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フェルディナンドの強い視線に、睡蓮は頭の中が真っ白になってしまった。
目を逸らそうものなら、すぐにでも追い出しかねない雰囲気を醸し出している相手に身がすくむ。
せっかく男性恐怖症が治ってきたかと思っていたのに、根本的なところではまだ体が萎縮して反応してしまうのだと気づく。
何からどう話せば…と思いながらも、持ってきていたバッグの中から全部取り出そうとした時だった。
「まて。バッグをこちらに渡してもらおうか。中身はこちらが確認する」
どうしていいのかわからず、ヴァレリーへ目配せをするとヴァレリーは頷くだけだった。
「娘がヴァレリーにひっついたままだからな。そちらの荷物を預からせてもらう」
そういってフェルディナンドは手を差し出した。無骨なタコばかりが目立つ大きな手だ。竜騎士団の団長を務めていた人だ。長年剣をふるってタコができたんだろうと思われる。
そんな風に彼の手のひらを見ながら昔のことを思い出す。小さい頃は休日にお父さんと手をつないでいる友達を見て、心底うらやましいと思ったものだ。
睡蓮は少し寂しく思いながらも持っていたバッグを渡した。
フェルディナンドはバッグの中から一つ一つ取り出していく。
スマホを見たときには一瞬ぎょっとしたようだったけれど、何も起こらないとわかるとそっとテーブルの上に置いた。
そして、バッグの中のあるものに気づき、動かしていた手を止めた。
「……これは」
ガラスのポットをそっと両手で包み込むように持ち上げ、一瞬遠い目をして笑みを浮かべたかと思うと急にぎらりとした目つきになり、睡蓮をにらみつけた。
「これをどこで手に入れた?」
ガラスのポットは王都の雑貨屋で手に入れたものだと伝えると、どこの雑貨屋だとしつこく食い下がってくる。
雑貨屋の店主から、買った人間が何年も取りに来ないから格安で手に入れたと伝えると、そうか…と言って黙り込んだ。
そして、文庫本のカバーの刺繍やスマホに貼ってある写メを見ているうちに、だんだんと眉間のしわが減っていき、泣きそうな顔になっていくのが見て取れた。
「……お嬢さんとの関係はまだわからんが、彼女のものだというのはわかった」
「じゃあ……」
「だが、彼女との関係をどう説明する?」
睡蓮はテーブルの上に置いてあるスマホを手に取り、カバーを外して写メを見せた。
「小さい頃の私と、……お母さんです」
ネズミの耳の形のカチューシャをつけて二人で笑っている写真を見て、フェルディナンドは目を見張った。
「……っ。呪術か何かかわからないが、これがなぜ証拠になるんだ」
「ヴァレリーはあの旅の途中でお母さんに竜珠を渡しました。ですが」
「いい加減にしてくれ!」
バン!とテーブルを叩くとミレーネが泣き出した。
ヴァレリーの左腕に顔を押し付けるようにして震えている。ヴァレリーはそんなミレーネの頭をそっと撫でてやりながらも、喉の奥から声を出そうと小さく唸った。
「……た、い、ちょ…う」
ヴァレリーが顔を上げて地の底から響くようなガラガラ声で話し出す。
「あの、頃は、め、いわ…くをかけて、すまなか…た…。すい…れん…は、おれ…の、りゅ…じゅ…の花嫁だ」
「竜の血を引く者にとっては竜珠の花嫁は、唯一じゃないのか? お前はイリーナにご執心だったはずじゃないのか」
「あのと…き、お…なか…にこども…が…いた…だろう…」
「ああ、そうとも! 母子ともに谷底に沈んでしまったのを俺はこの目で見たん…だ…」
フェルディナンドはそこまで言って、少し合点がいったような顔になった。
「いや……あそこは死と再生の谷だった…な…」
あの谷は異世界からやってきた人間を弔う場所だった。
あの谷底はどこか別の世界に通じていて、亡くなった後にようやく元の世界へと戻れるのだと言い伝えがある。
「……ヴァレリーの本当の相手はお嬢さんで……じゃあ。イリーナは別の世界で生きて……?」
遠い目をして自分に納得できるような話に持っていき、ようやく目の焦点が睡蓮に戻ってくると、フェルディナンドは縋るような眼で睡蓮を見つめた。
「……はい。お母さんと私は別の世界で生活していました。私がこちらへ来たのは……数年前です」
睡蓮は次の言葉を慎重にしなくてはと思いながら、話すタイミングを見計らっていた。
「お母さんは私が子供の頃に亡くなりました。こちらの世界で血縁者がいると知って今日お伺いしたんです。……あの、一度会ってきちんとお話してみたかったんです」
フェルディナンドは視線を落とし、そうか…と小さく呟いた。
「お嬢さん…スイ…レと言ったか?」
「睡蓮です。別の世界の名前なので呼びにくければレンと」
「ではレン。そこにいる俺の娘の名前だが」
