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文中に血生臭い表現があります。ご注意ください。
ごつごつとした大きな岩が重なり合って雨宿りが出来るようになっている場所で、今日は野宿をするということになった。
荷馬車は少し離れた林の入口に止め、荷馬車から離れた馬はゆっくりと草をはんでいる。
火は同行している中年男性側から借りることにして、フィンが手早く干し肉を干した芋を入れたスープを作ってくれた。
干し肉からの塩味が効いていて、お世辞なしに美味しかった。
お代わりを要求すると嬉しそうによそってくれる。
顔もスタイルもよくて、歌も料理も上手で、ぶっきらぼうだけど実は優しいってどれだけモテ要素持ってるんだろうこの人…。
と、こちらの世界ではあまりに料理が出来ない睡蓮は、遠い目をしながらスープをすする。
「あんたら二人は仲がいいねぇ、羨ましいこった」
荷馬車の中年男性がにこやかに言うと、睡蓮は少し恥ずかしくなって俯いた。
フィンは何も言わずにぺこりと頭を下げる。
「ところで夕飯食べ終えたら、少し離れたところで野宿したいんですが」
え? 聞いてないよ、と睡蓮が顔をあげると、フィンは睡蓮の肩を抱いて少し怖い笑みを浮かべた。
短い付き合いだけど、これは良いから黙ってろっていう顔をしているように見えたので、睡蓮は素直に愛想笑いを浮かべて黙ったままでいた。
「ああ、わかってるよ、大丈夫。そんな無粋なことはしないから。ただ、あまり離れないでおくれよ。夜は夜盗や獣が出るから」
「ありがとうございます」
フィンが言わんとしていることを察して、睡蓮は顔を真っ赤にする。
焚火のせいで顔が赤くなっているのがばれなかったのが幸いだったけれど。
食事を終えるとフィンは自分たちが持ってきた荷物をまとめて担ぎ上げた。
そしてきょろきょろと辺りを見渡すと睡蓮の腕を掴んで無言で林の中へと早足で歩き出した。
「ねえ、何も全部持ってこなくても」
「…しっ。少し黙ってな」
フィンが鋭い口調でそう言うと、睡蓮はぐっと唇をかみしめた。
そしてしばらく暗い山道を歩いていくと大木の前に出た。
その木の根元には樹洞があり、人が一人ぐらい入れそうな空間があった。
睡蓮を無理矢理その中へ押し込むと、毛布を上からばさりとかけられる。
慌てて顔だけ出して抗議しようとするも、真剣な顔をして見下ろされてしまっては二の句が告げられなくなる。
「どうしたの一体…」
「…さっき野営する前に小休止した時からつけてきてる奴らがいる。単なる物盗りなら荷馬車の方を狙うはずだ。俺たちの方に来れば、目当てはあんただ。これ以上追ってこれないように少し脅かしてくる」
その言葉に睡蓮はびくりと体を震わせた。
もしそれがセドラーク宰相が仕向けた殺し屋だったらどうしよう。フィンが巻き込まれて死んでしまったらと考えると、突然、死が身近な存在として目の前にやってきて、睡蓮はガタガタと震え始めた。
「…朝までに俺が戻らなかったら、この森の奥に進め。森を抜けたら谷がある。少し下ったところに谷へ下りていく小道が」「……や。行か…ないで…ここで一緒に隠れ」
フィンの説明を遮るよう、縋るように声を震わせて乞う睡蓮の唇をフィンが素早い動きでふさいだ。驚いて睡蓮は目を見開く。
フィンの唇が睡蓮のそれをふさいでいたのは一瞬だった。すぐに離れると頭を軽く撫でられる。
「詳しいことは後で」
フィンはそう言ってその場を足早に去っていった。
睡蓮は震える両手で毛布をかき抱き、頭から被った。
そして両手を口元へ持っていき、今さっきフィンにキスされたことについて気持ちがぐちゃぐちゃで何も考えられなくなっていた。
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どれくらい、時間が経ったのかわからない。
まだ夜は更けたままだ。時折、何かの足音のような音が聞こえたような気がして息をひそめる。
早く、早く戻ってきて。
胸元の竜珠を強く握りしめながら睡蓮はフィンの無事を祈っていると、ふと風に乗って血の匂いが漂ってきた。
むせかえるような血の匂いだった。
パキ、と枝が折れる音と遠慮のない足音に睡蓮は今度こそ息を止めた。
つま先も出来るだけゆっくりと体の方へ縮こませた。
その足音の主は、血の匂いを全身に纏い、樹洞の入口に立った。
ものすごい力で毛布をはがされる。
かすかに後ろからさす月光で顔はよく見えない。ギラギラした目だけが睡蓮を見下ろしている。
