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指先の温度 1

 泣きそうな表情の彼を見て、自然と苦笑が漏れる。


「大丈夫だよ。」

「.....待ってるから。」

「うん...」


 看護師さんに押され、車椅子が動く。病室を出て、向かう先は手術室。






 無機質な部屋に、様々な器具。

 中央の寝台に身体が寝かされ、被されたシートの冷たさが体温を奪っていく。

「これから、全身麻酔をします。

 次に目が覚めた時には全部終わってますからね。」

「はい...よろしくお願いします。」


 主治医の先生が私を安心させるため、笑顔で言った。その言葉に頷くと、私は目を閉じる。

 チクリと、注射の痛みを感じて、私は眠りに落ちた。












 私が入院している病院は中央に大きな樹が植えられていて、それを囲むようにコの字に建物がある。

 真ん中の大きな樹の下でフルートを吹くのがここに来てからの私の日課になっていた。

 桜が散って、徐々に蒸し暑くなってきた頃の事。


 この日もいつもの様に吹いていて、他の患者さんが時折足を止めてくれたり、看護師さんと一緒に聞きに来てくれるのを横目に、自分の奏でる音に耳を傾けていた。


 傾き始めていた太陽が沈みかけてきて、初夏とはいえ日が落ちるとまだ肌寒くなる。

 体が冷えないように、持ってきていたカーデを羽織り、しゃがんでフルートをか片づけていた時だった。

 手元に人影が落ちて、顔を上げると制服を着た少年が目の前に立っていた。


「あの、フルート、お上手ですね。」

「…ありがとう。一応、吹奏楽部でしたから。」

「……。」

「……。」


 立ったまま動かない、話さない少年を不思議に思いながら、あまり部屋に帰るのが遅くなると看護師さんから小言が飛んでくるので、フルートを分解してケースに納めていく。

 何回もやってることなので数秒で終わったその作業の間にも少年が立ち去る様子は無く。

 聞こえないように小さく溜め息をつくと、立ち上がって少年を見る。

 高校生だろうか、私より高い背にちょっと敗北感を覚える。


「私に、何か用ですか?」

「…。」

「何も無いなら、病室戻らないといけないので、失礼しますね?」


 冷たい対応だと自分でも思うけれど、看護師さんのお小言は本当長いし耳に痛いのよね。

 と言い訳を心の中でして、少年に一礼して帰ろうとする。


「あっ、あの!」

「はい?」

「また…聞きに来てもいいですか?」

「え、えぇ。」

「ありがとうございます!」


急な頼みに戸惑いながらも了承を伝えると、勢いよく頭を下げた後、少年は去っていった。


「……なんだったんだろ。」


嵐のようだと。クスリと笑って、私は病室に帰った。







その日から、少年は毎日やって来た。

夕方ごろに来て、ただ私の吹くフルートを静かに聞いて、最後に拍手と礼をして帰っていく。


そんな日が続いて、休日になった。

いつも制服の少年は学校が終わってからここに来てるのだろう。さすがに休みの日まで来ないだろう。

そう、思っていたのに…。


「…暇人なんですか?」

「酷いですね。」


いつもの場所に行くと、私服姿の少年がいて、思わず言ってしまった私の言葉に苦笑した。


「いや、だって、学生ですよね?」

「はい、高3になったとこです。」

「部活とか、勉強とかいいんですか?」


少なくとも私は高3のこの時期、部活で休日も忙しかった。


「部活は昼で終わりました。家帰ってご飯食べて、ここに。」

「…ここの病院に通院してたり?」

「?いいえ。」

「えっと…なら、なんで毎日来るんです?」

「あぁ。なるほど。」


私の言いたいことが伝わったらしく、怪訝そうな表情を浮かべていた少年が笑う。


「僕も吹奏楽部なんですよ。担当はフルート。

 それで、母が腰を痛めた付き添いで来た時に貴方の音が聞こえて、凄いなって。」

「……ありがとう。」


返答に一瞬詰まったのに、少年は気づいていないようで、ニコニコと笑う少年に私も小さく笑みを返す。


「でも、毎日聞いてて飽きないんですか?」

「全く?元々クラシックとかよく聞きますし、気に入った曲は何回も聞くやつなんで。」

