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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 トゥシャン行きを決めてから数日、毎日のように豪華な花束と手紙が屋敷に届く。

 差出人はヴァレリーだった。

 手紙の内容は文面こそ変われど、会いたい、話がある、トゥシャン行きを止めて離宮に来て欲しいという内容ばかりだった。

 クレールを通して、屋敷には来ないで欲しい、会いたくないと伝えてあるから故のこの花束が結果として送られているのだけれど、いい加減、睡蓮もきちんと会って話をした方がいいのかもしれないと考えなおすようになってきていた。


 出発のための身の回りの準備と並行して、大道芸人の一座ではフィンに伴奏をお願いするために何度も歌を歌って耳コピをしてもらっている。

 何度も歌うたびに、ここはこうした方がいいんじゃないかとアドバイスを受け、二人で手直しを加えながら作り上げていく作業は思いのほか楽しかった。

 お腹から声を出すせいか、ストレスも軽減されていくような気がする。

 貴族同士のお茶会よりもよっぽど楽しかった。

 ヴァレリーとのことを考えることを放棄して、慌ただしい日常に明け暮れていたため、返事をせずにそのままにしていたら、とうとう痺れを切らしたのかヴァレリーが屋敷に乗り込んできた。


「…手紙読んでくれてるか?」

「読んでるよ」


 憔悴しきった姿のヴァレリーをサロンに通し、睡蓮は少し困ったような顔でお茶を口に運ぶ。


「……ここのところ、忙しくて会いに来れなくて手紙でしか伝えられなかったんだが」

「トゥシャン行きはもう決まってるから覆せないみたいだよ」


 あまり真正面からヴァレリーの気持ちに添うような対応をすると、こちらも別れがつらくなる。

 素っ気なく返事をしていると、ヴァレリーが小さく唸った。


「…その、トゥシャン行きを止めてもらいたい。今すぐにでも離宮…いや、俺の家でもいい。俺の目の届くところに居て欲しいんだ」

「……そんなに焦らなくても、私は秘密を誰かにばらしたりなんかしないよ。でもトゥシャンに行く前に魔術師に言えない魔法をかけられるらしいけど」


 ヴァレリーはイリーナがイシュト帝国の姫だと告げることをためらった。

 睡蓮が本当の竜珠の花嫁だとわかった今、彼女に期待を持たせるわけにはいかない。

 彼女の命を守ること、イシュト帝国の復興の手助けをするには、イリーナ、いや、タレイアを正妃にしなくてはならないのだから。


「それに、私、別の国も見てみたいんだ。…元の世界に帰る前に」

「―――っ!!」


 ガタッとヴァレリーが勢いよく立ち上がり、睡蓮の元へと駆け寄る。

 床に膝をつき、睡蓮を見上げながら切羽詰まった顔で言う。


「そんなに…俺の傍にいるのが嫌か…?」


 睡蓮はこんなに焦った姿のヴァレリーを見たことがなかった。

 怖かったり、優しかったり、でもいつもどこか余裕のある素振りの顔をしていた。

 それが今、こんなに余裕のない顔をしてるだなんて。


「…傍にいるのが嫌なわけじゃない」

「だったら!」


 ヴァレリーが縋るような手つきで、睡蓮の手を掴んだ。両手でそっと包み込むようにして、自分の口元へと持っていく。


「お願いだ。俺の傍から離れて欲しくないんだ」

「……私はね、正妃にも側室といった肩書なんて要らない。平凡な一生でいいの。でもヴァレリーの傍に居たらそれは叶わないと思うんだ」

「幸せにすると誓うよ、だから」


 睡蓮はその言葉を聞いて、ヴァレリーから自分の手を外した。

 喉の奥が震える。頬の筋肉が引きつる。でも、睡蓮は無理矢理に笑みを浮かべた。


「ダメだよ、ヴァル。その言葉は結婚式で自分のお嫁さんに言う言葉だよ。…私にじゃない」

「睡蓮!」


 たまらず、ヴァレリーは睡蓮を自分の胸に引き込むように抱きしめた。


「…愛しているんだ、睡蓮。君を」


 それは思いがけない告白だった。睡蓮はヴァレリーの胸の中でびっくりして少しの間、身動きが取れなかった。


「竜珠の気配がするから手元に置いておきたいんじゃない。ようやくわかったんだ」

「―――いい加減にして」


 睡蓮は泣きたくなるのをこらえながら、ヴァレリーの胸の中から抜け出す。


「ヴァル。あなたってどこまで酷い人なの。お母様に会わせて私に諦めさせようとしていたくせに、今度は愛してると嘘をついてまで私を傍に置いておきたいなんて。このタイミングでそんな風に言われても、国王陛下に何か言われたとしか思えない」

