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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 耳鳴りがしているせいで、耳が遠い。

 うっすらと目を開けると、フィンが必死な形相で見下ろしていた。

 返事をしようとして、突然沸き起こる吐き気に顔を横にする。

 横を向いた瞬間、手を添える暇もなくびっくりするぐらいの大量の水を吐き出して咳込むと、フィンがそっと背中をさすってくれた。


「…あ、あり…」


 誰の声かと思うぐらいのだみ声に、一瞬口を閉ざした。

 喉の奥がいがらっぽいし、少し生臭いような気もする。


「無理してしゃべらなくていい。…ったく、なんで足の届かないとこまで行くかなあ。ほんと危なっかしいな、あんた」


 吐き気がなくなってから改めてフィンを観察してみると、彼は全身びしょ濡れだった。


「今日はここで野宿するから。もう絶対に一人で湖に入んなよ」


 声を出す代わりにこくりと頷くと、フィンは前髪をかきあげて頭を軽く振る。空を見上げて少し考え込むような仕草を見せたけれどすぐに荷物を手に取って言った。


「雨が降りそうだから岩陰に行く」


 つられて上空を見上げると、確かに雲の層が厚い。ツェベレシカを出た時はそんなに気温は暑くなかったように思った。徐々に南下しているせいなのか、気温が高い。

 ここはまだイシュト帝国の領域だろうけど、冬は寒すぎるけれど春は過ごしやすかったツェベレシカとは全く違う。

 南の国トゥシャンについたらどれほど暑いんだろうと、今から少しげんなりしてしまう。

 追っ手に追われつつも、そんな風にまだ見ぬ異国のことに思いを馳せるぐらいに、睡蓮はフィンに頼り切りで安心しきっていたのだった。


「……疲れたからちょっと早く休むわ」


 フィンが咳をしながら毛布に潜り込む。

 思えば夕飯時もフィンは無言だった。調子があまりよくないんだろうか、とこちらに背を向けて寝ころんだフィンを見ながら心細くなる。

 睡蓮は夜中にでもすぐに出立できるように荷物を簡単にまとめておいた。

 焚火の火はもうすぐ消えそうだったので、思い切って水をかけて消してしまった。

 明日の朝、焚火が使えなくなって怒られるかもしれないけど火事になるよりマシだろう。いつもフィンの方が寝るのが遅いため、消し方を知らなかった。

 火を消すと途端に辺りは真っ暗になり、心もとない。


「フィン? 私も寝るね」


 ごそごそと毛布に入り込むと、隣で横になっているフィンの体がやけに熱く感じた。


「……? フィン? 熱でもあるんじゃない……?」


 そっと額に手を添えると、かなり熱い。首筋も同様で、相当熱があるように思えた。

 フィンは微かにうなっているだけだった。

 熱にうかされて、呼吸が荒い。

 とりあえず、布を水に濡らして来よう。体温を下げなくちゃ。

 睡蓮は毛布からそっと抜け出すと鞄の中からハンカチを取り出して湖へと駈け出した。

 ああ、なんで鞄の中に薬とか入れておかなかったんだろう。

 フィンの荷物の中に薬入ってたかな。こっちの薬って錠剤なのかな。飲ませやすいものだったらいいんだけど。


 睡蓮の頭の中はフィンの体調を元に戻すことでいっぱいだった。フィンが倒れてしまっては、トゥシャンへの道もわからないまま路頭に迷ってしまう。

 この谷から近いという村まであとどれぐらいなんだろう。フィンが歩けないなら人を呼んでこれるような距離なんだろうか。

 そんな考え事をしながら湖にハンカチを浸していると、首筋にヒヤリと冷たいものが当たる。


「……声を出すなよ? お嬢さん。言うこと聞いてくれたら助けてやるから」


 低く抑えた男の声が背後から聞こえてきた。

 視線を斜め左下に向けると、首筋に当たっているのが剣だとわかる。

 長い剣が首筋から胸元へと斜めに伸びてきていたからだ。

 追っ手なのか強盗かどちらなのか見極めきれない。

 ごくりと生唾を飲み込むと、チリッと首筋が痛いような熱いような感覚を覚えた。


「おっと切っちまったか? すまないね。けどな、ヘタに動くと薄皮一枚だけじゃ済まないよ?」

「逃げたりなんかしません。連れに病人がいるので看病させてもらえませんか?」

