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竜珠の花嫁  作者: 理子
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「……そこにいるんでしょ? 会いに来たよ?」



 そう言って浴室の扉に手を添える。扉の向こうにいるであろうヴァレリーは返事をしない。


「ヴァレリー?」


 不意に扉に添えていた手の輪郭が白くぼやけだす。

 キラキラとした白金の蔦がゆっくりと指先から手の甲へと絡まるように降りてくる。

 半透明だけれど、綺麗に輝いている蔦は徐々に増えていき、手首に絡みつきながらも肘の方へと伸びていった。


「……きれい」

『……何で来たんだ』


 蔦に見とれていると、突然、頭の中でヴァレリーの声が響いた。


『もう……ここへは来ないと思っていたのに』

「来たらいけなかった? 迷惑だった?」


 その問いには彼は無言だった。けれど睡蓮は不安な気持ちにはならなかった。

 白金の蔦がその答えを言ってくれているようなものだからだった。

 竜珠の気配というものが可視出来るようになって、ヴァレリーの気持ちが純粋に自分だけに向いていることにぞくりとした。

 いくら頭でイリーナのことを考えていたって、心は睡蓮を求めてくれているのだ。


「あの後、すぐに戻れなくてごめんね」


 それでも返事はなかった。

 睡蓮は身体のだるさも感じていたのでその場にしゃがみ込んだ。

 3年もの間、寝たきりだった体を、無理矢理ケイナの魔法で回復してもらったのだ。その魔法が解ければまた元通りになってしまう。疲れて体が動かなくなる前に伝えなくてはいけないことがあった。


「私、竜珠の記憶を辿ってきたの。イリーナさんは私のお母さんだった」


 疲れの波がどっと押し寄せてきて、まぶたが重くなる。言葉を発するのも億劫になってきて言葉がたどたどしく感じてもどかしくなる。


「私、ヴァレリーから竜珠を受け取って産まれてきたんだよ」


 言いたいことが言えた安堵感からか、睡蓮は座ってもいられなくてその場に倒れた。



 睡蓮の意識が途切れた後、ゆっくりと浴室の扉が開く。

 体の大部分を黒い鱗に覆われ、手足の爪は鋭利に尖っている。ヴァレリーは顔を見られないようにタオルで顔を隠しながら睡蓮の傍に屈んで頬にかかっている髪に手を伸ばし、そっと耳に掛けなおした。

 睡蓮の瞼は固く閉じられている。


「スイ…レ…ン…?」


 しわがれた声で名前を呼びかけるも、睡蓮はぴくりとも動かなかった。

 睡蓮の返事がないことに不安になりながらも、背中と膝の後ろに手を差し入れて抱き起こす。

 すると、睡蓮の体中から白金の蔦が生え始めてヴァレリーの腕や体に巻き付こうと伸びてきた。

 ヴァレリーは一瞬身を強張らせるが、蔦が何も悪さをしないことに気づいてからはそれの存在を無視して、そしてそのまま自分が普段使っているベッドのところまで彼女を運んで寝かせてやった。

 ベッドの縁に腰かけ、爪で顔に傷をつけないように細心の注意を払いながら頬に手を添える。


 3年ぶりに見る睡蓮の顔は、顔色は悪かったけれど全く歳を取っていないように見えた。

 まだ若い女性だからとはいえ、3年もの月日が経てばそれなりに歳を取るはずだ。

 怪訝に思いながらも、先ほどの睡蓮の言葉を反芻する。


 イリーナが睡蓮の母親?

