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フィンはこの交易街に何度か来たことがあるようで、格安で清潔な宿は比較的早くに見つけることが出来た。
部屋はやっぱり一部屋しか取ってもらえず、案内された室内は狭く、大人が3人くらい余裕で眠れそうな大きなベッドが一つだけだった。
「…ちょっと気になるな」
フィンが眉間に皺を寄せて独り言ちた。
「だよね? 宿の人に部屋を変えてもらう?」
フィンも同意見だったことに睡蓮は思わずそう言うと、フィンは窓辺に立って窓を開け閉めし始めた。
「何してるの?」
「ん? いや、この部屋って宿の一番奥でおまけにドアが奥まってて階段や廊下から死角になってる。窓も人が一人出入りできる大きさだし、闇に紛れて物取りが侵入して来やすいなと思ってさ。まぁ、こんな宿だからそういうのも計算のうちかもしれないけどな」
そういうのってどういうこと?
睡蓮が言葉にしなくとも疑問が顔に現れていたようで、フィンは窓を閉めなおすと少し詳しく説明をし始めた。
「交易ってさ、表沙汰にはできない品物が出回ったり、人身売買もやってたりするんだ。奴隷って見たことあるか? そういう奴らも裏で取引されてる。それに、こういう間取りの宿は取り締まりが来た時のいざっていう逃げ場を作っておくのさ。逆に宿の他の人間に知られないよう、こっそり部屋に呼ぶというのもあるけどな。現にこの窓から隣の建物の階段に普通に行き来できるようになってた」
ほんの数分の間にそこまでいろいろ考えて検証しているフィンに、睡蓮は驚いて二の句が告げられないでいた。
「まあでも…お前ひとりぐらいは何とかなるだろ」
何のことだかわからないけれど、結局一人で納得し、着替えの入った大きな荷物を床に置いて部屋を出ていこうとする。
「何やってんだよ、買い出しの前に夕飯食いに行こうぜ。腹減った」
フィンに連れられて行った食堂では、家庭料理のようなメニューが並んでいるようだった。
小さなテーブルにてっきり向かい合わせに座るのかと思ったら、真横に座られた。元の世界でも隣同士に座るカップルを見たことはあるけど、実際に自分がやったことはない。
フィンはあまり人と触れ合いたくないみたいなのに、必要以上にくっついてきたりと、この距離感の取り方は意味が分からない。
メニューを渡されて早く選べ、と催促されるけれどなんて書いてあるのかは読めても意味が取れなかった。
フレンチやイタリアンで食べたことのない食材のメニューが書かれているのと同じ感覚だった。
なのでこんな風味が食べたいと伝えて、フィンにお任せすることにしたのだった。
しばらくして睡蓮の目の前に置かれたのは、トマトのような赤い野菜で煮込んだ鶏肉の下にパスタが敷いてあるものだった。
フィンと二人で食べるのかと思いきや、フィンの方にも分厚い肉の塊がやってきた。
大勢で取り分けて食べるような料理で、一人じゃ食べきれない大きさでどうやって食べていこうと考えていると、フィンが横からナイフを伸ばして豪快に鶏肉を切り分けて一口分を頬張った。
その後、小さなお皿に取り分けてくれて睡蓮の方へ手渡す。
「何だよ? その恨めしい顔は。全部食いやしねえって。先に毒見してやっただけだよ」
そういえば、この人は飲み物も先に口をつけて確認してくれる人だった。クレールの屋敷では誰も目の前で毒見をする人はいなかったけれど、おそらく直前に毒見係が味を見ていたんだろうと推測する。
「恨めしい顔なんてしてない。でもなんでいつも私の食べ物や飲み物を毒見してくれるの?」
フィンは睡蓮が突っ込んだ質問をしてくるとは思っていなかったようで、口の中でぐっと変な声を出しながら食べ物をごくりと飲み込んだ。
「…お前、ほんと常識ねーのな。周り見てみろよ。こういうところじゃ飲み物には毒消しの薬を入れて飲んだり、複数で食事をするときは一人が先に味見をするんだよ」
顔を近づけて囁くような声でそう言う。
