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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 王都の裏通りに面した薄暗い通りの一角に、ひっそりと営業している薬剤師の店がある。

 あまり掃除の行き届いていないであろうと思われる窓は、真ん中だけ申し訳程度に拭いてあるようで、窓枠に近い部分は白く濁っており、辛うじて外の明かりが店内に入るという程度だった。

 店内の壁はほとんど本棚で占められていて、天井近くの棚に手が届くよう、かけ梯子が立てかけられていた。

 カウンターの奥の壁に掛けられている黒板には、すぐに用意できる薬の名前と時価が殴り書きで書かれている。

 黒板の前には止まり木が設置されていて、グレーの大きめのオウムがじっとセドラークを見つめていた。

 ジョルジュ・セドラークは一人でその店にやってきてカウンターの横にあるベンチに座っていた。

 ここの薬剤師の店は、表向きは普通の処方薬局でもあるが、口の堅い常連客には秘密裏に違法な薬を売ることでも有名だった。

 前もって頼んでいた薬を準備してもらう間、ぼんやりと少し前のやり取りを思い返す。


 ブルーノとの話の後、セドラークは居ても立っても居られなくなり、イリーナを執務室へ呼び寄せた。

 そしてヴァレリーとどうにか婚姻を結ぶように話を持ち掛けてみたが、イリーナの返事は素っ気ないものだった。


「数年間も教会に閉じこもっていて、今更王の座が務まるとでも? 私はこのままブルーノ様と共に国王と王妃という形でやっていくつもりよ。願わくば側室から正妃への繰り上げも視野に入れてね」


 それではセドラークの思惑通りに進まない。ヴァレリーに国王陛下になってもらいたいがゆえに、内心苛立ちつつも表面上は平静を装い、話を続ける。


「しかし、ブルーノ様は本来、臣籍降下された身です。今後ヴァレリー様への引継ぎを終えたら王宮を去ると仰っています。それに貴女はもとはと言えばヴァレリー様に懸想をしていたのではなかったのですか?」


 セドラークの言葉に、イリーナの夢見るような表情が見る見るうちに醜悪なものに変わっていく。

 名前すら口に出すのも嫌だと言わんばかりの表情で吐き捨てた。


「あんな顔を見たら、一気に冷めるわよ。あんな……世にも恐ろしい……愛せるわけないじゃない」


 そこまで思い出し、自分が思い切り歯を食いしばっていることに気づいて我に返る。主君に対してなんてことを…と、少しばかりの殺意が芽生える。

 ここのところ、頭の痛い問題が山積みだった。

 イリーナが周りの新旧貴族たちに竜珠の花嫁としても、正妃としても正式に迎え入れられていないこともある。

 ブルーノが国王の立場から元イシュト帝国に対して積極的に援助をしていないことを含め、元イシュト帝国民の一部はイリーナに期待していた分、落胆した部分も大きかった。

 そしてそんな落胆から反旗を翻す小さな火種ができ始めていることも、セドラークが雇っている諜報員から情報を得ていたのだった。

 このままだと一部の帝国民の反発が大きくなり、それに賛同した王都民たちによって暴動が発生する可能性が高い。

 加えて死んだとばかり思っていた竜珠の持ち主が帰還し、ヴァレリー様の容体に改善の兆しが見えてきた。

 だがイリーナの言う通り、正常な状態に戻るまでには時間がかかるだろう。

 だからその前にーーー


「お待たせしました。あれ? どうしましたか? そんな怖い表情をして」


 ふいに声を掛けられ、セドラークははっとして表情を改めた。

 目の前に深緑のフードを深く被った年齢不詳の男がカウンターの内側に立っているのに気づき、一つ咳払いをしてカウンターへ歩み寄った。


「……なんでもありません。少し考え事を」


 男はかすかに頷きながらカウンターに薬袋を置き、セドラークの方へとそっと差し出した。


「いつもの処方薬をご用意しました。最近、購入の頻度が高くなっていますが体調はいかがですか? この薬は副作用が厳しいのであまり頻繁にお飲みになるとーーー」

「自分の体調は把握しています。それよりも」


 男の社交辞令めいた心配する素振りの言葉を遮り、本来の依頼したものを早く出してほしいと目で訴えかける。


「……はい。ご希望の薬はこちらにございます」


 男がテーブルの上に差し出したものは、赤紫の透明な液体が入った細長い薬瓶だった。


「……色が少しきついですね。それに遅行性で足がつかないものだという証拠は?」


 飲み物に入れる際に変色しないだろうかと考えつつ、質問してみる。飲み物がだめなら食べ物に混ぜる際、加熱して成分が変わってしまわないかという懸念もあった。

 セドラークが依頼した薬は致死率が高く、遅行性の毒薬だった。


「今回のこのお薬は、かなり希少な材料で作りました故、試してはおりませんが確実に成果は出せると思います。時間にして2、3日ほど。3日もあればその妙薬のせいだとは疑われますまい。これまで私の作った薬で間違いはなかったでしょう?」