「……へぇ? 病人? 今頃死んでるかもよ? 俺の仲間がとどめ刺してるかもしれないし」


 仲間と聞いて愕然とする。何人いるんだろうか。とどめを刺すなどと物騒なことを聞かされ、自分の無力さを思い知らされる。


「ボス。王子は熱で動けないみたいよ。どうする? 一緒に連れて行く?」


 若い女が近づいてきて剣を持った男に問いかけてきた。


「そうだな……。奴には利用価値があるかもしれないし、花嫁は確保したしな」


 不意に剣が視界から消えた。

 背後で金属が擦れて、剣が鞘におさめられた音が聞こえる。

 振り向こうと体を少し動かそうとした時、急に二の腕を掴まれて男の方へ体の向きを変えさせられた。

 胸元を遠慮なく引かれ、抗う前に竜珠を掴まれる。

 男は月明かりの逆光であまり顔がよく見えない。

 不意に男性に腕を掴まれ、嫌悪感しかなくて、体中に震えが走る。がくがくと足を震わせながらも睡蓮は必死になって歯を食いしばり、その場に踏みとどまった。


「竜珠の花嫁、ねぇ……」


 さして興味もなさげに男は声をかけてきた女に睡蓮の腕を投げるように渡した。

 受け止めた女はボスと呼ばれた男よりかは幾分優しく睡蓮の腕を掴んだけれど、決して離そうとはしなかった。


「手荒な真似をして悪いけど、私たちは敵じゃない。信じてもらえないかもしれないけど、ここで暴れたりなんかしたら王子の命は保証できない。わかるでしょ? 私たちのボスは異様に短気なの」


 睡蓮は黙ったままこくりと頷いた。

 そうだ。ここで事を荒立てても何もいいことはない。

 命は助けてもらえると言っていたけど首は既に薄く切られた。

 この世界では突然命を奪われてもおかしくないんだ。


 ************


 睡蓮はこれから先へ進もうとしていた崖の合間の小道を歩かされた。

 少しひらけたところに出ると、松明の明かりがあって少しほっとする。近くの木には3頭の馬がつながれていた。

 睡蓮は腕を掴まれたまま、腕を掴んでいる女に強引に馬に乗せられた。

 馬車はない。フィンは意識がないのか、別の馬の鞍にくくりつけられるようにしてうつ伏せ状態のままになっている。

 追っ手はたったの3人だった。ボスと呼ばれた男に、フィンを抱えて馬に乗ろうとしている男、そして睡蓮を捕まえている女だった。

 馬のたてがみを掴んで体を強張らせる。

 急に馬が速歩になると睡蓮はバランスを崩して落馬しそうになった。


「きゃっ、何あんた。馬に乗ったことないの?」


 女が呆れた様子でその場で馬を止める。バランスを崩した睡蓮を後ろから抱き起しながら、ボスの方へ一瞥する。

 するとボスと呼ばれた男がすぐさま戻ってきて自分の馬から降りて近づいてきた。


「おかしいなあ。貴族のお嬢様なら乗馬も嗜んでるはずなんだがなあ」


 のんびりした口調で、睡蓮の顔を覗き込む。

 松明の明かりでようやくはっきりと見えたその男の顔は、肩につくぐらいの黒い長髪だった。

 頬から顎にかけてひげを生やしているせいか年齢不詳で、口調はのんびりとしているけれど視線だけはやけにぎらついていて、威嚇されているような気分になる。

 暗がりで真っ黒に見える瞳は、獰猛な肉食動物を思い起こさせる。


「仕方ない。俺の馬に乗せるか」


 独り言のようにつぶやき、睡蓮の両脇に手を差し込むと万歳をするような姿勢で男の方へ体重移動させられ、するりと馬から降りられた。


「とりあえず、王子の暮らしてた村に行く。道中、聞きたいこともあるからちょうどいいか」


 次はボスの馬に乗せられ、背後に飛び乗られると首筋と背中がぞわりと鳥肌が立った。

 ヴァレリーやフィンとは違う、男の匂いだ。汗と土埃に煙草のやにのような匂いが睡蓮の周りを覆う。

 睡蓮は体を震わせながらもじっと耐えていた。

 けれど、突然首筋に生暖かい息が吹きかけられたかと思うと、べろりと傷口を舐めあげられた。

 驚いて睡蓮は悲鳴こそ出さなかったけれど体を半分ひねって男から少しでも離れようとした。


「ちょっ…! な、何…やめっ」

「血が出てるから消毒だよ。そういう初々しい反応、最近ご無沙汰だからそそられるねぇ」


 獣のようにぎらぎらと鋭い視線で睡蓮を品定めするように見下ろす男に、睡蓮はすぐに前に向き直るしかなかった。

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