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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 出発する前日、睡蓮は王宮に呼び出された。

 ツェベレシカを離れ、トゥシャンに行く前に言霊の術というものを掛けるためだ。

 王宮について護衛騎士に連れられて来たのは、以前ヴァレリーを閉じ込めていた教会の中庭だった。

 こちらでお待ちくださいと言われて、芝生の真ん中に一人で立たされる。

 いったい、何をされるんだろうと不安になっていると背後から声を掛けられた。


「レン殿。お待たせしました」


 ゆっくりと振り返ると、セドラーク宰相が小さく笑みを浮かべて立っていた。

 彼の後ろには護衛騎士と魔術師と思わしき人物も控えている。フードを深く被っているため、顔はよく見えない。

 睡蓮はおずおずとカーテシーの挨拶をする。


「魔術を施術するにはこちらの方が都合が良いのでね」


 睡蓮が顔をあげるとセドラーク宰相は頷いて視線を自分の背後にやる。すると騎士たちの背後に控えていた魔術師が静々と睡蓮の前へとやってきた。

 魔術師というから老人なのかと思いきや、意外と外見は20代か30代のような顔だちの男性だった。

 王宮の体制は本当に若い人間で固めているんだな…と、ふと思う。


「これから言霊の術を開始します。すぐに終わりますので気を楽にしていていただけますか?」

「は、はい…」


 ケイナからは何も教えてもらえなかったのでごくりと唾を飲み込む。痛かったら嫌だなと思いながらも深呼吸をする。

 魔術師が詠唱を始めると、足元に薄青に光る魔法陣がぐるぐると円を描きながら浮かび上がった。

 綺麗、と思った瞬間、突然頭の中で黒い茨の蔦がものすごい速さで増殖し始め、目まぐるしく右往左往に動き出した。


「…ひっ!」


 まぶたを開けているのに、目の前には黒い茨の蔦しか見えない。

 脳みそを直接縛られているようなざわりとする不快な感覚がしばらく続いたのち、急に視界がひらけた。


「お疲れさまでした」

「…っは…」


 しばらく空を見上げて身動きが取れなかった。遠くで魔術師の声が耳に響く。痛みはないけれど、あの不快な感覚が遠ざかっていくのを感じる。

 顔を俯かせて、思わず握りしめていた手を開いて大きく溜息をついた。


「……?」


 手のひらを見つめていると、不快な感覚とともに何か忘れちゃいけない大事なものも一緒に遠ざかっていくような気がした。


「それでは確認です。あなたは以前、この教会に通っていましたね。何故ですか?」

「それは…」


 睡蓮は次の句を告げられないでいた。

 確かに自分は国王陛下の命令で通っていたことは覚えているのだけれど、何故、ここに来なければいけなかったのかは思い出せない。


「えと…通っていたことは覚えているんですけど…どうしてだかはわかりません」


 睡蓮がそう答えると、セドラーク宰相は笑みを浮かべたまま頷いた。


「そうですか。それでは質問を変えましょう。あなたは竜珠の花嫁と聞いて何を思い浮かべましたか?」


 竜珠の花嫁、という単語は知識として知っていた。

 その多くは竜騎士の妻を指すが、国王陛下の正妃にも当てはまる。

 それをそのまま伝えると、またしてもセドラーク宰相は表情を変えることなく頷く。


「次の質問です。ヴァレリー・リブタークという男を知っていますか?」


 睡蓮は聞いたことがあるようなぼんやりとした記憶の中からその名前を思い出そうとしばらく考え込んでいた。

 そういえば、この世界にやってきたばかりの頃に誘拐事件に巻き込まれたことがあった。

 直接助けてくれたわけではないけれど、命の恩人ともいえる人だと聞いたことがある。


「…彼のことはよく知りませんが、私の命の恩人だそうです」


 睡蓮の言葉に、セドラーク宰相は深くお辞儀をした。


「それでは最後に。私の後に続いてこの言葉をおっしゃってください」


 セドラーク宰相は魔術師の方へ顔を向けると、小さく頷きあっていた。


「私はヴァレリー・リブタークの秘密を知っている」


 それだけ? という気持ちが顔に出ていたのだろう。彼は微かに笑みを浮かべながらどうぞ、と促した。


「私はヴァレリー・リブタークのひ」


 そこまで言った瞬間、体中の血液が沸騰するように体中が熱くなり、胃の中の物を全て吐き出したくなった。

 震える手で口元を抑えると手のひらに血がついていた。

 口の中は鉄の味がしない。つぅ、と鼻から血が出ている感触があった。


「さあ、最後までおっしゃってください」


