~05~
呂洞賓に外で待っているように言われた俺は、ひとり施設を出た。
外の空気をひとしきり吸い、そして街を眺めた。
空中都市「蓬莱」は全体的にうすい霧に覆われている。
霧の濃さは希薄で、空を見上げれば若干青空を拝むこともできる。そんなに肌寒いということもない。
街の建造物はまるで巨大な縦長の岩を乗っけただけのようで、中国「桂林」の山々を思い浮かべるとわかりやすい。
ただ、ところどころ苔生した岩の表面には規則正しく穴が列をなしている。どうやらこれが窓のようだ。よく見れば、すりガラスとも思える窓枠が張られていて、中にちゃんと部屋があることが分かる。
またべつの場所をみると、霧の中に浮かんでいるいかにも中国風な楼閣もある。楼閣といってもデザインがどこか近代的で、それらが巨大な岩山のあいまに絶妙なバランスで設置されている。
中にはまるで宙に浮かんでいるかのように、断崖絶壁に足場を組んだかのような絶妙な配置をされている建造物もあり、この都市の建築レベルの高さをうかがわせている。
また街路を見渡すと植物の数が多いことに気づいた。
街路樹のように規則的に配置されているのではなく、まるで地面から自然に生えているかのように、アンバランスに木々が乱立している。種類もヤナギや広葉樹、背丈ほどの小さな木などばらばら。
また木々のそばの地面もまた苔生しており、そこからところどころ色とりどりの花が生えている。
そしてその手前に石畳が植え込みに遠慮するかのように設置されている。
一見ブロックのような敷石が不規則に並んでいるように見えるが、よく見ると何らかの規則性を思わせるような並び方をしており、ほとんどすき間がない。また転ばない程度に表面をうまく整えてある。
昔写真で見たインカ帝国の石垣もこんな感じだった。
つづいて俺は街をゆく人々に着目した。あまり人通りは多くなく、1人ひとりをよく観察することができる。
大昔の中国風の衣装を着た人物から、チャイナ服のようなもの、人民服のようなもの、中にはスーツとおもわしき服を着た人物もいる。
てんでんばらばらの衣服を着ているのにかかわらず統一感を感じさせるのは、その衣服が白、あるいはごく薄い色でまとめられているからだ。黒や濃い色の人物を見ることは全くと言っていいほどない。
また一部を除いてみなが真っ白な頭髪をしている。アルビノ(生まれつき髪や皮膚の色素が薄い体質)だろうか。これがこの種族の身体的特徴らしい。
「希薄」。それが俺から見たこの街の人間の印象だった。なんだか表情もあまり感性の豊かさを感じさせない。呂のような大げさな人物はひょっとしたら少数派なのかもしれない。
俺はそんな人々の中に、極めて異彩を放つ人物がいるのを見つけた。いや、他の人々の色彩が薄いせいで、ごく普通のファッションが異様に見えてしまうとは。
その人物はこちらに向かってきた。茶色ロングブーツに白の少し長めのスカート、そして上は赤いブルゾンのようなものをはおっている。
そして顔は、おお……金髪の西洋人じゃないか。こんなチャイナくさい街で西洋人に会えるなんて思いもしなかった。まるで外人仲間に出会ったかのような気分だ。
長いブロンドヘアはなぜか前髪だけが三つ編みのようにして両サイドでまとめられていた。
彼女は軽く手をふりながらこちらまで近寄り、俺の目前まで来たところで両手を前に組んで話しかけてきた。
「こんにちは、『ウィグネヴィア・ハルヴァティー』です。あなたがわたしたちの新しい仲間ですね」
そう言って彼女は左手を差し出してくる。どうやら握手慣れしていないらしい俺は多いにとまどいつつ、ぎこちなく握り返した。クスクスと笑う彼女の手からぬくもりが伝わってくる。
近くで見た印象は俺をさらに喜ばせた。顔はどちらかというと日本人好みのベイビーフェイス、また身長178センチの俺より若干低い。ヒールも高くないので160センチ台だろう。
