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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 ―――お前は文官を目指した方が向いてそうだ。


 騎士団の訓練生時代、魔物討伐に駆り出された際、早々に手首をねん挫して使い物にならなくなって、同期に失笑されながら言われたセリフだ。

 ジョルジュ・セドラークは剣を持てないために後方支援に回され、負傷した兵士たちの治療の手伝いをすることになった。

 騎士に向いてないなんて、承知の上だ。

 元々体力がない自分がなぜか騎士団に投げ込まれたのには訳があった。

 次期宰相になるにあたって、国にまつわる一通りの業務を把握しておかなければいけないと国王陛下に命令されたからだ。

 だが官僚になる前に、後方支援とはいえいつ命を落としてもおかしくない状況に陥っている今、不貞腐れた顔で包帯の端をもう一度強く留め直した。


「誰かいるか?」


 救護テントの中に入ってきたのは同じく訓練生のヴァレリー・リブタークだった。

 埃っぽい鎧を着たままテントに入ってくると、見上げるくらいに背が高い。自分と同じ人間なのかと、痩せて小柄な自分との体格差に唖然とする。

 30センチほどの身長差に大きな肩幅や太すぎるわけではないが、筋肉が盛り上がっている腕。

 そういえばこの男は大剣を余裕で振り回せるほどの怪力だという噂だった。

 それよりも、見るだけで人を射貫けそうな冷徹な銀色の瞳に圧倒される。


「少し消毒用の薬草を分けてもらえるか?」

「救護キットは皆一人分ずつ支給されているはずだが?」

「あんなもの、とっくに使い切ってる」


 よく見るとヴァレリーは体中傷だらけだった。鎧の隙間から鎖帷子が切れているのが見えた。脇腹が特に酷く、血が固まって黒光りしている箇所も見受けられる。


「怪我してるじゃないか。持っていくんじゃなくてここで治療したらいい」

「……ああ、俺の治療はいいんだ。すぐに治る。薬草を別の奴に使いたいんだ」

「でも……!」


 すぐに治ると言って信じられるほどの軽い怪我というわけではなかった。今すぐ消毒をして治療をしないとばい菌が体内に入り込み、高熱が出てしばらく動けなくなるだろう。


 ジョルジュの焦り具合を見て、ヴァレリーはああ、と納得したかのような顔つきになった。


「あんた、宰相候補なんだろう? だったら俺のことを聞いているな?」


 脈絡もなく、突然言い当てられてジョルジュは言葉に詰まった。

 白い髪に赤い目の人間はそれでなくとも目立つ。ヴァレリーに突然宰相候補だと言われて、気が動転した。

 内密に動いていたのになぜ漏れているのかと、誰が口外したのか色々な人間の顔が脳裏を駆け巡る。


「王から俺のことを聞いてないか?」

「いや……何も」

「そうか。じゃあまだ何も言ってないのか」


 ヴァレリーは一人で納得し、ジョルジュが動こうとしないために自ら薬草を探し出した。


「あんたが候補だっていうのは、誰にも漏らしてないから安心しろ。俺は王から直に聞いた。将来が楽しみだって聞いたぞ」


 言葉だけ聞いたら嫌味にも取れそうなセリフだったが、不思議とジョルジュはすんなりとその言葉を受け入れていた。


「……君こそ、なんで機密事項を知ってるんだ?」

「いずれわかるさ。ああ、あった。これだ。この薬草もらっていくな。じゃ、立場が同じ時に話せてよかった」


 少し笑みを浮かべたかと思うと、声をかける隙さえ与えずにさっとテントから出て行ってしまった。ヴァレリーがいなくなってしばらくしてジョルジュはふと我に返った。

 無意識に体が緊張していたようで、歯を食いしばっていたことに気づく。

 あの、有無を言わせなさそうな圧倒的な圧迫感はなんだろう。

 ヴァレリー・リブタークが国王陛下の息子だという噂は本当なのかもしれない。だとしたら自分が宰相候補だということを国王陛下から聞いていても不思議ではない。

 彼ならば、側で新しい国王陛下を守っていくのも悪くない…とジョルジュは考えていた。



 **************


 ―――……ゲホッ


 寝ている間にも、急に咳の発作が起こるようになった。

 ジョルジュ・セドラークは発作がひと段落ついたところでゆっくりとベッドから上半身を起こした。


 久しぶりに昔の夢を見たな。


 まだ訓練生だった頃、ヴァレリー様のことをあまり知らない時に不意に出会った時のことは、今でも鮮明に思い出せる。

 思い出に浸っていると、鉄の味が口の中に広がって自然に顔がしかめ面になる。

 また今回も血が出たようだった。喉の奥の粘膜が弱っている証拠だ。

 ゆっくりと室内にある洗面所に向かい、口の中のものを吐き出すと鮮血が洗面所に広がった。

 口をゆすぎ、洗面所のボウルもきれいに清めた後、鏡の中の自分を見やる。

