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ニコルは王室付きの侍女という立場にあった。
ブルーノの身の回りの世話をする人間は勝手のわかる人間がいいということで、ニコルには急遽セドラーク家の遠縁の娘という肩書がついた。
表向きは良家の子女の行儀見習いということになっており、城の中に自分の部屋をあてがってもらって暮らしている。
場所が変わっても今までやっていたブルーノの世話をすることには変わりがないため、王宮での暮らしはそこまで不自由は感じない。
たまに優遇されすぎだと嫌味を言ってくる事情を知らない侍女たちもいるが、以前からブルーノに恋心を持つ女たちがニコルを邪険に扱うことが多かったのもあり、さして気にならなかった。
ヴァレリーの代わりにブルーノが影武者として国王陛下になり、あっという間に3年が経った。
最初はヴァレリーのことを気に入っていたイリーナだったが、今では表面上穏やかな気質のブルーノに心変わりをし、当たり前のようにブルーノの横に並んで公務をこなしている。
ブルーノがヴァレリーが復帰した時に波風経たないようにと臨んだ結果がこれだ。
二人が並んで立つ姿を見るたび、心が痛む。
今までずっと、彼の竜珠の花嫁は自分の祖母なのだと思ってきた。
あの女と本気でなんとかなるわけがないと、いつも自分に言い聞かせてきた。
だけどそろそろそんな二人の姿を見ているのにも我慢の限界が近づいてきた。
どうやったって今後、ブルーノは絶対に誰にもなびかない。
彼は私の気持ちに気づいている。でも今の関係を壊したくないのか、気づかない振りをしている。
このまま私がボスへの気持ちにけりをつけて、ほかの誰かと結婚したとしても彼の心は凪のままなんだろう。
竜珠の花嫁ではない自分のことなんて、孫くらいにしか思ってないのだろうし。
ニコルは胸が痛くなるのを感じながら、彼がいつ影武者を辞めるのか考えていた。
辞めたら以前と同じように自分と一緒に仕事をしてくれるんだろうかと心配でもあった。
というのも、ニコル自身、そろそろ本気で相手を探さないとまずいくらいに年齢が高くなっていたからだ。
故郷の友人たちは一人残らず結婚して子供がいるというし、時折見かける若い親子連れを見るとうらやましい気持ちも湧いてくる。
そんな矢先、ヴァレリーの竜珠の花嫁が城に戻ってきたという知らせが届いた。
竜化の解けないヴァレリーは、いつ自我をなくして暴れまわるかわからない状態だったため、これまでずっと教会に閉じこもっていた。
だが、花嫁が戻ってきたのなら竜化は止まり、教会を出られるようになるのにそれほど時間は掛からないだろうとのことだった。
そうなったらイリーナが何もしないわけがない。
花嫁に対して必ず何か仕掛けてくるはずだとブルーノは予測していた。
そして今、ニコルはブルーノの命でイリーナの居室にいた。
王室付きの侍女という立場は便利なものだ。側室のイリーナの部屋へも堂々と入れるのだから。
真面目に掃除をしながら、何か手がかりがないか色々調べるが、何も出てこない。
まさかブルーノに心酔しきって、ヴァレリーや彼の花嫁に対して何も仕掛ける余裕がないのだろうかと訝しむ。
以前は花嫁暗殺の計画もしていた女だ。単にぬるま湯につかっているわけはないだろう。
だがわかりやすくこの部屋に置いておくわけがないとは思う。証拠というよりも何かあくどいことへの手がかりがこの部屋で見つかれば御の字だ。
そんなことを考えながら、ちょうどクローゼットの扉を開けて中を物色しようとしていた時だった。
ガチャリとドアが開いて複数の声がニコルの耳に飛び込んでくる。
ニコルは慌ててクローゼットの中に隠れ、内側からそっと扉を閉めた。
クローゼットはきっちりと閉まらず、ほんのわずかな隙間から部屋の様子が見て取れる。
ニコルは気配を殺して入ってきた人物に目を凝らした。
部屋に入ってきたのはイリーナとセドラークだった。
二人はソファに向かい合わせに座り、イリーナはお付きの侍女にお茶を出すようにと席を外させた。
「……それで。ご用件は? 先日の件でしたら返事は変わらないわよ」
少し不愉快そうな気持を現しながらはっきりと告げる。
「改めて確認なのですが、あなたは竜珠の花嫁になりたいのですよね?」
「そうよ。何度もそう聞いてくるけど、私はイシュト帝国復興のためにこのツェベレシカ王国の正妃になりたいの! それが何なの?」
ヒステリックな口調でイリーナが少し大声を出すと、セドラークは無言のまま懐から細長い赤紫の薬瓶を取り出し、ゆっくりとティーテーブルの上に置いた。
なんだろう、あの薬瓶は。見たことがない薬の色だ。
