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桜色ルージュ

あらすじのような感じでやっていけたらなーと思います。初心者なので至らない点が多くあると思いますが、皆様の意見や批評を糧に日々精進して行きたいと思います。

心の若葉マークを剥がす日が来るまで、皆さん応援どうかよろしくお願いします!!

桜の木の下には死体が埋められている、なんて話は、手垢で汚れた古本屋の推理小説並みに、人々に慣れ親しまれてきた話だ。


もし真実だとすると、全国何万本の桜の木の下に死体が埋められているのであろうか。


それこそ、歴史の暗部に屠られた大量虐殺が、垣間見得てしまいそうだ。


したがって、そんなひょうきん奇天烈(キテレツ)週間フライデーな戯言は、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、風の前の塵に同じ、限りなく広がる噂話の海の中に、埋もれゆく運命(さだめ)であった。


しかし平成のこの世、3G回線の檻の中で、桜を見るたびに会話の槍玉に上がって、人々の冷笑の的となっているこのエピソードは、遥かなる時を経て、我々の目の前にあるこのゴシックは、時の試練に打ち勝つだけの一体何を持っているというのだろう。


答えは簡単だ。


金華高校入学式、数多の女学生がその忌まわしき妖樹の下で、背面に林檎マークのついた電子回路板を振り回し、


FLASH!

FLASH!!

FLASH!!!


例えどんな醜顔の持ち主だろうと、学生服を着こなし、その木の下で清ましていれば、世間様に顔向けできる一般的な()にはなる。


つまり、目視的健康上(・・・・・・)よくないフラッシュを焚きまくる彼女たちは、「自分をいかに美しく見せるか」という1つのテーマを限りなく探求し続ける芸術家なのである。


だからこそ、その薄紅色の恩恵にあやかろうと、入学前から電子の海で見ず知らずの人間と出会い、5、6人の集団で銃弾のように飛び交う言葉の波を自在に操り、約束事の絨毯爆撃を決行する、そんなマトリックスを乗り越えた先に存在するコスモス、それが桜だ。


一房の花に賭ける、その執念や、あたかも人知を超えた超自然的、恐怪霊徒(オカルト)的な物を刹那的に感じ取ってしまうだろう。


それこそが、かの春花の妖艶の美の根底にある、真実だとすれば、無意識的に、人の死体の、1つ、や、2つ、くらい、(あるかもしれないなぁ〜)なんて気になってしまうのも、無理のないことである。


だからこそ、この形だけの、不毛な入学式なんて悪しき風習は、


桜の木の下の故人追悼式


と、したほうが、何倍にも有意義に感じてしまうのは、俺だけだろうか。


坊主のお経の様な、禿げ頭の校長の、意味のないスピーチは、俺の右耳から左耳、左耳から右耳へとすり抜けてゆく。


その中で俺は、講堂の扉の隙間から、絹の毛布のような暖かい日差しに照らされた、美しい春の花を、心ゆくまで満喫していたのであった。


ふと周りを見渡せば、ビシッと決めた式服に、コスメやブランド、バックに結婚指輪(リング)、そして紅色の口紅(ルージュ)をつけた親御さん(だいたい母)の方々が生徒用のパイプ椅子の隣に座っているのである。


だが俺の右隣には、貰った資料と春の日差しが、我が物顔であぐらをかいているだけである。


風通しの良い空間に、若干の心細さは年相応に感じたが、もしこの椅子に母が、(父もだが)座っていたと考えれば、それだけで木の下の遺体を掘り出して、その肝臓とそら豆を串刺しにして、白のシャブリ・ワインで一気に流し込みたいと思うほどに、僕にとって嫌で恥、重〜く喉に詰まるものなのだ。