またこの娘、笑顔が似合うのなんの。俺は照れくさくほほ笑む顔を手で隠した。
「どこから来たんですか? いきなりこちらの言語をしゃべれるのも不思議なんですけど」
俺は一瞬困った。我ながら相当デレデレになってるじゃないか。
「……日本からだ」
すると彼女の口調が突如として変わり、ハイテンションでまくし立て始めた。
「えぇっ! まじっ!? うそぉっ! 『ぼく』、日本語しゃべれるよぉ!」
かなり流暢な日本語。しかもタメ口。しかも「僕女」。
ロングストレートの金髪で「ぼく」と言われてもなんかちがう気がするのだが、それが彼女の日本語力なのだろうと、あまり気にしないことにした。
「……ああ、どこで日本語を覚えたんだ?」
俺がしどろもどろで答えると、彼女は胸のあたりで指を組んだ。目がななめ上を向いている。
「ええっとね。小学校のころの6年間、ずっと日本に住んでたの。そのときに覚えちゃった!」
……かわいらしい。俺は心の中でかぶりを振って質問を続ける。
「日本のどこだよ」
「横浜! 中華街のあたりだよ!」
彼女は胸に手を当てて答えると、少し困った顔をした。
「そういえば『師父』からまだ名前聞いてないの。お名前は?」
「葦原佐久弥だ。師父って誰だ?」
俺が問いただすと彼女はこっくりとうなずいた。
「呂洞賓さんはここでは師父って呼ばれてるの」
そのあと彼女は少し前かがみになっておれの顔をじっと見つめた。
「そうそうアシハラ……あっごめんぼくは人を呼ぶとき名前で呼ぶのね。アシハラさんはどこの出身なの?」
俺は出身場所を言うのに困った。とりあえず廉雅の出身地でいいだろう。
「京都……」
すると彼女は何か気付いたかのように眼を丸くする。
「そうなの? なんかキョウトの人って、たしか『カンサイベン』とかいう言葉使うんじゃなかったっけ?」
どうしよう、ますます困ってしまった。俺はある程度打ち明けることにした。
「じつは新人なんじゃなくて、記憶喪失なんだ。わかっているのは自分の名前ぐらいで、本当に京都出身なのかもわからない」
すると彼女は驚いた顔で、
「えっ! キオクソウシツなんてホントにあるの!? うそでしょっ!?」
俺は思わず吹き出してしまった、とたんに彼女は不機嫌な顔になる。
「なんか文句あるの?」
俺は笑いながら言った。
「いや。空に浮かぶ街の人間から、そんな言葉が聞けるとは思わなかったからな」
「フンだ! そんなこと言うんなら、街案内なんかしないっちゅうの!」
彼女は腕を組んですねる。ジェスチャーは日本仕込みだろうか。俺は手を挙げて恐縮する。
「いや、悪かった悪かった。街案内、頼むよ」
するととたんに彼女はコロッと表情を明るくする。
「じゃついてきて。あんまし面白いところじゃないけど、『イチゲンさん』には見どころマンサイだよっ!」
俺は後ろに振り返った彼女に声をかけた。
「ちょっと待った。あんた名前なんだっけ?」
すると彼女ふり返っていきなりこう言った。
「『ウィグ』って呼んで」
「よろしくウィグ(変わった呼び名だな)。ファーストネームで呼んでほしいなら俺も佐久弥と呼んでくれ」
それから俺は彼女の案内をうけながら、蓬莱の街を散策して回った。
俺は歩き回りながらウィグの説明を受けた。
「蓬莱はいくつかの階層に分かれた円形都市で、それぞれに高層ビル型の住居や施設がバランス良く配置されているの。
ぜんぶ回ろうとすると半日かかっちゃうんだけど、ところどころショートカットみたいなのがあって、行きたい場所にあんまり時間をかけないで移動できるようになってんだよね」
「ショートカット?」
彼女は顔だけ後ろを向いて答える。
「じゃあいっぺん乗ってみる?」
俺は彼女が指を指した方向を見た。通路の外側にはみ出すようにして石造りの休憩スペースのような場所があった。
いくつもの立方体を重ね合わせたようなデザインで、椅子のようなものさえ立方体をちょこんと乗せただけのような簡素な造りだった。
しかし、その休憩所に俺は強い違和感を覚えた。
