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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 ―――睡蓮。


 耳元で低い声が囁いた。


 ―――睡蓮。聞こえるか…?


「……んん……?」


 やけに耳に残る声だった。ゆっくりと瞼を開くと、そこは眠っていたはずのベッドの上ではなく、死と再生の谷の湖のほとりにいた。


「……え!?」


 辺りをきょろきょろと見渡すと、突然目の前にぼぉっと人影が現れる。

 月明かりが逆光になって顔は見えない。けれど、懐かしい男の姿だった。


「ヴァレ…リー…?」


 睡蓮が戸惑いながらも声をかけるが、ヴァレリーは近づいてきても全体的に薄暗い感じで表情がはっきり見えない。


 ―――今は睡蓮の夢の中に入り込んでいる状態で、あまり長居はできない。ただ伝えたいことがあって竜珠の力を借りたんだ。


「……そうなんだ……」


 ―――睡蓮。近いうちに俺は王位を継ぐが、ゆくゆくは俺の代で王国の時代は終わらせる。王位を返上し、国のトップに相応しい人間が政を行えるようにする予定だ。


 突然の告白に、睡蓮は何も答えられずにいた。

 ヴァレリーが王位を返上する…? なぜ?


 ―――今はまだ決意表明だけだから、どれぐらい時間がかかるかわからないけどな。それが実現したら…


 ヴァレリーはそう言って睡蓮の頬に自分の手を添えた。

 体温の感じられない冷たい手だった。ごつごつした鱗のような感触があるから、おそらく中途半端に竜化した姿になっているんだろう。

 ヴァレリーは何かを言いかけたがそれ以上、口を開くことはしなかった。


「ヴァル、あなた、今、教会にいるって聞いたよ」


 頬に添えられた手がぴくりと反応する。


 ―――ああ、まだ竜化のコントロールが完璧じゃなくて……。


 ヴァレリーは睡蓮を非難することなく、自分のせいにしようと言葉を濁すが、睡蓮はあえて目を背けないように自ら口を開いた。


「……それって私が原因なんだよね?」


 睡蓮は添えられた手に自分の手を重ねてヴァレリーを見上げた。

 薄ぼんやりとした影の中で、苦痛に満ちた表情のヴァレリーの顔が見える。

 それが無言の返事だった。

 出来るならヴァレリーにこんな顔をさせたくなかった。

 睡蓮は今ほど自分の行動に後悔したことはなかった。


「私ね、元の世界に戻る方法、わかっちゃったんだ」


 ヴァレリーは寂しげな顔でゆっくりと頷いた。


 トゥシャンに行って本物のイリーナさんを見つけ出せる手がかりを見つけたら、絶対に居場所を突き止めて探し出して、何が何でもお城に連れていくから。

 睡蓮は心の中でそう決意していた。


「今すぐ教会から出られる手助けができなくてごめんね。これからトゥシャンに行くけど、絶対、お城に戻る。その時には竜珠の気配のおかげでヴァルが教会にいることがないようになってるはずだから」