「つまり、それって…。」

「貴方の音、好きだから毎日来てるんですよ。」


無邪気な笑顔と素直な気持ちに、照れる。


「どうかしました?」

「…なんでもないです。」


赤くなってるであろう頬を隠すように、俯いた私に少年が不思議そうに問う。

…この子これ、無自覚でやってるのか。


1つ深呼吸して気持ちを落ち着かせると、顔を上げる。


「ねぇ、どうせなら何かリクエストとかあります?」

「…いいんですか?」

「ずっと同じ曲ばっかりなのも、新鮮味に欠けるな。と。

 感覚が鈍らないように日課にしてるだけで、吹くなら何でもいいんですよ。」

「なら、お言葉に甘えて。」


スラスラと出てきた数々の曲名は幅広くて、かなりマイナーなのもある。


「全部分かります?」

「はい。私もクラシック、よく聞きますから。いくつかCDもありますし。」

「…よかった。部活仲間に言っても「何それ」って言われたことあったんで。」

「結構マイナーなのも言ってましたもんね。いい曲ですけど。」

「ですよね!!」


パッと明るくなった表情と、絶えない笑顔に、素直な子なんだなと、自然と笑みが浮かぶ。


その日は、少年のリクエストの曲を吹いて一日が終わった。

リクエストしてくれた曲全ての楽譜を覚えてはいなかったから、スマホで検索したりして。

それでも全部吹くことは出来なくて、また次来た時に家にある楽譜を持ってくると、そう言って少年は帰って行った。




「寒くなったら中に入るように。っていつも言ってるでしょう?」

「ごめんなさい。」

「あら?何かいいことでもあったの?」

「?」

「いつも私が色々言うと拗ねた顔するのに、今日は楽しそう。」

「……そう、ですね。楽しかったです。」

「良かったわね。」

「はい。」


言っていた次は明日だろうか?それとも日曜は流石に来ないだろうか?

いつも病室に向かう時とはどこか違う気持ちを抱えて、私は部屋へ帰って行った。





次の日、少年は来なかった。

半分は期待していて、少しがっかりしたけれど、仕方ないよね。そう呟いていつもみたいにフルートを吹いて1日が終わった。


開けた平日、この日は朝から雨が降って、私は病室で本を読んで過ごした。

私がいる部屋からいつもフルートを吹いてる場所が見えるから、本を読む合間にチラチラと外を見る自分に気づいて苦笑した。



その次の日、少し雲は厚いけど、雨は降らないみたいで。

昨日の雨で気温は普段より下がっているけど、先生の許可も出たのでフルートを吹きに行く。

いつもはあっという間に過ぎる時間が何故か遅く感じて、途中で吹くのを止めると、樹の下のベンチに腰掛けて大きな樹を見上げる。


なんで気分が乗らないんだろう。

嫌なことがあっても、フルートを吹いたら音に集中出来ない時は無かったのに…。


「あの…何かあったんですか?」

「っひゃ!?」

「あ…すいません。」


ぼーっとしていたらしく、急に後ろから声をかけられて大げさに肩が跳ねた。

振り返ると、少年が立っていた。

いつもより早い登場を不思議に思いつつ、ほっと一息ついた。


「びっくりした…。」

「フルート、吹いてる時でも僕のこと気づいてたんで、てっきり…ごめんなさい。」

「大丈夫です。ちょっと考え事してただけなんで。」

「…お久しぶり、です?」

「…です、ね。」


どこか互いに不思議そうに交わした挨拶がおかしくって、2人して笑い合う。


「部活、お疲れ様です。」

「ありがとうございます。」

「それ、フルートですか?」

「はい。今日からテスト1週間前なんで、部活はしばらく無いですね…。」


いつもリュックだけの少年の手に、私が持ってるのと似たようなケースがあって、聞くとテスト週間に入って楽器類は各自持ち帰りらしい。

だから今日は早かったのか。


「テストかぁ…、懐かしい。」

「…失礼ですけど、いくつなんですか?」

「直球ですね。貴方の1つ上ですよ。ここに居なかったら大学1年です。」

「……。」

「元々心臓が強くなくて、今年の春休み中に倒れちゃいまして…経過を見ながら今 後どうするか決める。って感じですね、今は。」

「…すいません。」

「謝る必要無いですよ?