「見つけた。お前が竜珠の花嫁だ…」
「目を瞑れ」
フィンの声が耳に届くと反射的に目を瞑った。その直後、獣のように大柄な男の下卑た声が聞こえたかと思うと、すぐにかえるが鳴くような、ぐぇと喉のつぶれた音がする。
その後、ゴポゴポと妙な水の音が聞こえ、どさりと地面に倒れる音がした。
「…レン。行くぞ」
固い、フィンの声が頭上からかかった。そおっとまぶたを開けると、地面に何か大きなものが横たわっている。顔をあげると目が異様に光っているように見えるフィンの顔があった。
夜目でもフィンの髪や顔、体が汚れているのがわかる。
それも、泥汚れじゃない。血のりのようなものだ。
「怪我したの!?」
「…返り血だ。荷物を汚したくない。悪いけど持ってきて」
息絶えた大柄な男をよけるようにして樹洞を出ると、男の喉のあたりからどす黒い液体が溢れて水たまりを作っている。
睡蓮は人間が殺されるところを直接見たわけではないけれど、あの音とフィンの持っているナイフから液体がしたたり落ちているのを見て、今ほんの数秒前にとどめを刺したというのがわかる。死体の方をあまりみないように荷物を抱えなおした。
フィンは睡蓮の方をあまりしっかりと見ずにふらふらと歩き出した。
さっきと様子が違うフィンの後を、何も言わずについていく。
フィンの足取りは危うい。突然倒れそうなほどだった。崩れ落ちそうになったのかと思うと、屈んで木の枝を拾っては束ねていく。
ついてきた場所は、大きな洞窟の入り口だった。
月明かりに照らされたフィンの背中はやけに小さく見える。
そして、さっき拾った木の枝に器用に火をつけて松明にした。
「中に湖があるんだ。そこで血を落としたい」
フィンが何故ここの地形を詳細に知っているのか、今はそれを聞く雰囲気ではなかった。
睡蓮は荷物を持ち直してフィンの後についていく。
しばらくすると地底湖のような場所に出た。高台のところに荷物を置き、浅瀬のところから湖に入れるようになっている。
フィンは松明の火を焚火へ起こすと、服を着たまま湖の中にざばざばと入っていった。
そう言えば宿で使いきれなかった石鹸を持ってきたことを思い出し、睡蓮は鞄の中をあさってタオルと共に石鹸を取り出した。
フィンの瞳がいつもと違うような感じがして、胸がざわつく。
目の前のものを何も映していないような、どこかぼんやりとしているように見える。
湖がどのぐらいの深さなのかわからないけれど、フィンが溺れないように見張っていなくては、と自分もそっと湖の中に足を入れる。
洞窟の中の気温が一定だからなのか、水温もそんなに冷たいとは思わなかった。
フィンの近くへ寄ると、髪の毛についた血がまだ綺麗に取れておらず、顔に薄まった血がしたたり落ちていて、睡蓮は血の匂いで吐き気をもよおしたけれど、ぐっとこらえた。
血生臭さからくる吐き気をこらえつつ石鹸を泡立て、フィンの髪の毛に泡を乗せて血を洗い流していく。
やがて、フィンがシャツを脱ぎ始めた。
睡蓮は慌てて傍を離れようとすると、フィンが自分の方へ引き寄せるようにして強く抱きしめてきた。
背中に手を回すとフィンの体が震えている。水の冷たさだけじゃなさそうだった。
「…人を殺した日は、いつもこうなる」
改めてフィンの口からその言葉を耳にして、睡蓮は体を強張らせた。
いつも、とフィンは言った。
躊躇なく息の根を止められるくらいだ。経験はあるんだろう。
むせかえるくらいに血の匂いを纏い、返り血が体中にべったりついていたのだ。目の前で事切れた相手以外にも追手は居たはずだ。
ストレートに告白されると改めて恐ろしくなる。
それにあの大柄な男は竜珠の花嫁と言っていた。命を狙われるって映画のような話ぐらいにしか思えなかったけれど、匂いや音を実際に聞いてしまうと本当に現実に起こったことだと理解できる。
機転の利くフィンが一緒にいなかったらどうなっていたことか。
いなかったことを想像すると、人を殺したという恐怖よりも、感謝の気持ちの方が先に来た。それにフィンが無事に戻ってきてくれたことも素直に嬉しかった。
「ごめん…ね。助けてくれてありがとう」
フィンと向き合い、睡蓮が静かにそう言うと、フィンの虚ろな瞳に少し光が戻ってきた。
そして両手をゆっくりと睡蓮の頬へ添える。
しばらく見つめあった後、ゆっくりと目を閉じて深く唇を合わせてきた。睡蓮もそれを拒まず受け止めた。
焚火の火が二人を照らす。
洞窟内の岩肌には二人の重なる影がゆらゆらと揺れていた。