 目が文字通り真っ赤だけれど、全体的に血の気のない、生気のない顔だった。死相が出ているともいえる。

 ようやくこの国の中枢に関わる職にたどり着けたというのに、寿命を全うせずに今にも死にそうになっているだなんてとんだお笑い種だ。

 病魔は既に全身を覆いつくしている。医者からは匙を投げられ、痛み止めしか処方されていない。

 あと、どれほどの期間を生き延びていられるのかは、誰にもわからない。

 長生き出来たらよかったけれど、ヴァレリー様が国王陛下として国民の前に出られる時をこの目で見られたらそれでいい。

 私はあの方にお仕えする為だけに、この職に就いたのだから。



 **************


「とりあえず茶でも飲め」


 ブルーノ自らティーポットからお茶を入れて、ジョルジュへと差し出した。

 ヴァレリーが教会から出たことを知り、何か裏で動いているのか様子を見るのもかねてブルーノはお茶をすすめた。

 戸惑っているジョルジュにブルーノは毒は入ってないから安心しろと冗談を言うが、ジョルジュは恐縮しきってなかなか手を付けようとしない。

 ここ最近の顔色の悪さと、風の向きでふいに感じる微かな血の匂いを感じてブルーノは孫の体調を気遣うような気持ちでいた。


「……ヴァレリーとレンが王都に行ったそうだな。人として歩き回れるってことは、竜化が収まったってことになる。ただ、何度か教会に行ったことがあるが、今のヴァレリーの顔は人のそれじゃない。顔のこともそうだが、3年間の不勉強なところも補完しなきゃいけないとなると、俺と交代するには時間がかかるだろうな」


 ジョルジュはティーカップを手にしながらも、何も言葉を発しようとしない。


「で、だ。本題はイリーナをどうするかっていうことなんだが」

「……ブルーノ様に心変わりしたように見えますね、私には」


 ジョルジュの発した言葉で、だよなあ…とつぶやきながらブルーノは頭をかいた。客として丁寧に扱っていた結果、イリーナの気持ちがこちらへ向いてしまったことに関しては、ヴァレリーと顔立ちが似ている自分の落ち度でもあった。


「国王陛下であるブルーノ様に好意を持っているんですよ? 今後ヴァレリー様が王位を継いだらどうなさるおつもりですか」

「イシュト帝国復興の礎として、ツェベレシカ王家の正室って椅子は譲れないよなぁ。あのお姫様は」

「彼女に何かあったら外交問題になりますし、かといってこのままブルーノ様が代役をし続けているのも……」


 だんだん饒舌になってきたジョルジュを横目に、ブルーノはゆっくりとお茶を口に運んだ。


「まあなあ。俺もそろそろ自由な身に戻りたい。国王陛下ってのは窮屈なもんだ。でもまあいろんなことはおいおい考える。気楽にして待ってろ」

「ブルーノ様…!」

「お前……顔色悪いぞ。どこか具合悪いのか?」

「……っ!」


 言い淀んだジョルジュに、ブルーノは今はまだ深く追及することをせずに下がらせた。

 ジョルジュが部屋を出て行ったあと、深くため息を漏らす。


「……おれだってなぁ……イリーナだけでなく、ニコルのことも考えなきゃならんのよ……」


 イリーナが心変わりをしたというのは、ヴァレリーの竜化した姿を見たからだろう。人型のまま竜の姿になりかけた外見は竜の血を引く者ならどうってことはないが、免疫のない人間からしたら化け物にしか見えない。

 ひげをそり、瞳の色が違うことを除けばほぼヴァレリーの外見と遜色ない姿で影武者をやって日々相手をしていれば心変わりをされてもおかしくはない。

 もちろん彼女には野心があるだろうが、純粋に好意を持たれているという自覚もある。ジョルジュには言わなかったけれど、このままずっと影武者のままでいてほしいとまで言われたこともあった。

 しかし、ひどい男だと罵られようが、イリーナに心を砕くことはないから、無下に扱っても良心の呵責はない。

 問題はかつての自分の竜珠の花嫁候補であった女性の孫、ニコルのことだ。彼女の一族を自分の命が尽きるまで見守ろうと傍によりそってきたが、ニコルだけは傍にいる時間が多すぎた。

 ニコルはいつからか自分のことを特別に思っている節が見える。

 幼い頃は自分のことを父親のように思っていただろうが、今は違う。

 彼女の気持ちに応えられない自分の傍にいると、彼女は婚期を逃してしまう。

 今だって王室付きの侍女としてこの城で働いているのだ。

 自分ではなく、普通の男と結婚して子供を産んで平凡な生活を送ってほしいと思う。


 ただ……彼女が竜珠の花嫁ではないのに、何故かニコルに別の男の影が見えたらものすごく嫌だという気持ちがあるのも事実だった。


「……これが、父親の心境って奴ならまだいいんだが……」


 もしかするとヴァレリーよりも面倒くさいことになっていそうな自分に、複雑な気持ちを抱いて頭を悩ませているのだった。

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