 男の自信満々で軽快な口調に、違いないとセドラークは頷いた。自らに処方されている薬も確かに効き目があることは実証済だ。

 ただ、この薬をどうやって飲ませるかが問題だった。


「内服に関してはご心配なさらずとも、これを飲まなければという気持ちにさせることができますよ」


 この男は心が読めるのだろうかと顔を上げた。

 宰相の座に就く前から、自分の心の内を悟られないように気を配ってきたはずだったのに。

 薬瓶から視線を上げ、男の口元しか見えない顔からどんな表情をしているのか推測しようと試みるが、作り笑いのような笑みを浮かべている口元からは何も読み取れなかった。


「目的を達成するには対象者に一言、『飲めば必ず竜珠の花嫁になれる薬』といえば良いのです」

「……っ!」


 セドラークは表情を取り繕うのを忘れ、目の前の男を凝視した。

 一瞬で動揺し始めたセドラークに対し、男はクスクスと小さく笑った。


「おやおや、見当違いでしたかね。それを見越して作ったつもりだったのですが」

「……いいえ。ですがなぜそうだと?」


 警戒しながらそう尋ねると、男は軽く肩をすくめた。


「簡単ですよ。この仕事をしていますとね、色々なところから情報が集まってくるんです」


 ここは顧客から何も聞かずに望み通りの薬を処方してくれる店だ。自分の保身のためにも各方面から情報を仕入れているのだろう。

 セドラークは男の返答に納得し、懐から小切手を取り出した。


「どうもありがとうございました。代金はいつもどおり私の名前で小切手で……」

「ああ、処方薬だけで結構ですよ。こちらの妙薬はサービスです。対の薬がついていませんのでね」


 希少な材料で作ったという割に代金は要らないというのには、何か裏がありそうだと察する。

 セドラークは無言のまま無記名の小切手帳をカウンターに置いた。

 対の薬とあいまいな表現をしているが、解毒剤は準備していないということだ。だから途中で後戻りはできない。


「ただほど高いものはないと言いますしね。無記名で切ります。言い値でどうぞ」

「ありがたいことですね。ではお言葉に甘えて……」


 男がペンを取り、サラサラと数字を書き込むと、処方薬の20倍ほどの値段だったが、それで計画がうまくいけばそれほど高いものだとは思わなかった。


「お客様。くれぐれも、使うタイミングをお間違えの無いように……」


 最後に助言をすると、セドラークは無言のまま頷いて薬を鞄にしまい、店を出ていった。


 店内には男だけが残った。

 フードを後ろに下ろすと、赤毛で男とも女とも取れそうな中性的な顔立ちが現れる。

 男はオウムの方へ手を伸ばし、くちばしを挟むようにして遊んでやりながら呟いた。


「見当違いな納得してそうだよね、あの人。確かに効くよ、あの薬はね。なんせ始祖である僕の血が入ってるんだから」


 長く、長く生きていると、時々人生に刺激が欲しくなる。

 一観客として傍観してきたが、そろそろテコ入れをしたくなる頃合いだった。


「しかし、ヴァレリーもブルーノも……まだまだ子供だよねぇ……」


 ため息をつくのと同時に、カランコロンとドアベルが鳴り、店のドアがゆっくりと開かれる。

 父親とまだ幼い娘の親子が仲良く店内に入って来るのを見て、自然と男の目尻は下がり、笑みを浮かべる。


「こんにちは、ルフスさん。お薬もらいに来ました!」


 少女がカウンターの椅子へ駆け寄り、自分で腰かけようとしても椅子の位置が高く背が届かないため、父親が持ち上げて座らせる。


「こんにちは、ミレーネ。今日は顔色がいいね」

「うん! 最近ルフスさんのお薬飲み始めてからなんだか体が軽くなってきたの」


 満面の笑みを浮かべながら両腕でガッツポーズする姿を見て、ルフスと呼ばれた男は可愛すぎる…! と、慌てて口に手を当てて悶えそうになるのを堪えた。

 些細なことで父親に変な目で見られてしまっては、元も子もない。

 妙な性癖がある店主だと思われて彼らの足が遠のいてしまってはいけない。


「……それは良かった。それではバレージさん、前回と同じ処方にしましょうか?」

「ああ、よろしく頼むよ」

「私、あの甘酸っぱいお薬、だーいすき! ピンク色できれいなんだもん!」


 ルフスは内心、僕の血をほんの少しだけ混ぜてるからピンク色なんだけどね…と思いつつ奥の調剤室へと入っていった。

 ミレーネに堂々と会えるのは嬉しいが、同時に心も同じぐらい痛んだ。

 彼女は自分の竜珠の花嫁だった女性の生まれ変わりだった。今生で自分の影響を受けているせいなのか、体が極端に弱い。

 今は少しずつ自分の血を薬に混ぜて飲ませながら、人並み程度に寿命を延ばせることができればと考えている。


 ただ、彼女が大人になった時、隣に立つ男がろくなものじゃなかったら…と考えてしまう。

 相手の男には死んだ方がましだと思えるような報復をして、彼女を自分のものにしてしまおうとも思ってはいる。

 そんなことを考えている自分も、ヴァレリーやブルーノと大差ないことに気づいて失笑した。


「……そうか。これはもう血筋かな」


 ルフスは処方した薬を持ってミレーネたちが待つカウンターへと戻っていった。



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