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竜珠の花嫁  作者: 理子
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6

 ヴァレリーは待ち合わせのカフェで一人、ぼんやりと昨日の話を振り返っていた。


 とっさに思いついた自分の提案は荒唐無稽と言ってよいものだった。

 しばらくの間、レンに自分の婚約者の振りをしてほしいと頼んでみるつもりだとケイナに伝えた。

 振りと言っても、うぬぼれるわけじゃないが仮にも自分の婚約者となったら色々と噂になるだろう。

 見返りは十分に用意するつもりだ。

 その旨を伝えると、ケイナは笑顔で快諾した。


「候のお噂はかねがね伺っております。夜会の度に違う女性を連れていらっしゃる割に、結婚の話となると途端に手を返すように冷たくなる氷のようなお方だと。確かに竜珠を監視するには彼女ごとそのまま手元に置いておくのは良い考えだと思われます。それに彼女を連れて歩けば夜会の虫よけにもなりますしね」


 王からの命令で断り切れず、毎回違う貴族の令嬢のエスコートをしていただけなのだが、笑顔で快諾したはずのケイナの言葉の端々に心なしか刺々しさを感じる。女性側からすればとても失礼な話だということは重々承知だ。

 28歳になるというのに将来を誓った女性がいないヴァレリーは、貴族の令嬢たちからすれば絶好の結婚相手候補だ。帰城してからというもの、以前よりも増して毎日のように各方面から釣書が届くので、この頃は本気でうんざりしていたところだったのだ。


 問題は、当の本人と言葉が通じないことだった。

 これからどうやって意思の疎通を図ろうか思いあぐねていると、竜珠の気配が近づいてくるのがわかった。

 持ち主の感情までは伝わってこない。相当強い感情でなければ伝わらないものなのかもしれなかった。

 授業が終わった二人が図書館から出てこちらへ向かって歩いてくる姿が見えた。



  *********


 お店に入るとヴァレリーがどこに座っているのかすぐに目に入った。大きな硝子窓の横のテーブルで足を組んで佇んでいる様が絵になっていて、睡蓮は思わずちょっとだけ見とれてしまった。

 背が高いだけじゃなくてスタイルが良いんだ、この人。手足が長い。

 そんなことを考えながら彼の座っているテーブルへ近づいていくと、店内の奥まった席に座っていた彼は音もなくすっと席を立ち、睡蓮たちのために椅子を引いてくれたのだった。

 思わず小さく会釈をすると、この世界では頭を下げることは謝罪のみらしく、ヴァレリーは目を軽く見開き、首を少しかしげながら軽く頷いた。

 睡蓮は男性に椅子を引いてもらったりなど、そういうことに慣れていないので、お尻が背もたれにぶつかってしまいながらもぎこちなく椅子に座った。


「こんにちは。今日はお忙しいところ、わざわざお時間を取っていただきありがとうございます。私の名前はヴァレリー・リブタークと申します」


 ヴァレリーはゆっくり丁寧な言葉づかいで睡蓮に向かって話しかけた。睡蓮には、「こんにちは」と「ありがとうございます」と自己紹介のフレーズのみ聞き取れた。不思議なことに、自分で書ける言葉は聞き取れるようで、英語が聞き取れるようになった時の高揚感を思い出した。


 しばらくの間、婚約者の振りをしてほしいと前もってケイナから聞かされていたけれど、実際、目の前にいる彼を見ると、とても女性に不自由しているようには見えなかった。

 見慣れない銀色の瞳には全く愛想が浮かんではいないし、無表情のままでいられると怖いけれど、全身から漂う何か人を惹きつけるオーラがある。

 きっと一定数の女性からはとてつもなく好意を抱かれるタイプなんだろうと察する。

 でも男性恐怖症の自分には、今後一生縁のないタイプだと睡蓮は思っていた。

 自分のこの病気を治すには、こんなふうに取っつきにくい感じじゃなくて、もっと優しい人とじゃないと無理。また高倉誠のように豹変されたら今度こそ立ち直れなくなりそうで怖かった。