「―――……っ」


 ヴァレリーは睡蓮へと伸ばしかけた手をゆっくりとおろした。気落ちした顔で睡蓮を見つめている。


「…ツェベレシカへは帰ってくるんだろう?」


 睡蓮はそれには答えなかった。泣かないように歯を食いしばるのに精いっぱいだった。


「『もう帰って』」


 喉の奥からようやく出せた声は、強い拒絶の意志を持った言葉となりヴァレリーの胸に突き刺さった。


「……今日は帰るよ」


 何かを言いたそうな顔をしながらも、ヴァレリーは屋敷を出ていった。


 **********


「…おい? どうした?」


 怪訝な顔のフィンに声を掛けられ、はっと我に返る。

 曲の楽譜起こしをしている最中に、ヴァレリーとの最後の会話を何度も思い返してしまっていた。


「ごめん。ちょっと疲れちゃって…」


 フィンは楽器を傍らに置き、休憩しようと呟いてどこかへ歩いていってしまった。

 彼の後姿が見えなくなると、睡蓮はふぅっと大きく溜息をついた。

 旅の準備と歌の練習だけでも結構体力を消耗しているのがわかる。

 そういえば、この世界はスポーツジムというものがない。

 クレールの屋敷では体を鍛えるということをしてこなかったせいか、なんだか全体に筋肉が落ちてしまってるような気がする。

 まだ太った感じはしないけれど、筋肉が脂肪に変化したら太るのはあっという間だ。

 この機会にちょっと体を鍛えなおそうと思い立つ。


「…よしっ! がんばろ!」

「…なんだ。もう調子戻ったのか」


 背後から呆れたような声でフィンがそう言う。

 振り返るとオレンジ色の果実水を持って立っていた。フィンはそれを睡蓮の方へ差し出した。


「私に? ありがとう!」


 喉が少し乾いていたのに気づいて睡蓮が喜んで受け取ろうとすると、フィンはそのまま一口含んでしばらく味見をした後にこくりと飲み干して睡蓮に手渡した。


 ええと。…人の飲んだもの…なんですけども…。

 元々人の飲んだものを躊躇なく飲めるタイプじゃない。少し潔癖症かもしれないけど。

 いろいろと考えながら果実水をじっと見つめていると、フィンが首をかしげる。


「屋台で買ってきたものだから毒見してやったんだけど、不要だったか?」


 真顔でそういわれると、さも当然のことのように言われて戸惑う。

 ここでは、男の人が毒見をして手渡しするのが普通なのかもしれない。

 人の好意を踏みにじるようなことをしたら悪いよね。

 そう思いながらぐいっと半分ほど一気に飲む。

 フィンはそんな睡蓮に目もくれず、再び楽器を手に取って最初から演奏しだした。


 知り合ってまだ数日だけど、フィンという人間は何かつかみどころのない人だなと思う。

 外見が派手なものだから、一座の女性たちに外見のことを色々とからかわれているところを何度か見かけたことがある。

 その時の彼は、なんていうか猫が逆毛を立てているような不機嫌な顔で一切合切無視を決め込んでいる。

 それで、彼は外見のことで茶々を入れられるのがとても嫌なんだとわかった。

 ヴァレリーとは違ったタイプのもてそうな人だ。この世界の男性からすればそれほど背は高くはないけれど、派手な外見かつ顔立ちも端正ときたら、誰もがほおっておかないだろう。

 一度、落ちた楽譜を拾おうとして偶然お互いの指先が触れたとき、彼が異様にびくりとして手を引っ込めたことがあった。

 もしかすると、自分と一緒で異性が苦手なのかもしれない。

 本人に確かめたわけではないけれど、何となく同士のような気持になって、睡蓮もフィンのことはそれほど警戒せずに自然に付き合えそうな気がしていた。


「フィンはどうしてこの一座に入ったの?」


 睡蓮がそう問いかけると、フィンは手を止めて顔をあげた。


「トゥシャンは俺の母親の故郷なんだ。久しぶりに母の墓参りに行こうかと思ったんだけど、旅費と旅証がないから大きな一座に入れてもらった。…そういうお前は?」

「私…私はこの国しか知らないから、見聞を広めたいなと思って」


 新たな嘘をつくのはもう嫌だった。なので、嘘ではない部分だけを伝える。

 フィンは特にその話に興味を持ったわけでもなく、軽く頷いた。


 **********


 伝令役がこっそりと依頼変更をしにやってきた。

 対象物が離宮に戻るまで命を守れという話になった。

 道中で跡形もなく消す方が手っ取り早いが、作戦変更となれば致し方ない。

 これから出国するというのに、離宮に戻るまでとなると長丁場になる。口止めの魔術を施すらしいので3か月近くは一緒に居なくちゃいけなくなった。

 どこの育ちなのかは知らないが、すぐに刺客にやられてしまいそうなほど、危機管理が低い。

 時折、異性に対して怯える節が見えるが、それは自分にも当てはまる。


 …フン。その辺りから懐柔していこうか。


 対象物は殺したいほど憎い相手でもない。不愉快なことにあの化け物の所有物らしいが、対象物の気持ちをこちらに向けてしまうのも手かもしれない。

 竜の血は一生涯一人だと言うが、人は移り気な生き物だ。

 自分への気持ちが失せた対象物を見て、絶望すればいい。

 そうすれば、俺も多少は溜飲が下がる。


「……今度の依頼は簡単すぎるかもな」


 フィンは誰にも聞かれないくらいに小さな声で呟いた。

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