 ま、せっかく第一志望合格したのに。って気持ちはありますし、寒い時とかは 外出れないですけど、吹くことを止められはしてないですし。」


 それでも浮かない顔の少年に、色々遠慮なく話しすぎたかなー。と心の中で思うと、少し大げさに立ち上がって、笑顔を向ける。


「自分で言っておいてなんですけど、暗いのは止めましょ。

 そんなことより、持ってきてくれました?」

「へ?」

「楽譜ですよ、楽譜。まさか、忘れてませんよね?」

「あ、はい。もちろん持ってきましたよ。」

「早く見せてください!」

「…。」


 手を差し出すと、難しい顔をして少年は黙り込んでしまった。


「何ですか?」

「いや、ちょっと意外で」

「意外?」

「もっとこう、冷たい人かと…。」

「…そんな風に思われてたんですか、私。

 まぁ、好きなもの前にしないとテンション上がりませんけど。」

「楽譜、好きなんですか?」

「はい!

 モーツァルトにベートーベン、エルガー、ショパン…。かつての作曲家たちが思 いを音にして、それを今、私たちが受け取って弾ける…。こんなに素敵なことっ て他にあります?

 楽譜は私たちに彼らがかつて描き、聞いた音を伝えてくれるんですよ!?」

「僕も、そう思います。」

「ですよね!」

「……に………よ……た。」

「何かいいました?」

「いえ、何も?」


 どこか含みのある少年の笑顔に小さな疑問を抱くも、私はまだ見たことのない楽譜の数々に心躍らせていた。



 少年の持ってきた楽譜の本は十数冊あって、全部見たい気持ちを抑えて本をめくる。

 一冊一冊に覗く付箋のページを開くと、少年がリクエストしてくれて、あの時吹けなかった曲が載っていた。


「この付箋…。」

「昨日、雨で来れなかった分暇だったので。」

「勉強しましょうよ、受験生なんですから。」

「……。」

「探す手間省けて私は楽ですけど、テスト前なんでしょう?」

「…早く貴方が吹く音で聴きたかったんで。」

「っ。」


 …そんな、顔赤くして言われたらこっちだって照れてしまう。

 あれこれ言ってしまったせいか、同時に拗ねた様子の少年に、私の世話焼きの部分が出た。


「付箋、ありがとうございます。助かりました。

 でも、そのせいでテスト駄目にされるのは嫌です。」

「…まだ、1週間前ですよ?」

「もう1週間前。ですよ。何の為に部活が休みになるんですか。」

「部活がないから、いつもより早くここに来れるって思ってたんですけどね。」


「……はぁ。気持ちはとてもありがたいし嬉しいです。

 ならこうしましょうか。」

「?」

「テストで点数取れたら、リクエストの残り吹くことにします。

 楽譜見て直ぐにスラスラ吹けるほど私も上手くないんで、2週間あれば全部、 ちゃんと吹けるようになるでしょうし。」

「え………。」

「勉強は嫌いですか?」

「好きな人なんていないでしょう。」


 明らかに拗ねてしまったようで、仏頂面の少年に可愛いと思ってしまう。

 言えばさらに機嫌を損ねてしまうから、心の中に留めておくけれど。


「分からないところは私が教えますから、ちょっと頑張ってみません?」

「は?」

「流石にご褒美用意しておいて、後は「はいどうぞお好きに。」なんて真似はし ませんよ。」

「いや、そういうことではなくって…。」

「学力の面ではご心配なく、そこそこの進学校で上位10位以内にはいつもいま したから。」

「凄いですね…。って、え?」

「何を戸惑うことが?

 貴方は私の曲が聞ききたいんですよね?その為にはテストを頑張らないといけ ない。そして、テストで点 を取る為に知恵を貸すって言ってるんですよ。」


「いや、急すぎませんか?色々と。」

「…じゃあ本音いいますね。

 フルート吹けるとはいえ、病院生活ってすっごく暇なんですよ。

 私の日常に変化をくれませんか?貴方にとっても悪い話じゃないですよね?」

「あー……。はい、分かりました。僕に拒否権は無いんでしょう?」

「バレました?」


 少年がなんと言おうと、吹くことと、勉強を教えることとを条件にして、私は一切譲る気は無かった。

 だって、退屈だった今までが、少年といると楽しいと思えたから。

 テスト期間で、会えなくなるのが少し、寂しいと、思ったから。


 笑って差し出した手に、少年の手が重なって、じんわりと伝わる熱が、少し肌寒い中心地よかった。

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