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サイクルの偶然性

講堂から教室までの道のりでも、彼女の姿を見つけることは無かった。


俺はもったい無いような、逃がした魚は大きい、そんな気分になった。


これといって彼女の外見がタイプだとか、一目惚れだとかそんな感情を持っていた訳では無かった。


ただ、あの瞬間、刹那的に感じたあの美しさが、自分自身の中で深く心に刻み込まれ...簡単に言えば、

「彼女自身を追い求めている訳ではなく、あの瞬間の中の彼女を追い求めている。」、そんな感じだった。


自分自身、女ったらしだとかそういうタイプでは無かったので、たった一瞬目があっただけで、これ程魅了されるのはおかしい、などと考えていたら、教室にはすぐに着いた。


黒板の周りに人だかりができて、なんだろうかと覗いたら、席順が出席番号で割り振られた表が貼ってあった。


指定された席に座り、体の力を抜いていたら、それと同時に、自分の机の上に突っ伏して、深い深い睡眠(ねむり)の時間に入ってしまった。


ドスン、という音とともに、凝縮された意識の中で、身体が意識の言う事を聞かない疑問感の、落とし所を探っていた。


昨日の夜、引っ越してきた荷物の整理を遅くまでやっていたことや、入学式が暇で暇で仕方なかったなど、突然の睡魔の原因を探っているうちに、意識はどんどん鈍って行った。


クラスの、人間関係に、一歩、遅れて、しまっ、た、、、。


そのまま意識は、暗い溝の底に落ちていった。


原因の分からない、理不尽な睡魔に襲われたと思えば、俺をそこから引き戻したのも、また理不尽なものであった。


今度は下方向から、ドスン、という轟音とともに、何やら(多分俺に対してだろう)文句を吐き続ける中肉中背の男性が、目の前にいた。


彼こそがこのクラスの担任、東寺だった。


入学初日から、生徒達に舐められたくないのだろうか、それとも入学早々、教師が目の前に立っても起きない俺を見て、舐めていると思われたのだろうか。


どっちにしても理不尽に机を叩き蹴り、生徒を叩き起こす教師を見て、俺の中の評価はあまり高いものでは無かった。


しかし教室は、雷が落ちた後の森のように、しん、と静まり返って、東寺の叫び声だけが響き渡っていた。


俺の記憶の中(眠る前だが)では、教室内には多少のざわつきがあり、活気に満ちていたはずだが、今はこうだ。


大方、東寺はこのざわつきを抑えるためにも、都合良く爆睡していた俺の机を蹴り上げて、見せしめにでもしたのだろう。


生徒達を尊敬でなく、恐怖でまとめ上げる教師、人間的には尊敬できんが、効率の面で考えれば、合理的かもしれない。


第一、教師の仕事は生徒にものを教えることであり、生徒から好かれることではない、なんて考えていると、東寺が黒板の方を向いている隙に、ちょんちょん、と隣の席から指で机を軽く叩かれた。


「よかったら、これいる?」


ひっそりと、女の子の声だろうか、眠け覚ましの目薬のようなものを、そっ、と差し出してきた。


爪は、昨日切ったばかりのように整っていて、指は、女の子らしくさらりとしていて綺麗で、持ち手を机に隠すように、手首をちょこっと曲げていた。


「ああ、ありがと」、と手を伸ばし受け取ろうとして、顔を上げた。


黒のストッキングを履いた足が、ちょこんと閉じられていた。


穏やかな春の息吹。


入学式の時の、黒髪のショート・ヘアー、あの子が目の前に座っていた。


その瞬間、俺の灰色の心は(またた)く間に桜色に染め上げられた。


あの刹那の美しさが、また、蘇ってきた。


おそらく彼女には、自分の顔を見て、唖然とする、不思議な光景が、見受けられただろう。


首をかしげ、不思議の意があるような表情だった。


それと同じく、東寺が振り向こうとすると、その手をそそくさと引っ込めた。


目薬を手に、またもや唖然とする俺を前に、人差し指を口元に近づけ、秘密だよ、と合図をするように、彼女ははにかんだ。


そんな中俺は、彼女に対する疑問感が、頭の中で堂々巡りしているようだった。


何故彼女に対し、これ程までの感情の高ぶりを覚えるのか。


実際今も、鼓動は高なり、東寺に怒鳴られた恐怖感など、どこかに飛んで行ってしまったようだった。


結局、入学式に受けた衝動が、心の中で残留し、彼女に対する印象を決定付けた、という結論に達した。


第一印象というものの、力強さをしみじみと感じながら、俺は隙を見て、目薬を差した。


予想以上に目にしみて、思わず声が出てしまいそうなのをこらえながら、目を食い縛って、その心地良い痛みを味わっていた。


彼女は口元に手をあて、くすっ、と笑ったようだった。


かわいい。


入学式の時のような、美しさではない。


今、一人の女の子として、くすりと笑った彼女の仕草に対し、可愛らしさを感じたのだ。


恋をしてる、というわけではないが、彼女に対し、ある種の好感を覚えたのは確かだろう。


目薬を返し、お互い小声で礼を言いあった。


友達、が出来た。


一方的かもしれないが、そんな感じがした。






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