フィンにそう説明されてから周りを見渡すと、他のテーブルでは目薬のような小さな薬瓶が置いてある。水差しに薬を差し入れたり、カップごとに薬を入れている姿も見えた。
「あ、ほんとだ。フィンは物知りだね」
睡蓮が素直にそう言うと、フィンは少し口を尖らせてぶすっとした顔になった。
「え? 何か変なこと言った?」
「…いや? ていうか、お前、もうちょっと人を疑うってことを覚えた方がいい。素直すぎるのもどうかと思う。見てて危なっかしい」
「でも今はフィンが一緒に居るから大丈夫でしょ」
睡蓮がそう言うと、フィンは肩をすくめてすぐに自分の料理に手を付けはじめた。
口調はぶっきらぼうだけど、ちゃんと気遣いをしてくれるくらいには優しい。
そしてどこかで食事のマナーを教わったのだろう、ここが大衆食堂とは思えないほど優雅なテーブルマナーが身についているようだった。
少しずつフィンという男と過ごすうちに、いろんな面が見えてきて睡蓮は最初に感じていた不安が薄くなっていくのを感じていた。
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夕飯を食べ終えた後、市場で野宿用の食糧や水を買い、荷馬車の一行が泊まっている宿に届けてもらう手続きを終えて市場から出ると、日がとっぷりと暮れていた。
街の明かりは少し心もとない感じで、明かりの届かない影になったところに何が潜んでいるのか真っ暗で何も見えなかった。
「日が暮れると治安が悪くなる。早く宿に戻ろう」
フィンがそう言った直後、背後からざらついた声音の男の声が聞こえてきた。
「おやおやおや。なんだい、久しぶりじゃないか、王子様よぉ」
ぱっと振り向くと、リーダー格らしきいかつい男と取り巻きの男たちが5、6人ほど立っていた。
すぐさま横にいるフィンに顔を向けると、彼は後ろを振り向かずに俯いていた。
「フィン…?」
睡蓮がフィンに声をかけると、下卑た声で男が笑った。
「不遇のフィンダル王子様にも、ようやくお姫様が出来たってかぁ? なぁ、王子? いいご身分になったよなぁ」
フィンの雰囲気が変わった。
顔つきが全然違う。静かな怒りを瞳にたぎらせていた。
「…宿に戻ろ? ね?」
「レン。荷物持て」
明日の朝食分が入った袋を無理矢理押し付けられたかと思うと、急に視界が回る。
フィンが睡蓮の膝の後ろに手を回し、抱きかかえて走り出したからだ。
こういう時は黙っていた方が正解だと悟った睡蓮は目をぎゅっとつむってフィンの胸元の服にしがみついた。
しばらく男たちに宿を知られないよう、迂回しながら宿にたどり着き、睡蓮を下ろしたフィンは部屋に着くなりベッドに倒れこんだ。
睡蓮を抱きかかえたまま、ほとんど全速力のスピードでずっと走り続けていたのだ。ヘトヘトになるのも仕方がない。
「……あー、かっこわりぃ」
「フィン、水飲んだ方がいいよ、はい」
睡蓮が水を差し出すと、フィンはゆっくりと体を起こして水を受け取った。
ぐいと飲み干すと、フィンは何か言いたげな顔で睡蓮を見上げた。どこか自虐的で寂しげな瞳に、睡蓮は胸が痛くなる。
「ツェベレシカ人なら、不遇の王子って知ってんだろ?」
睡蓮は首を横に振る。しかしフィンはそのことを知っているのに知らない素振りをしていると解釈したようだった。
「男娼やってる時につけられた通り名さ」
男娼と聞いて、下手な慰めの言葉はフィンの気持ちを逆なですると思い、口を噤んだ。
女性にモテそうな派手な外見をしているのに、あまり人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているのは、人を信じることをやめてしまったからなのかもしれない。
「湯浴み、先にして来なよ。明日は野宿だし、早めに寝よう」
睡蓮は何事もなかったかのように振舞った。
フィンは睡蓮には顔を隠すようにしていたが、泣きそうな顔になりながら湯浴みをしに行ったのだった。