「―――レン? 大丈夫?」

「え、あ、ご、ごめんなさい。何?」


 二人の顔を交互に見やると、ケイナに小声で挨拶、と言われる。そうだ、相手に名乗らせてこちらは無言だなんて失礼だった。


「昨日はどうも…。えと…レンと言います…」


 歯切れの悪い簡素すぎる自己紹介に、ケイナがすぐさま助け船を出してくれた。


「ヴァレリーさん、彼女はレンというの。ええと…ちょっと言いにくいんだけど、彼女、昔のことを覚えていないみたいで…」


『記憶喪失なのか?』


 ヴァレリーがそうたずねると、すぐさまケイナが記憶喪失なのかと聞いてると小さな声で教えてくれた。睡蓮が小さく頷くと、ケイナはヴァレリーに向かって話し出す。


「みんなが知ってて当たり前のことを彼女、覚えてないのよ。だから例の件をお受けするには、全くの一から貴族教育をしなくちゃいけなくなるわ。貴族の振舞い方やマナー、そのあたりはあなたのお屋敷の執事に頼むとして…」


『そうか、じゃあ俺も城の官舎ではなく、屋敷の方へ一旦戻らなければいけないな』


 ケイナの提案に頷きながらヴァレリーが何やら話を進めだした。睡蓮は本当は直接面と向かって断ろうと思っていたのだが、どんどん話が膨らんでいるようでいつ口を挟めばいいのかわからなくなってしまっていた。


「ねぇ、ケイナ…ちょっと二人で話がしたいんだけど」


 こんな流れになる前に、二人の時にもっとはっきり断るつもりだと言っておけばよかった。

 後悔先に立たずの気持ちでケイナの袖を小さくつまむ。


「大丈夫よ。レンは婚約者が見つかったって言えばいいだけの話じゃない。いつまでもお世話になっているわけにはいかないでしょう?」


 ケイナは睡蓮の話なんて聞く耳持たずの体で、正論を述べてくる。


「そりゃそうだけど」

「はい、じゃあ日も暮れてしまうから私はこれで失礼するわね! じゃ、ヴァレリーさん、頑張って!」


 ケイナは言いたいことを言い終わるとあっという間にカフェから出て行ってしまった。

 思わず二人で目を合わせて、お互いに困った顔をして肩をすくめた。


『…レン?』


「は、はいっ! なんでしょう、ヴァレリーさん」


 名前を呼ばれて慌てて背筋を伸ばして彼の次の言葉を待つ。ヴァレリーは少し考えるような仕草をしたのち、上着を着る動作をして、店の外を指さした。


『とりあえず、店を出よう』


 カフェを出ると外はもう夕陽が傾いてうっすらと暗くなり始めてきていた。風が冷たい。二人は何をどうやって伝えようか無言になってしまったが、やがて、ヴァレリーが睡蓮のバッグを指さして本のページをめくる仕草をした。


『辞書を持ってないか? 辞書だ。わかるか?』


 辞書という単語が聞き取れた。辞書なら持っている。睡蓮は頷いて慌ててバッグの中から辞書を取り出してヴァレリーに差し出した。彼は辞書を受け取ると、ある単語を引いて睡蓮に発音して文字を見せた。


「家」

「…イエ」


 睡蓮が耳で聞いた音を音読する。するとその単語が突然読めるようになった。ヴァレリーが睡蓮の発音を理解し、次の単語を探している時に思わず独り言をぼそりと呟いてしまった。