泣きべそをかいてはいるが、もうしゃっくりはせずにじっと睡蓮を見つめている。
「俺の故郷の風習で、娘が生まれると王室の女性にちなんだ名前がつけられる。その子はヴァレリーの母君の名前にちなんでミレーネと名付けた。本当だったらその名前はお嬢さんのものだったはずだ」
唐突に始まったフェルディナンドの告白は、着地点が見えずに睡蓮は身構えながら頷いた。
「俺は平民の出だ。竜騎士団は貴族の子息や竜の血を引く人間で形成されているのに、なぜ竜騎士団の団長になれたかわかるか?」
この世界では貴族の間でも、昔ながらの貴族と新しい貴族でランクづけがある。ましては何の位も持っていない平民が竜騎士団に入団するのですら、至難の業だ。
「ツェベレシカ建国の昔話を知っているだろう。最初に竜と結婚した女性の出身地は俺の故郷だ。これは公にはなっていないが、俺の故郷出身の人間が代々竜珠の花嫁として選ばれる可能性が高い」
ヴァレリーもそれは知らなかったようで、息を飲む気配が伝わってきた。
オリバーは同じ竜の血を引く一族ではあるが、別の氏族だ。だからアビーが選ばれたのはまた違う理由なのだろう。
「ブルーノ殿の竜珠の花嫁も俺と同じ故郷の人だったと聞く。だが、前国王陛下は竜珠の花嫁を探さずにミレーヌ様との婚姻を結んだ。だから……そのあとの話は言わなくてもわかるな」
フェルディナンドは自分のお茶を淹れ直し、一口すすってから告白した。
「俺の故郷は疫病が流行って既にない。俺が竜騎士団の団長になれたのは、将来、俺の娘が竜珠の花嫁になる可能性が高いから、手元に置いて常に監視しておきたいという目論見もあったからなんだ」
それに……、とヴァレリーの方を見て一呼吸入れる。
「次期国王の竜珠の花嫁、その父親が平民じゃ示しがつかない。少しでも肩書があって箔がついていた方が貴族たちの反発もないと思われたんだろう」
実際、睡蓮も竜珠の花嫁候補として、クレールの遠縁の者という素性にして、貴族のマナーを身につけさせられた経緯がある。
唯一無二の花嫁が貴族である確率は低いのに、国王陛下の一存で決められるわけではないのが面倒なところだ。
形だけでも周りの貴族に示しがつくように根回しをしなくてはいけないのだろう。
「平民出の元竜騎士団団長っていう肩書も今ならありがたいぞ。仕事がもらえるからな。今は平民でも近衛騎士団に入れるように、子供たちに基本的な剣術を教えているんだ」
フェルディナンドは話し終えると、睡蓮に向かって小さく笑みを浮かべた。
「……お嬢さん、色は俺に似たが、よく見ると顔立ちはイリーナに似ているな」
「おとうさん、お腹すいた」
いつの間にかミレーネがフェルディナンドの傍に移動して、服の袖をひっぱりながらお腹すいたと昼ご飯を催促しだす。
『睡蓮、そろそろお暇しよう』
「あ、じゃあ、私たちはそろそろ…」
バッグの中身を入れ直して席を立つと、家の外へ出ようとした時、背後から睡蓮だけを呼び止めた。ヴァレリーを先に玄関の外へと促すと、フェルディナンドは手を差し出した。
「いきなりこんな成人女性の男親になった自覚がまだ湧かなくてな。今日のところは握手ですまないが」
「い、いえ、そんな」
おずおずと手を差し出すと、がっしりとした大きくて暖かい手に包まれた。
「近いうちに王宮にお祝いを持っていくよ。ヴァレリーはああ見えて実は不器用な男だから…」
「はい、知ってます。私もこれから支えていけるよう頑張るつもりです」
「ははっ、こんな心配してたらヴァレリーとお嬢さんのどっちの親だかわからねえな……」
「……ふふ、そうですね。それに、ミレーネちゃん、体調良くなるといいですね」
「ああ、ありがとう」
また近いうちに会う約束をし、睡蓮たちは待たせていた辻馬車に乗り込んだ。
「今日は……お父さんに会えてよかった」
『……そうだな』
自分がフェルディナンドの娘だということを伝えることができて、ヴァレリーと結婚することも伝えられたことは素直に良かったと思えた。
『ただ…あの子は既に竜珠の花嫁候補になってるな』
「え? そういうのわかるの?」
『竜の血を引く者なら、自分以外の竜珠の花嫁でも見分けられるからな』
そういえばオリバーに何度かほのめかされたことがあったな、と思い返す。
「それ。ヴァルに言われても、ねえ?」
少し意地悪い発言をしたくなって、言ってみるとヴァレリーはうっと言葉に詰まるような感じで固まってしまった。
『睡蓮、いつの間にか言うようになったな』
「少しは言い返せるようにならないと。ヴァレリーを叱咤激励できる女にならなきゃ竜珠の花嫁は務まりません」
『……違いない』
フードを被ってどんな表情をしているかわからないけれど、ヴァレリーが笑っているような感じがして、睡蓮はうれしく思った。