「……宙に浮かんでるように見える」
「『ように見える』んじゃなくて、この『ゴンドラ』は本当に宙に浮かんでるの」
その言葉で俺はぎくっとした。
近づいてよく見てみると、その休憩所は文字通り「宙に浮かんでいた」のだ。文字通り空飛ぶゴンドラか。ゴンドラのそばの手すりから下を見下ろすと、眼もくらむような断崖になっている。
「よし! じゃあひとまず乗ってみよ~!」
そういってウィグはいとも簡単にゴンドラにピョンと飛び乗った。
しかし俺はそうはいかなかった。なぜ躊躇したかというと、通路とゴンドラには10センチぐらいの隙間があったのだ。当然そこからも断崖が見えていた。
「怖いの?」
ウィグが意地悪くほほ笑みを浮かべる。俺は素直に白状した。
「当然だろう。俺は初心者にしては落ち着いてるほうだと思うぞ」
そういって怖気づいていると、見知らぬ白服が2人ゴンドラに乗ってきた。
「はやく! 待たせちゃだめだよ!」
彼女はあわてて手招きする。どうやらこれを待っていたらしい。俺はだまされた気分になってゴンドラに乗った。そして中央に立ったとたんゴンドラが動き出した。
「……何にもしないで動き出したぞ」
やたらキョロキョロとしている俺に対し、彼女はとぼけたような顔で答えた。
「ゴンドラが乗ってる人たちの思考を読み取って自動で動いてくれるの」
俺は腕を組んで眉を寄せた。
「人工知能でも積んでんのか?」
すると彼女も腕を組んで眉を寄せた。
「それがちょっと複雑なんだよね。この石は不思議な力を持っていて、“ぼくたちのアビリティを別の方面に変換することができる”の。
それ以外に何の機能もなし、考える機能はあくまでぼくたちの頭のなか」
そう言ってウィグはこめかみのあたりを人差し指でつつく。おれはうなずいた。
「アビリティの変換か。そういや呂洞賓とかいうのも耳にそんなのつけてたな」
彼女は思いついたように耳に手をあてた。彼女の耳には彼とまったく同じ色と形のイヤリングがついていた。
「『チャネル』のことね。ぼくらが生まれつき持ってるアビリティ能力は、やり方次第でいくらでも中身を変えることができちゃう。
魔法みたいなものを思い浮かべるとわかりやすいかな。最初は文字通り願いを言葉にして唱えてたんだけど、面倒で時間がかかるからいろんな方法が生まれたの。特別な言葉を使ったり、踊ったり。
で、一番有効だったのが道具を使う方法」
そういえば特別な力を持った道具は、世界中の神話の中にみられる。どうやらその正体はこれらのようだ。
「それだけでこんなすごいことができるのか」
俺は周りを見回した。足元の岩場が動いているというより、街全体が動いているように見える。
周りの岩場があまりに大きすぎて、いまにもぶつかりなくらいに迫ってくる。
「うーん、このゴンドラの場合は、自然界の力も利用してるから、一概にそうは言えないんだよね。
いくらメイジつったって、マンガみたいなバカ力が出せるわけじゃないし。あっそうだ。あれ見てもらっていい?」
彼女が指を指した方向をみると、なんだか見覚えのある物体が眼に映った。
両端に皿をぶら下げた巨大な棒が、シーソーのように動いている。
「天秤だ」
「そ。あれを使って移動する方法もあるよ。でもあれ不便なんだよね。天秤の両側に人が乗って、重たいほうしか移動しないの。
だからものすごく時間かかるの。ここの住民ってホントに時間気にしないよねっ!」
彼女が腕を組み、わかりやすくほおを膨らませるのを見て、俺もニヤニヤした。
「あっちも見て? もっと変わったショートカットもあるよ。
この街は水源を霧からとってるんだけど、、それを全部一緒に集めて、滝みたいにしてる場所があるの。で、その滝を利用してつるべ落としみたいな観覧車を設置しているの」
「水がかかんないか?」
すると彼女はこっちを向いてわざとらしく怒って見せた。
「そう! 水がかかってチョー冷たいんだよね!
