅了縛鎖の陣』!」
パン! と手を鳴らしたかったのだろう、マタイチは両手を合わせたが、肉球どうしがぶつかるポフッという、僅かな音しか鳴らなかった。
しかし、皇の意図は通じたようで、妾達の頭上から無数の影が飛びかかってきた!
にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、にゃー!
猫嵐再び!
可愛いらしい鳴き声と共に、上から舞い降りた影が妾達にしがみつく!
その正体は、生後半年も経っていないような子猫達!
ある者は服に登り始め、ある者は足元でコロコロ転がる回る。ふわふわの毛玉みたいな子猫達は、自由奔放に妾達にまとわりついて、離れようとしない!
「アルトさん、大変です! 身動きが取れません!」
おのれ、妾もだよ!
骨夫に至っては恍惚の表情で子猫と一緒に転げ回っている。
「ふははは、動けまい。そうやって、いずれ貴様達は子猫のお世話係になっていくのだにゃ!」
くっ……なんと恐ろしい! こんな魅力的な攻められ方、人によっては天国だぞ!
「猫の世話など、冗談ではありませんね」
不意の声と同時に、マタイチに向かって子猫が数匹、投げつけられる。
おい、あまり乱暴に扱うでないわっ!
「ば、馬鹿な! 貴様にはこの子猫の群れが通じないというのかにゃ!」
驚愕するマタイチの視線の先、そこには邪魔な子猫を引き剥がすカートの姿があった。
「まだ産まれて間もない子猫をポイポイ放り投げるとは、貴様に情というものは無いのかにゃ!」
激昂……というよりも、焦っているようなその態度に、カートは肩を竦めて答える。
「森に生きる我々にとって、犬科は友達、猫科は獲物……狩られないだけでも感謝しなさい!」
堂々と言い張るカート。しかし、虎とかならまだしも、子猫を狩るとかいうのはやめた方がよいぞ……。
「ふ……ふふふ……。面白いにゃ。貴様はこの我が直々に相手をしてやるにゃ」
「いいでしょう、手加減はしませんよ」
小刻みに震えるマタイチに、ボキボキと拳の節を鳴らすカート。
なんか一方的になりそうだなぁ……。そんな事を思いながら、抱いた子猫をじゃらし、妾達は二体の野獣の戦いを見守るのだった。