「なんなのもう、わけわかんないわ」


 ヴァレリーは目を細めながら睡蓮の独り言をそのまま発音してみせた。


「ナンナノモウ、ワケワカンナイワ」


 睡蓮は、にらみつければものすごい怖い顔の男が、突然オネエ口調で日本語を話したものだから驚いた。


「え、ちょっと日本語わかるんですか!? だったら話が通じ…」


 睡蓮が勢いよく話し出すと、ヴァレリーは意味不明という顔で見下ろしてきた。銀色の瞳がかすかに揺れている。


「なんだ、真似しただけか」


 がっかりしていると、ヴァレリーが次の単語を見せてきた。


「場所」

「…バショ」


 家と場所が理解できると、ヴァレリーは家はどこかと聞いてるのだとわかった。睡蓮は乗合馬車の乗り場へと案内した。

 二人が乗合馬車の乗り場へやってくると、周りがどよめき始めた。

 一般庶民が利用する乗合馬車だ。普段上流階級の人間が利用することはない。貴族には自分専用の馬車があるからだ。

 睡蓮はなぜ周りがどよめいているのかすぐに察した。

 そしてここへ連れてきてしまったことを悔いたがどうすることもできなかった。タクシーがあればそれを利用する手もあったのに、睡蓮にはタクシーの代わりになる乗り物すらわからないのだ。

 ヴァレリーはというと、すぐに二人だけで利用出来る馬車を選んで睡蓮へ手を差し伸べた。

 二人用の馬車は足をかける位置が高い。手すりに手をかけて勢いよく上らなくてはいけない。

 睡蓮は差し出されたヴァレリーの手を取るか悩んだが、初めて乗る馬車だったので手を借りることにした。

 手を差し出すと、軽く掴まれて楽に馬車に乗り込むことが出来た。

 大きな手だった。手のひらにはマメがたくさんある感触があった。自分の何もしていない柔らかい手と大違いだった。



 ********


 二人きりの密室のような馬車は拷問のようだった。

 特に彼が話しかけるわけでもなく、手を出してくるわけでもなかったが、彼が身じろぎするだけでぎくりとする自分に嫌気がさしていた。

 家の近くに着くと、ヴァレリーが先に降りて手を差し出す間もなく、馬車から自力で転がり落ちるように降りて睡蓮はすたすたと一人で歩き出した。

 ポーチをくぐると良い香りが漂ってきた。ほっとして今夜はシチューだろうな、と睡蓮は思う。アルマンドが作ってくれるシチューはとても美味しい。幼い頃、母が亡くなってからは児童養護施設で育ち、その後はずっと一人暮らしだった。だからいつも学校や会社から家に帰る途中、夕飯の支度をしている家の前を通ると、無性に人恋しくなったものだった。

 婚約者のバイトをし始めたら、このお家に帰ってくることはもうないのかと思うと寂しくなった。ドアの前で立ちすくんでいる睡蓮をヴァレリーはじっと見つめていた。

 やがて睡蓮がドアに手をかけようとしたとき、ヴァレリーはそっとドアノブを掴んで開き、睡蓮を先に家の中へと促した。


「ただいま」

「おかえりー…って、あら! お客様?」


 ダフネが睡蓮の後ろに続いて入ってきた人物を認識すると、びっくりした顔になって大声でアルマンドを呼びつけた。


「ああああんたっ! 黒騎士様がお見えだよっ!!」

「なんだってっ!?」


 台所からドタドタと足音を立ててアルマンドが玄関にやってくると、ヴァレリーは自分はレンの婚約者だと名乗ったのだった。



 ヴァレリーが婚約者だと名乗った後、ダフネとアルマンドに強引に夕飯を勧められ、ダフネの話の内容で何とか会話に参加しているふりをして、色々と話し込んでいたら気づいたら夜も更けていた。

 乗り合い馬車も貸し切り馬車もとうに終わっているため、歩いて帰るには城は遠すぎる。ダフネにだったら泊まっていけばいいと半ば強引に睡蓮の部屋へと二人して追いやられたのだった。