だからぼく基本ショートカットはこれしか使わないの! サクヤさんもきっとそうなると思うよ!」
俺は笑いをこらえてうなずいた。ウィグはそれをみて少しいぶかしむ表情をとったが、俺は無視した。
しばらく歩くとどうやら郊外に出たらしく、一体は農園へと変わっていた。
「ここではいろんな作物を育ててるの。肥料は何を使ってると思う?」
「さあ、なんだろ?」
心当たりは1つしかないのだが、俺はわざとトボけた。
すると彼女は俺の耳に顔をよせた(つま先立ちになるのが可愛い)。
「……人のウンチ」
いたずらに微笑む彼女をたしなめた。
「こら、女の子がそんなはしたない言い方するんじゃない。
……まあそうだとすると迂闊に畑に落ちれないな」
かかとを落としたウィグが両手を後ろで組んでふてくされてみせる。
「なんかその言い方、オジサンくさい。一応バクテリアで分解してるんだけど、確かにあんまし近づかないほうがいいかもね。でもあんまり離れてても良くないよ」
「ああ、空中都市だから落ちちゃうかもな」
彼女はうなずいて、畑の反対側の手すりを眺めた。たしかにあの先を超えると何もないというのは怖い。そこで俺たちはそろって肩を震わせたので、お互い吹き出してしまった。
「なんでだろ。サクヤさんおとなしそうなのに話が合う」
「いや。いまは混乱してるだけで、ホントはけっこうやんちゃな性格なんだけどな」
「ホント!? ぼくやんちゃな人大好き!」
なに、それ俺口説いてんの? とは言わず別の突っ込みをした。
「あと名前は呼び捨てでいい。ファーストネームでさん付けされるのは違和感がある」
「わかった。……サクヤ、ってなんだか変な名前だよね」
「それはおたがいさまだっつうの。佐久弥は本来女性につける名前らしいんだが、さっきも言った通り記憶喪失だから理由はわからない」
そう言うと彼女は少し残念な顔をした。
「あ、なんか悪いこと聞いちゃった」
「いいや、気にすんな。それより気になることがあるんだが、あの建物はもともとなんなんだ」
俺はこの街で一番高い建造物を指差した。
ここから観察すると、なんだかぶっとくてうずたかく屋根瓦が何層にも重なっている。そこからいくつもの飛行物体が行ったり来たりしてる。
「えっ、あのサクヤが出てきた建物? わかってると思うけど、あれはこの街の中央塔なの。
『太極塔』っていって、市役所も兼ねてるんだよ」
「そんな名前の建物だったのか。それにしてもいろんなところを行ったり来たりしてたから、方向感覚がわからなくなっちまった」
「うーん、そんなでっかい街じゃないから、すぐに慣れると思うよ」
「じゃあもう少し案内しくれるか? まだ北東のあたりを見てないんだが」
俺がそっちを親指で指すと、突然彼女の表情が妙に曇った。
「……ごめん。ぼくあのあたりいろいろあって好きじゃないんだよね。悪いけど後で地図調べてくんない?」
なぜだろう。彼女はその場所に関して相当良くない思い出があることが手にとるように分かる。
でもその感覚が「アビリティ」とかいう超能力を使ってわかったものではないような気がする。
「わかった、あと紹介したい場所があったら言ってくれ」
すると彼女はパッと表情を変えた。どうやら気が変わりやすいのではなく、もともとハートが強い女性のようだ。
「うん! この近くにすっごくキレイな色をした池があるの! そこで一休みしよっ!」
彼女の言う通り、そこは透き通った紺碧の美しい池だった。
霧がかった天候とは真逆の鮮やかな色彩は、どうやら中に特殊な色素が混じっているからだろう。中をのぞくと非常に透明度が高く、何やら魚や倒木、白い花が咲いた水草などが浮かんで見える。
その中の桟橋の中央にある楼閣、そこに設置してあるテーブルに腰を落ち着けた。
周囲の白と深い青のコントラスト。俺は目の前にある絶景を眺めながら言った。
「たしかに見ごたえのあるわりには、一回まわっただけで飽きちまうような街だな。何度も来たいと思うのはここぐらいだ」
「でっしょぉ! ぼくもずっとここに暮らすなんて考えらんない!」
そう言われて俺は少し驚いた。でもすぐに納得した。たしかに彼女にこの街はそぐわないな。
「いつもはどこに住んでるんだ」
「香港。ぼくあの街のカオスって感じが好きなんだよねー」
細い指でこれまた細いあごに触れて物思いにふける感じもかわいい。
「へえ、てっきりアメリカ在住だと思ってた」
「うーん、おしい。生まれたころはカナダに住んでたの。でも今は香港のほうが大好き!」
そう言って彼女は両手をいっぱいに広げた。ここは香港じゃないのに。
「でもあの街今じゃ中国人だらけだろ。浮いたりしないのか?」
「ん? でも友達いっぱいいるよ!」
そういったとたん、彼女は突然落ち込みだした。
「でも、たぶんあの街住めなくなるんだよね……」
「どうした? 移住しろって命令でも来てんのか?」
「そうじゃなくて……あ! ひょっとしたらこの話、絶対聞いたほうがいいかもしれない! でもなあ。うーん、(彼女は頭をかきむしった)ああ、ちゃんと言わなきゃ!
ねえ、『世俗粛清計画』って知ってる!?」
かわいい娘からあまりに仰々(ぎょうぎょう)しいキーワードが出てきてしまって、俺は心底おどろいてしまった。
「……なんだそりゃあっ!?」
すると彼女はさらに落ち込んだ。まるで悪い予感が当たったかのように。
「そっか、知らないよね。呂師父もさすがにそこまで言えないか……。ぼくも口が重くて言えないんだけど……」
「大丈夫だ。怒らないから話してくれ」
「うん……」
次回から話の表記が変わります。