 まさか。それが本当だとしても、年齢が合わないじゃないか。

 この期に及んで嘘をつきに戻ってきたのかと、一瞬暗い気持ちになったが頭を軽く振ってその考えを打ち消した。

 元々異世界から来たと言っていたし、だとしたら時間軸がずれていてもおかしくない。

 それに……この白金の蔦は何だろう。……睡蓮が本当に竜珠の花嫁だと自覚したから発現したんだろうか。

 この蔦が自分の体と睡蓮とつながっていると、今まで鉛のように重たく感じていた体が不思議と軽く感じる。

 以前、睡蓮の体に触れていると竜の気が収まる感じがしていたが、それよりももっと強力な鎮静剤のような役目を行っているような気もする。

 イリーナに渡したつもりだった竜珠の本当の受け取り主が……睡蓮。君だったとは。

 初めて出会った時にお腹の中にいるんじゃ、気づけるわけないよな。

 俺はなんて馬鹿だったんだろう。

 どうして初対面の時に気づけなかったんだろう。

 なぜ、側室でいて欲しいだなんて、あんなひどい言葉をかけられたんだろう。

 気づけていたら、こんなに遠回りをしなくても済んだのに。

 ごめん。睡蓮。


 **********


 ふと気が付くと、視界は真の闇だった。

 何度瞬きをしても真っ暗で何も見えない。


「……ここ……?」


 睡蓮が少し声を出すと、近くで何かががさりと動く音が聞こえた。びくりとして手元の毛布を強くつかむ。


『……目が覚めたか』


 ヴァレリーの声がして睡蓮は少し安心するけれど、ここがどこなのかわからず緊張してしまう。


『ここは教会の中だ。さっき倒れたからベッドに運んだ。今は……もう夜中だ』

「あ…そ、そうなんだ。ごめんね、迷惑かけて…。あと、ちょっと暗いから明かりをつけてもらっても良い…?」

『……今、明かりをつけて俺の顔を見ないほうがいいと思う』


 声がどこから聞こえてくるのかわからないため、睡蓮はゆっくりと体を起こして周りに手を伸ばしてみるけれど、何もつかめない。


「さっきからどうして声を出さないの……?」

『体が竜化して、声帯が変化して声が出しづらくなった。その代わりに竜の時のような会話が出来るようになった』

「そうだったんだ。でも私が戻ってきたなら、竜化するのを止められるよね……?」


 その時、ふいに銀色の小さな明かりが見えたかと思うと、それがヴァレリーの目だということにすぐに気づいた。

 ベッドのすぐ横の、床にじかに座っていたような位置だった。

 銀色の瞳はまっすぐに睡蓮を見つめているが、それは爬虫類のような瞳孔になっていて威嚇しているようにも見える。


『手に触れても良いか?』


 睡蓮がこくりと頷くと、ヴァレリーの大きな手が手首を掴んで自分の腕に睡蓮の手を誘導した。

 人の腕というより、ごつごつとした鎧を着ているような感じの腕だった。


『……鱗が前より増えてる。もちろん顔も。完全な竜になるというより、人型のまま鱗が全身を覆うような感じになってる。……でも、あの蔦のおかげで今は少し体が軽いよ』


 ヴァレリーがそう言った後、しばらく二人とも無言でそのまま身動きせずにいた。

 睡蓮は無言のまま、ヴァレリーの腕をさすっていたけれどやがて両手でその腕を引っ張り、ヴァレリーをベッドの縁に座らせた。


「ヴァル。私がなんでここに来たか、わかる?」


 銀色の瞳が不安気に揺れているのが見える。

 その瞳から見当をつけて、両手で頬を包み込むようにして顔を近づける。


「単に真実を知って知らせに来たわけじゃない。私」

『待ってくれ。その先は言わないでくれ』


 ヴァレリーは睡蓮をかき抱いて、体を震わせた。睡蓮は最後まで言わせてくれなかった彼にひどくショックを受ける。


『今まで、いろいろ酷いことを言ってきてすまない。謝ってすむことじゃないけど……』

「……ううん、私だって」

『愛してる。睡蓮。君だけを』


 睡蓮はその言葉を聞き、目を見開いて体を強張らせた。


『俺の唯一。竜珠の花嫁は……睡蓮だけだ』


 その時、雲の切れ目から月明かりが差し込み、部屋の中が薄っすらと確認できるくらいに明るくなると睡蓮はゆっくりと顔をあげた。

 至近距離でヴァレリーの顔を見上げると、ヴァレリーはすぐさまふいっと顔を逸らした。

 その横顔は不安な顔立ちで悲し気で苦しそうな表情を浮かべている。


『君を縛り付けたいから言ってるんじゃない。俺が生涯愛する人は睡蓮だけだと伝えたかった。こんな化け物と長い時間を一緒に過ごすことになるんだ。嫌なら断ってくれていい。むしろ断ってくれた方が気が楽だ』


 言い捨てるようにそう言うと、ヴァレリーは睡蓮から身体を離れさせた。


「化け物だなんて…思わないよ。ヴァル」

『……同情は要らない。明かりをつけてこの顔を見て、同じことが言えるとも思わない。必ず花嫁にならなきゃいけないものでも無いんだし、それに睡蓮、君はもう一つの世界に戻って普通に暮らせることだってできるんだ』


 頑なな態度を取り続けるヴァレリーに、睡蓮はどういう風に接していいのかわからなかった。


「ねえ、私、3年経ってるのに全然外見が変わってないと思わない? それって竜珠の花嫁の運命を受け入れているからじゃないのかな…って」


 ヴァレリーの反応が全く無いので、睡蓮は徐々に語尾が小さくなっていき、俯いてしまう。


『……本当に受け入れている?』


 シュッと何かを擦る音がして、小さな明かりがついた。急に明かりがついたせいで目に痛みが走る。

 数回目を瞬かせて明かりに慣れてくると、ベッドサイドにあるろうそくだとわかった。

 炎がちらちらと揺れている。

 その傍らにヴァレリーが立っていた。


 小さな明かりだったけれど、顔ははっきりと確認できた。

 以前よりも鱗が増え、目元にあったエラのような模様もはっきりと見える。

 口元は歯がギザギザになっていて、犬歯が牙のように発達して口からはみ出していた。


「……そんなことして、私に諦めさせようって思ってても無駄だよ」


 そう言って睡蓮はヴァレリーの両手首を掴んだ。


「それくらいで逃げ出すくらいなら、戻ってきたりなんかしない。それに……ほら」


 白金の蔦が現れ、ゆっくりと2人の腕に絡みついて伸びていく。

 しばらくその様子を見ていたら、ヴァレリーの身体が小さく震えているのに気づき、睡蓮は手首から手を離した。


『……本当に…』


 ヴァレリーはゆっくりと体重をかけながらベッドに上がり、睡蓮に覆い被さるように見下ろした。


『……俺を選んでくれたって……』


 睡蓮を見下ろすその姿は、側から見たら今にも猛獣が襲いかかりそうにも見える。


『思っても…いいのか…』


 震えながらヴァレリーが睡蓮の頰に手を差し伸べてくる。

 睡蓮はヴァレリーの手に自分の両手を添えて笑みを浮かべた。


「ヴァレリー、愛してる。私をヴァルの花嫁にしてください」


 ヴァレリーの顔が段々と近づいてきて、お互いの額が触れる。

 睡蓮はゆっくりとまぶたを閉じた。


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