 睡蓮は狭い部屋の中で再び二人きりになって息がつまる思いだった。

 怖がっていることを見せないよう、しかし場が持たないのでそそくさとヴァレリーから離れてバッグの中から辞書を取り出し机の上に置く。


『良い方たちに面倒を見てもらえて幸運だな。俺が婚約者だと言ったら奥方は泣いて喜んでいたじゃないか』


 睡蓮には何を言っているのかわからず、無言でヴァレリーを見返す。ヴァレリーは机の上に置いてあるキャンディポットを見つけたようで近づいてきた。


『竜珠の気配が消えた原因はこれだったのか』


 睡蓮のすぐ真横でキャンディポットをつかみ取る。しげしげと造りを見つめていたが、やがて睡蓮の首元にある竜珠を指さして言った。


『その竜珠を見せてもらえないか?』


 ヴァレリーが手を差し出す。睡蓮はペンダントを外して彼の手のひらにそっと置いた。ヴァレリーは感慨深げにしばらくじっと竜珠を見つめていたが、やがて睡蓮の首に付けなおそうとするそぶりを見せた。

 睡蓮はカーッと顔が赤くなるのを感じて首をぶんぶんと横に振って断った。手を出して奪い取るようにして返してもらう。

 目をつむって心臓の動悸が収まるのを待っていたら、ヴァレリーに顎を掴まれ顔を上に向けられた。


『婚約者の振りとは言え、そこまで怯えられると困る。何もしないからもっと気を楽に振舞って…』


 顔が今まで以上に近くにあった。ランプの灯りでうっすらとオレンジ色に光るヴァレリーの銀色の瞳は、吸い込まれそうでとても魅力的だった。

 けれど最後まで話すのを待つまでもなく、睡蓮はヴァレリーの手をはたいた。不意打ちの拒絶にヴァレリーの目が見開かれる。

 気まずい空気が流れ始めた。衝動的に手をはたいてしまったことを謝ろうと口を開きかけた時。


『どうして、イリーナの竜珠を持ってる? 竜珠の気配が急に現れたのはなぜだ? 記憶喪失だなんて都合が良すぎる。本当のことを聞きたいんだ』


「ゴメンナサイ、リュウジュ、オカアサン」


 ヴァレリーの口調が強くなり、睡蓮は怖くなり、急いで母の形見だと伝えようとしたが形見という単語がわからず困ってしまった。

 辞書はわからない単語を調べるだけのもので、こちらの言いたいことを辞書で知らせるということはできない。


『…何が言いたい?』


 少しいらついた感情が声に現れたようで、睡蓮はびくりとして口を噤んだ。ヴァレリーは額に手をやると、大人げない態度だったと反省する。


『ごめん。今日は帰る』


 ヴァレリーは窓を開けるとするりと外へ出た。睡蓮が窓辺に急いで近づくと、彼は屋根の上からひょいっと地面に飛び降り、すたすたと歩いてすぐに見えなくなってしまった。

 なんて自分勝手な人なんだろう。睡蓮は呆気にとられながらも少し不愉快な気分になり、窓を勢いよく閉めた。

 いきなり帰ってしまったことに腹が立ったが、あのまま居座られてもベッドが一つしかないのにどうしたらよかったのかわからなかったから、好都合といえば好都合だった。


 ダフネたちには嘘を塗り重ねている。記憶喪失に婚約者。心が重くなる。

 言葉が通じないのに、あの人の婚約者の振りなんてできるんだろうか。紳士的な振舞いをするかと思ったら、急に距離を縮めて近づいてくる。

 前途多難だと睡蓮は思うが、一日でいろんなことが多く起こりすぎたせいで疲れがどっと出てきた。

 とりあえず寝よう。考えるのは明日にすればいい。

 睡蓮は明日からの日々が今日までとはがらりと変わってしまう不安定さに心細さを感じながらもずぶりとした眠気に捕らわれ、ベッドに倒れ込むとそのまま深い眠りについたのだった。

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