彼らを「人物」としては尊敬しているが、親としては、(息子の俺が言うのもなんだが)失格であると、何時の時からか思い出したのだ。


俺の父は音楽で食っている。


と、言っても、売れないバンドマンや、自称ラッパーなどの怪しい類ではない。


今頃は、オーストリアのウィーンで指揮棒でも振っているところだろう。


世界的なオーケストラ指揮者であり、コンビニに行くように世界を股にかける男、それが父だ。


加えて俺の母は、転売で小金を稼いでいる。


と言っても何万トン単位の小麦を国と国とで売りさばく。


億単位のドルを、小金と言うならば、母は一般的な婦人であろう。


俺の父と母が、初めて六本木の高級立食パーティーで出会った夜、俺は母の胎の中で生を受けた。


金持ちの道楽(よあそび)で生まれた子供が俺だ。


最初は何気なく生きてきた。


たまに見るママとパパの顔は嬉しかったし、執事の加代は本当の親じゃないというのもわかっていた。


だけれど中学2年生くらいから、俺の本当の「親」は、たまに来ては欲しいものはなんでも買ってくれるあの大人たちではなく、日頃から俺を世話してくれてる加代なんじゃないかと思い始めた。


今までのぬるま湯のような生活の反動だろうか、俺は見事なまでにこじれて、捻くれたものの見方をするようになった。


それがきっかけとなり、俺は次から次へと、今まで自分の通ってきた道と、世間とのレールの、間違い探しに夢中になった。


結果として俺は、


(母は商人の才、父は音楽家の才、じゃあ俺はなんの才がある。今までの人生(みち)の中で、俺は自分の才に1つでも巡り会えたか。


駄目だ。


駄目だ。


駄目だ。


駄目だ。


駄目だ。


才だ。


世間で目立つ才がなくちゃあ、俺は金持ちに飼われるだけの道楽息子だ。


線路の上のモノレールだ。)


今まで宝物の様に積み上げてきたモノレール・セットをぐしゃぐしゃに破壊する俺を見て、加代は俺を病院に連れて行ったらしい。


だが帰りの車の中で、加代に全部、打ち明けたら、気持ちが楽になった。


ぽろぽろと涙が落ちてきた。


加代は雨の中のメルセデス・ベンツの車内で、何も言わず俺を抱きしめてくれた。


その時初めて、親の暖かさ、代わりのない安心感が分かった気がした。


道端に寄せた車は雨に打たれ、テールランプはぼんやり輝いていた。


加代は名前は女みたいだが、男だ。


髪は真っ白で、ひも付きの眼鏡と整ったスーツで、誰が見ても真っ先に浮かぶ第一印象は執事、そんな男だ。


若い時ラグビーのクォーターバックだったらしく、老いてもなお健全、そんな体つきだ。


しかも料理も超一流、だけど甘やかすなんてことは一切しない、おかげで今の俺の苦手な食べ物は、海老とイカ、これだけだ。


しかも情け無いくらい謙虚だ。


俺が入学式、両親の代わりで出席してよ、と言ったが、頑なに首を縦に振らず、恐れ多くもできないという感じだった。


あんな両親にも彼は敬意の念を抱いているのだ。金だけ振り込み、年に会うのは2、3回だけなのに。


挙げればきりがない、それぐらい人間味溢れた彼との別れは辛くないわけがなかった。

だがたかが380km、会おうと思えばいつでも会えるのだ。


それにここに来てから毎週必ず手紙を書いている。


その度便箋びっしり、庭の押し花と共に返事を送ってくれる。


そんな彼が大好きだ。


だが両親との溝はそのぶん深まった。


しかも彼らはそんなことつゆ知らず、中2以前の俺のまんまで俺に接してくる。


そんな態度が鬱陶しいのと、これは(さが)の違いだと思うが、テレビに出るほどの有名人なのに、2人ともサングラスや帽子の1つもつけないのだ。


幼い頃から神童として生きてきた彼らは、ちやほやされるのに慣れていて、いくらサインや握手を求められても全然嫌じゃないのだ。


だが俺はそんな状況が年を重ねるにつれ、死ぬほど嫌になってきた。


サインなんてひらがな4文字、しらよし、だった。


だから人前で親子という関係で彼らと一緒にいるのは死ぬほど嫌なのだ。


一歩距離を置いて赤の他人のふりをしたい。


内面も外面もそんな感じである。

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