ニコルは目を細めてしっかりとその薬瓶の色や形を覚えようとしていた。
「ヴァレリー様が教会を出られるまでに体調が復活したのはご存じですよね。それに伴い、ヴァレリー様への引継ぎを行う一環で、まずは三日後に貴族の方たちに竜珠の花嫁のお披露目を行おうと思っています」
「なんですって!? そんな急に…?」
「驚くことでしょうか。これでも遅いぐらいです。何せ三年も延期されていたんですから。そこで、この薬を貴女へプレゼントさせていただこうかと思いました」
イリーナはティーテーブルの上に置いてある毒々しい赤紫色の液体の薬瓶を見て、眉をひそめた。
これを飲んで自害しろと言うんじゃないだろうかと訝しんだ。
「……何の薬か聞いてもいいかしら?」
「ええ。これは飲めば必ず竜珠の花嫁になれる薬です」
「……え?」
それを聞いたイリーナは目をしばたたかせた。
クローゼットの中のニコルも思わず息を呑む。
長年ブルーノのそばにいたが、竜珠の花嫁が薬で何とかできるだなんて初耳だった。
そもそもセドラークは腹の底で何を考えているのかよくわからない男だ。イリーナと共闘しているかと思えばそうでもないように見えて、でも本当はイリーナを立てようとしているのか…とニコルは混乱してきた。
飲み薬ということは万が一本物の薬ではない場合、毒かもしれない。なかなか彼の思い通りにならない状況の中、イリーナを服毒自殺させようとしているのではと色んな選択肢が瞬時に脳裏に浮かぶ。
これは早急にブルーノに指示を仰がなければ。
クローゼットから外に繋がる裏道を作っておけばよかった…と後悔するが、それよりも今はあの薬を今すぐイリーナが飲んでしまったら一大事だ。
二人のやり取りをヤキモキしながら見つめていると、イリーナは毒見の人間を準備するまでは飲まない、と言い切った。
(そうそう! 今は飲まないでおいてよ? その薬、ボスに報告しなきゃいけないんだから!)
ニコルがほっと一息ついている間に、セドラークはその件については承諾し、部屋から出ていった。
イリーナはその薬瓶を持ち上げ、しばらくじっと見つめた後にライティングデスクの引き出しにしまった。そしてデスクの上に置いてあった呼び鈴を鳴らし、部屋の外で待機していた侍女を呼び寄せる。
部屋に入ってきた侍女がクローゼットの方へと近づいてくるのに気づき、ニコルは焦りだした。
(まずい! 部屋着に着替えるからクローゼットを開けるつもりなんだわ)
あと少しで侍女が扉に手をかけようとした時、イリーナがやっぱり着替えは後にすると声をかけたため、侍女はクローゼットからくるりと背を向けて再びイリーナの方へと歩いて行く。
そして迎えに来た護衛騎士と共に全員部屋から出ていった。
誰の気配も感じられなくなった頃、クローゼットからそっと抜け出して扉を閉めてから大きく息をつく。
足音を立てないように急いでライティングデスクに近づき、引き出しを開けるとさきほどの薬瓶がちゃんとしまわれていた。
赤紫色の薬瓶は口元がしっかりと蝋で塞いであり、ポケットに入れても漏れないようになっていた。
ニコルはそれをしばらく見つめ、何かを決意したかのような表情で自分のスカートのポケットに入れ、急いでイリーナの部屋から出ていったのだった。
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睡蓮たちは人の行き来が少ない夕方から夜の間のみ、王城内を歩くことを許されていた。
ヴァレリーの外見はまだフードなしで歩けるほど竜化が収まっていない。
出来るだけ出会う人数は減らしつつも政務に関しては早急に書類に目を通さなければいけなかったため、主に立ち寄るのは二人だけに許された小さな食堂室、執務室、図書館に留まっていた。
今日は夕飯を早めに終え、睡蓮が礼儀作法の本や歴史書に目を通したいということで図書館へとやってきていた。
「明後日に貴族の方たちにお披露目ってどうしたらいいの?」
元々決まっていたお披露目式を急遽行うことになり、慌ててカーテシーの復習やら礼儀作法の本を読み漁らなければならなくなり、睡蓮は一人でテンパってしまっていた。
『ただ俺の隣で立っていればいいだけだ。そこまで気にすることはない』
至極真面目に返してくるヴァレリーに、相談した自分がバカだった……とこれ以上は期待せずに礼儀作法の自主練を再開する。
今日の午後、突然セドラークに呼び出され、お披露目を行うから準備しろと言われたのだが、いったい何のお披露目なのか明確な答えは引き出せなかった。
自分とイリーナを貴族たちにお披露目するのだとしたら、話はややこしくなりそうだ……と頭を抱えた時だった。
突然、揺れを感じた瞬間、どこからか爆発音が鳴り響いたのだった。