 本物のイリーナさんを見つけたら、彼女に竜珠を渡すから。

 それで私は竜珠の花嫁の資格を手放す予定でいるから。

 ヴァレリーはこれで本当に幸せになれるから。


 ―――わかった。待ってるよ。


「早くお城に戻るようにするから」


 徐々にヴァレリーの面影がぼんやりとして、添えた手の感触も霧のように消えていく。


 ―――気を付けて。


 すっと近づいてきたかと思うと、竜化した顔のヴァレリーが頬をすり合わせてきた。

 名残惜しそうな目で、睡蓮を見下ろしていたけれど徐々に消えていく。


「ヴァレリー……」


 睡蓮は一人、湖のほとりに残されて先ほどまでヴァレリーが居た辺りに声をかけたが、返事は帰ってこなかった。

 睡蓮の脳裏にはふとフィルのことが思い浮かんだ。


 ごめんね、フィル。

 私、フィルとのこと、後悔してないって思ってた。

 トゥシャンに着いたら、フィルとのこと、本気で考えようとしてた。

 でも、フィルに触れられた時とヴァレリーにそうされた時の、私の気持ちが違うことに今さっき、ようやく気づくことができた。

 ヴァレリーの笑顔をもっともっと見ていたい。

 彼が私にだけ見せる表情を独り占めにしたい。

 そういう顔をさせるのは私だけ。

 ―――だった。今までは。


 そんなどす黒い感情を持ったまま、勘の鋭いフィルと一緒には居られないよね。

 自分を愛してくれる人と一緒に暮らすのが夢だと思っていたけど。

 でも本当は。

 自分が愛している人とじゃないと、自分が幸せになれないってことがようやくわかった。

 それは自分だけじゃない。ヴァレリーにだって当てはまる。

 ヴァレリーこそ、私なんかじゃなく本当に自分の愛している人間と結ばれるべきなんだ。


「ヴァル…」


 睡蓮は言葉にならない気持ちを、ヴァレリーの名前を呼ぶことだけに込めて呟いた。



 **********


「さあて。お嬢さんには飛竜の籠に乗っていただくわけだが」


 次の日の朝、ブルーノがそう切り出す。

 フィルは睡蓮と一緒に行くと言って聞かないし、飛竜の籠は電話ボックスぐらいの大きさなので二人で乗ると狭すぎる。

 飛竜は二頭。一頭は籠を持ってオリバーが騎乗し、もう一頭にはブルーノが騎乗する予定となっていた。


「……仕方ねえな。俺がお嬢さんを連れていくか」


 のんびりした口調でブルーノが結論付ける。


「しかし…! ブルーノ様が自らだなどと!」


 オリバーは声を荒げて反論する。


「元々、籠を持たせてさらに上に人を乗せるのも厳しいんだ。オリバーは籠を持つ飛竜を誘導してやれ」


 オリバーは苦々しい顔でフィルを横目で見ながら、わかりましたと力なく了承した。


「飛竜じゃなくて馬だっていいじゃないか。ここからトゥシャンまでは1週間ほどなんだし」


 フィンが口出しするとオリバーが突然フィンの胸倉を掴んだ。

 オリバーの方が背が高いため、フィンのつま先が浮いてしまう。


「黙れ。そもそもお前があんなことをしなければ……!」

「オリバー、止めろ」


 オリバーは勢いよく手を放し、フィンは思わずよろけてしまう。睡蓮はよろけたフィンに手を差し伸べるが、オリバーの初めて見る冷ややかな目にどきりとしてしまった。


「レン殿。そのような者に情けをかける必要はないです」

「……ちっ、馬鹿力め」


 フィンがぼそりと呟くと、オリバーが居間のテーブルをゆっくりと片手で持ち上げ始めた。


「何か言ったか、小僧」

「オリバー、いい加減にしろ!」


 ブルーノが一喝するとオリバーはどすっとテーブルを床に落とし、外へと出て行ってしまった。

 テーブルの位置を微調整しながら、ブルーノはのんびりした口調で話し出した。


「王子よ、あんまりオリバーを刺激してくれるな。あれでもかなり我慢してる方だからな。俺も自分の爪で掻っ捌いてやりたいぐらいにお前のことを思ってるが、お嬢さんの手前我慢してやってるんだ。もう少し謙虚でいてもらわないと困る」


 口調はのんびりとしているけれど内容が物騒なので、フィルはもちろん、睡蓮も何も言えないでいた。


「とにかく。王子は籠に乗り、お嬢さんは俺の背に乗っていけばいいさ」

「ブルーノさんの背中…?」

「ボス! 竜化するなら服を脱いでからにしてよね! いつも破いてその都度服を買い足ししなきゃいけないんだから」

 ニコルがキッチンから顔を出して大声で叫んだ。

「お嬢さんにはボスの着替え渡しておくよ。あの人、服に無頓着だから人の姿に戻っても恥じらいも何もなかったりするのよ、全く」

「おいおい…人を変態呼ばわりするなよ」

「するわ、ボケ!」


 フィンと二人で呆気に取られていたが、ブルーノは自分の意志で竜や人の姿に変身できるようだった。

 いずれヴァレリーも竜の気が安定してブルーノのようにコントロールできるようになるんだろうか。

 本物のイリーナさんが傍にいたらそれもできるようになるのかと思うと、自然と気持ちが沈む。


「トゥシャンで俺とのことも返事聞かせてくれるんだろ? なら早い方がいいか」


 フィンが昨日よりかは警戒心を解いた口調で話しかけてきたので、睡蓮は曖昧に笑みを浮かべて頷いた。


 どっちつかずの態度をしている私が一番悪い。結局はフィンも傷つけることになるんだから、自分が悲劇のヒロインだなんて思わないでいよう。


 **********


 ブルーノは白銀の竜の姿で睡蓮の目の前に現れた。オリバーが申し訳なさそうに鞍をつけていく。


「……本来ならこのような鞍を貴方様に装着するだなんて……無礼を失礼致します」


 オリバーにとってブルーノという存在は国王陛下よりも位が高いようだった。


「レン殿。準備が出来ました」


 騎乗するために手を貸してもらう。

 オリバーが睡蓮の左側に立ち、左手と左膝に手を添えるとフワリと軽やかに背中に騎乗することができた。


 ―――舌を噛むなよ


 いつもより少ししわがれたようなブルーノの声が頭に響く。

 睡蓮は鞍にしがみついて振り落とされないようにするしかなかった。


 馬で1週間かかる行程を、飛竜ならほんの数時間でたどり着く。


「ブルーノさん。お城に帰る前に寄ってもらいたいところがあるんですけど…」


 上空で比較的気流が安定してきた頃、睡蓮が話しかけると、ブルーノはちらりと背中に視線をやり、無言で話の続きを促した。


「本物の花嫁を、お城に連れて行きたいんです」


 ブルーノは睡蓮の顔を一瞥すると、前を向いて大きくため息をついた。


 ―――お嬢さんがそれで気がすむならな


「ありがとうございます」


 花嫁をお城に送り届けたら、私は元の世界に帰ろう。

 もう二度とヴァレリーに会えなくてもいい。

 ヴァレリーが幸せになるんだったら。



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