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朝食を取った後、ブルーノについてこいと言われて家の外に出る。
ブルーノたちが集落の一番大きな家に留まっていることについて、ここの集落の人たちはどう思っているんだろう。
ここに定住しているわけでもなさそうなのに。
今朝、この家の家事手伝いみたいな女性が朝食を出してくれたけど、態度があからさまにびくびくしていた。
お礼を言っても何も返事もせずにそそくさと家を出て行ってしまったし、何か圧力をかけられているような感じも受けた。
もしかして、ブルーノたちがここの人たちを脅して占拠している……?
睡蓮は肩身の狭い思いをしながら、ブルーノと自分を無言で見つめる集落の人たちの視線から目を逸らした。
その視線が、よそ者は出ていけと言わんばかりの敵愾心を含んでいるように思えたからだ。
向かった先は、歩いてほんの数分たらずの集落のはずれにある小さな石造りで出来た家だった。
不揃いな石を積み重ねて作った塀が、おとぎ話に出てくるような風景に見えていい味を出している。
「お嬢さん、気づいてるかわからんが鏡で自分の顔をよく見たか? 誰かに変な術を掛けられてるだろう? 瞳の色が術にかかった者特有の水色になってるんだが」
ブルーノが探るような視線で、突然そう切り出してきた。
「はあ…。今朝、鏡見てびっくりしました」
魔術を掛けられた際に、瞳の色が変わる説明は受けてなかったような気がするけれど、この世界は何でもアリなところがあるので、そういうものだと受け止めることにしていた。
そんな睡蓮の様子を、ブルーノは訝し気に見遣る。
「その様子じゃ意味を知らないようだ。水色の瞳は罪人と魔物の色と言われて忌み嫌われてる。特にここみたいな田舎だと差別は顕著に現れる。ここの住人の態度がおかしいのがわかるだろ?」
それはあなたたちが違法に占拠しているからじゃないのとは口には出せなかった。
「……元に戻すにはどうしたらいいんですか?」
「だから、王子に会う前に術を何とかしてもらおうと思ってね」
「……何とか、ですか…」
質問とは違う答えが返ってきて睡蓮は小さく溜息をついた。
セドラーク宰相にかけられた術を解いてもらえるんだろうか。声が出なくなるだけだと説明を受けたけれど、実際は術が強すぎたのか気を失ったわけで、これからも不用意にヴァレリーのことを口外して気を失うようなことは避けたい。
「術が解けたら、ぜひともお嬢さんの本音を聞きたいねえ。昨日は王子を生かすためにああ言ったんだと俺は考えてるんだがなあ」
ブルーノがそう言って小さな木の扉を開き、どうぞと部屋の中へと促した。
中へ入ると、居間の中央に後ろが透けて見える小さな老婆が立っていた。
足元には魔法陣がしかれ、青白く光っている。
「遅い」
「悪いな、ツィエッラ。お嬢さんを連れてきたから見てやってくれ」
ブルーノがソファにどっかりと座り込む。
スカーフを被った小さな老婆が睡蓮に向かって手招きをした。睡蓮は慌てて駆け寄り、老婆の前にしゃがみ込んだ。
「久しぶりだねぇ、黒の竜珠のお嬢ちゃん」
え? と睡蓮は怪訝な顔をするが、目の前の深い皺が刻まれた老婆の顔を見ているうちに、いつかの火のお祭りの時に出会った老婆だと気が付いた。
この老婆に竜珠のことを忠告されたのを思い出す。
「あ、あの時のおばあさん!」
「忠告したけど、竜珠に色々と振り回されているようだねえ」
「あの、ええと…すみません。言われたとおりにできてなくて」
しどろもどろになってどうしていいか思いあぐねていると、老婆は優しくほほ笑んで頷いただけだった。
「いいんだよ、そういうものだから。さあ、ちょっくらあんたにかかってる術を取ってしまうからね」
老婆の手のひらが額に添えられる。もう片方の手は顎と喉のあたりを押さえながらブツブツと何かを暗唱し始める。
しばらくすると黒い茨のようなざわざわと動くものがくっきりと目の前に現れ、自我を持って苦しんでいるかのようにのたうち回り始めた。
茨がのたうち回ると、胃袋を内側から押された時のようにえづきたくなる。
老婆の両手が睡蓮の額や喉のあたりから離れる瞬間、黒い茨を掴んで体の内側から引っ張り出している様子が見て取れた。
本物ではないから感覚はないはずなのに、茨が体の中から出ていく途中、体の内側のどこかで引っかかり、ぞわりと背筋に鳥肌が立つような、気持ち悪い感触があった。
「我流だな。面倒くさい術を掛けたもんだ」
老婆が掴んでいた黒い茨は、すっと霧散した。
「術は解いた。もう縛るものは何もないよ」
睡蓮がほっとして自分の喉のあたりをさすっていると、ブルーノが口を開いた。