 人が血を流しているのなんて物ともせず、セドラーク宰相は機械的に言葉を発する。

 この人は、人の生死には頓着しないのだとぼんやりと確信した。


「ひ…み」


 次の言葉を発しようとした途端に視界が真っ赤になった。

 睡蓮は頭の中の血管がぷつりと音を立てたのを聞いたのを最後に、意識を手放した。


 **********


 がたごとがたごとと、不規則に揺れる感触で目が覚める。

 天井が布とロープの幌になっていて、少し埃っぽい。しばらく自分がどこにいるのかとぼんやり考える。


「気がついたか?」


 顔を少し動かして声のする方へ向けると、フィンが傍らにしゃがみ込んでいた。


「あんたがなかなか目覚めないから、俺たちだけ後から出発したんだ」


 そうなのか…と思うと共に、ケイナとアビーが一緒じゃないならこの旅は不安だらけだ。

 そんな不安そうな顔を見透かしたのか、フィンは小さな革袋を差し出した。


「そんな不安そうな顔するなよ。一座の進むスピードよりもこっちの荷馬車の方が早い。二日くらいで追いつく」


 ゆっくりと起き上がって皮袋を受け取る。

 丸くて硬いものが入っている感触があり、袋から出してみるとそれは母の形見の黒真珠のネックレスだった。


「…っ! これ…っ」


 睡蓮が前のめりになってフィンに声をかけると、フィンは頷いて少し睡蓮の方に近づいてきた。


「それ、お前の大事なものなんだろ? ケイナが渡してくれって」

「…え? ケイナが…?」


 手のひらの上にあるネックレスを見て、いつ手放したのかすら思い出せない。

 とにかくも、自分の手元に戻ってきたのなら一安心だ。いつも不安な時にはこのネックレスを持っているだけで軽減されるから。


「二日もかかるなんて…途中はどこかに泊まるの?」

「ああ、この荷馬車が止まるところで俺たちも泊まる」


 この世界に来て、宿に泊まるのは初めてだ。

 部屋は二つ取ってくれるんだろうか。そもそも部屋で一人きりになっても安全なんだろうかと不安になる。


「…宿に泊まる金は自腹だ。節約したいから部屋は一緒にするけど」


 フィンは睡蓮の顔色が変わったのを見て、ふ、と少し口元を緩めた。


「…安心しろ。嫌がる女を襲うほど飢えてないから」


 それ、全く安心できるセリフに聞こえないよ、と内心思う。

 でも仕方ない。ケイナがこの人を信用して二人きりにしたんだったら、私も隙を見せないように自衛していくしかない。


 **********


「お二人さん、早いけど今日はここで宿を取るよ。明日は野宿になるから湯浴みしとくといい」


 人の好さそうな荷馬車を御している中年男性が声をかけてきた。

 睡蓮はぺこりとお辞儀をしてフィンと共に荷馬車から地面に降りたった。

 フィンに聞くと、ここは元イシュト帝国地域で周辺諸国の交易街テシュキジャだという。東西南北の物資が豊富に取引されているようで、10年前に壊滅状態になったとはいえ道を行き交う人々の顔色は明るい。てっきり全国民がひもじい生活を強いられているのかと思っていた睡蓮は、活気のある人々を見つめてほっとする。

 フィンはそんな睡蓮をじっと観察するように見ていたが、何も言わずに荷物を持ち直して辺りを見渡した。


「じゃ、俺たちも宿探しに行くか」

「え? おじさんたちと一緒の宿じゃないの?」

「ばぁか。あの人たちは金貰って荷物を配達してんの。宿も良いところを予約してんだ。一泊いくらすると思ってんだよ。俺らは節約しなきゃなんないの」

「ご、ごめん…。じゃあどこに泊まるの?」

「なるべく、体に虫が付かなそうなところを選んでやるよ」

「虫!?」


 ヒェッと両手で体を抱きしめながら青ざめた睡蓮に、フィンがぷっと吹き出した。

 フィンが笑うのは珍しい。懐かない野生動物が心を許してくれてるみたいで、なんだか嬉しい。

 …それに。

 前にも私は、あまり表情が変わらない人の笑顔を見て、嬉しかったことがある…。


「……?」


 睡蓮は頭の中に微かに靄がかかっているような感じがして、首をかしげた。

 なんだろう。何か大事なことを忘れているような気がするけど。


「嘘だよ、ちゃんとしたとこ探すから心配すんな。それよか宿決めたら買い出し行くぞ。明日は野宿だし、食糧調達しなきゃなんないんだから」


 不意打ちで、頭をぽんと叩かれる。フィンから私に触れてくるのはこれが初めてだった。


「!」


 いつもならびくっと体が強張ってしまうのに、フィンから触れられた時に何も違和感がなかった。

 嫌悪感も何も感じない。

 そんなことは久しぶりの感覚だった。

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