「お嬢さん。今のうちに言っておく。王子は高熱のせいで最近の記憶がない。あんたを拉致してトゥシャンに向かっていたことは理解していたが……。ヴァレリーのことは本当にいいのか? ヴァレリーは俺の身内だからどうしたって贔屓したくなる。あいつのことを少しでも好意を持ってくれているなら、竜珠の花嫁の権利を放棄しないで…」
話している途中で、ブルーノと老婆が窘める。
「ブルーノ。お前さんはまだまだ青いの。そんな風に言われたらこのお嬢さんは無用な責任を感じてしまうだろうよ」
ブルーノがヴァレリーとのことを諦めて欲しくないと言った言葉よりも、睡蓮にはフィンの記憶のことが引っかかった。
「……フィンが、記憶をなくした?」
せっかく。フィンだけを見て行こうと決断したばかりなのに。
「お嬢ちゃん。トゥシャンに向かっていたのかい?」
老婆が優しくほほ笑んでそうたずねてきた。睡蓮はこくりと無言でうなずき、視線を床に落としてこれからのことをどうしたらいいのか考えようとしていた。
「トゥシャンに着いたら、この婆のところにおいで。ここじゃあ竜珠の話を引き出すのは無理だ。トゥシャンに来たら、竜珠が伝えない真実を教えてあげよう」
「竜珠が伝えない真実?」
「それは私にもわからんよ。ただ、竜珠が見てきた過去を辿ることは出来る」
「竜珠が見てきた過去……」
それはつまりヴァレリーの本当の想い人、イリーナさんのことも自分の母親のこともわかるということだ。
「……ぜひ! お願いします!」
「話は決まったようだね。それじゃあトゥシャンで待ってるよ」
老婆はそう言うと、すぅっと魔法陣と共に消えてしまった。
「……あんたが、ヴァレリーを選びたくない気持ちも、わからなくもない。誰もが好き好んで長く生きたいわけでもないだろうしな」
ブルーノは消えてしまった老婆の居たところを見つめながら、ゆっくりと独り言のように呟いた。
「結局、俺は竜珠の花嫁を手に入れることは出来なかった。だがその代わり、あいつの子孫を見守っているうちに、あいつを竜珠の花嫁にせずにすんで良かったのかもしれないと思うようになってきた」
ブルーノは睡蓮の返事を別に期待していないかのように立ち上がった。
「ま、待ってください…!」
睡蓮も慌てて立ち上がる。ブルーノの顔は昔話をして悲しい顔をしているのかと思いきや、特に表情は変わらない。
「あの……、竜珠の花嫁ってどうやってわかるものなんですか?」
我ながら間抜けな質問だと思った。散々、竜珠の気配があるから竜珠の花嫁だと周りから言われ続けていた。けれど、当のヴァレリーから正式に竜珠を受け取ったわけではないのに竜珠の花嫁に仕立て上げられてしまっている自分には、どうしてもブルーノから聞いてみたかったのだ。
「……竜の血を引く男から見た竜珠の花嫁ってのはな、何かが欠けてるんだ。それが目印なのさ」
「何かが…欠けてる……?」
初めはぴんと来なかったけれど、そういえば最初はヴァレリーとだけ、何故か話が通じなかったことを思い出す。それがそういうことなんだろうか。
「さあ、そろそろ戻るか」
ブルーノに促されて家を出る。
そんなに長い時間ではない距離だったけれど、通りすがる村人たちの視線は特に感じなかった。
「……さっきと村の雰囲気が全然違いますね」
「術が解けたからかな。いろんな術が複雑に絡み合っていたようだ。一つは初対面の人間に敵愾心を持たすような術もかけられていた。だから昨晩は俺もまんまとひっかかった。といって女性に剣を向けて怪我を負わせたことへの免罪符にはならない。すまなかったな」
ふいに優しい口調で謝られると、こちらもどんな対応をしていいのか戸惑う。
それにこの人は瞳の色は違えど、顔立ちがヴァレリーにとても似ているのだ。髭を剃って瞳の色が銀色になればヴァレリーだと言ってもわからないくらいに。
睡蓮はブルーノを通じて、ヴァレリーを見ているような錯覚に陥った。
「……あの。ブルーノさんは竜珠の気配ってわかりますか?」
「お嬢さんのか? まあ、他の奴の竜珠の花嫁だというぐらいにはわかるぞ?」
「オリバーさんもわかるって言ってました。でも私は信じられないんです」
「……ああ、話は聞いてる。ヴァレリーが何だか色々複雑にしてるらしいな。当事者になるとわからなくなるもんなのかね」
ふああ、とブルーノは大きくあくびをした。
「トゥシャンで謎が解けるんだ。いくら考えたって今は答えは出やしないよ。昨日の答えは保留にしておく。ゆっくり考えなおしてくれ」
それはつまり、ヴァレリーを選びなおしてくれと言外に言っているように聞こえ、睡蓮は複雑な気持ちで頷いた。




