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竜珠の花嫁  作者: 理子
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「そういえば。リリー様がトゥシャンに行くことになったとお聞きしましたが」


 イリーナの部屋で侍女を下がらせて二人きりで酒を交わしながら、ヴァレリーはその言葉に目を細めながらイリーナを見遣る。

 ソファに隣同士で座りながらも、イリーナは少しヴァレリーの肩に寄り掛かっている。

 ヴァレリーはイリーナの肩に手をかけることもなく、静かに杯を口に運んでいた。


「そのまま放逐するおつもりですか?」


 しばし黙って見つめていると、杯を両手で持つイリーナの瞳が三日月のように細くなる。自分の考えているようになればいいと内心期待していても隠しきれない残酷で無邪気な笑みだ。


「耳が早いな、あなたは」

「城の中は噂話がいろいろと聞こえてきますの」

「違いない」


 軽く同調するような口調で返事をして再び小さく笑みを浮かべる。ここでうまくかわさないとクレールの計画が台無しになる。

 何より、堂々と睡蓮に毒入りのお茶を送り付ける女だ。この10年の間にどれだけ狡猾な女に成り下がってしまったのかと内心失望しながらも、自分が竜珠を渡した女性だという意識もあり、複雑な気持ちでいた。

 ヴァレリーは出来るだけ本当のことを言わないように、けれども嘘は言ってないという風を装いながら返事をする。

 

「クレールからあれが行儀見習いに行くと聞いた。このまま世間知らずのまま離宮に行き、側室候補になるには不安も多々あるし、もう少し見聞を広めてもらおうかと思っていたからクレールの申し出はちょうど良かった」

「では、その間に私に竜珠の気配が出てきますれば…」

「…あなたが正妃となるだろうな」


 ヴァレリーがそう言うと、イリーナは今度こそ心からの満面の笑みを浮かべた。

 両手で持つ杯はあまり減ってはいない。酒に何らかの薬を入れてあるのだろう。さっきから酒が原因ではない動悸を感じていた。

 正妃になりたがっている人間が相手に薬を盛るとしたら。


 ―――媚薬の類か?


 徐々に体が熱を帯びてはくるが、幼少時から毒や薬に慣らされている体はそう簡単には薬に反応しない。


「私はヴァレリー様に側室がいらしても気にしません。どうぞ一人と言わず、何人でもどうぞ」

「…それは酷いな。竜の血を継ぐ男は一生涯一人しか愛せないというのに」


 ヴァレリーが苦笑しながらも酒をあおる。イリーナは杯をサイドテーブルに置いた。


「もちろん存じ上げております。生涯、わたくしを愛し続けてくれるという確証があればこそ。お戯れになる程度でしたら私は知らない振りをいたしましょう」

「…お心遣い、感謝する」


 杯が空になり、ヴァレリーが苦笑しながら立ち上がろうとした時、イリーナが腕に縋りつくように抱きついてきた。


「ヴァレリー様。もう私たちは婚約したも同然の間柄でしょう? 今日は…こちらで…」


 上目遣いで誘ってくるイリーナをヴァレリーはいくぶん冷めた目で見下していた。

 夜会の度に群がってくる貴族の令嬢たちと、このイリーナはどこが違うのだろう。


「…イリーナ。何故あなたは昔のように私の名を呼んでくれないんだろうか」


 抱きついても抱き返してくれないヴァレリーに、少し困惑と寂しそうな表情を浮かべたイリーナが少し頬を赤らめながら問う。


「呼んでもよいのですか?」

「―――ああ」


 イリーナは小さな声で、ヴァル、と呟いた。

 その言い方が記憶にあるイリーナの言い方とは全く異なることに違和感を覚えるが、ヴァレリーはイリーナの頬へ手を伸ばし、頬から顎へとゆっくりとなぞりながら親指で唇をとらえた。

 期待に満ちた表情で、イリーナの目つきがうっとりしたものになる。ヴァレリーは少し体を起こして顔を傾けた。

 軽く口づけをするとピリッと静電気のようなものが起こった。ヴァレリーがかすかに驚いて唇を離すと、イリーナがヴァレリーの首の後ろに手をまわしてキスをねだるように促す。

 再びイリーナに口づけると普通なら気づかれない程度の薬の味がした。

 何度も軽いキスを重ね、次第に呼吸が荒くなり深い口づけに変わっていく。

 イリーナの手がヴァレリーのシャツのボタンに手を掛けたときに、ヴァレリーは彼女の手を掴んだ。


「あなたは、誰だ?」


 それまでとろりと高揚していた顔は一瞬のうちに消え、微かに目を見開いたイリーナを冷ややかな目で見下ろす。


「…何をおっしゃってるのか…わかりませんわ」


 イリーナは少しだけ慌てたような素の表情を見せたが、すぐに取り繕ってしまった。


「私はイリーナよ。そうでしょう?」

「…ああ」


 あえてゆっくりと告げられた言葉に、ヴァレリーの瞳が虚ろになっていく。

 口の中に仕込んでおいたのは、即効性の自白剤の類の薬だった。話者の言いなりになるけれど、意識はちゃんとあり、記憶も後に残る。

 闇市場の薬師が分量を間違えないようにと念を押したところから、劇薬に近いのだろうけれど。

 どうせこの体は呪われているのだから、どうということもない。

 自嘲気味にほほ笑みながらイリーナは言う。


「私が正妃になったら、竜珠の花嫁のお願いを聞いてもらうわ」

「…俺にできることなら何でもしよう」

「―――そう。じゃあイシュト帝国の復興とツェベレシカ王国を帝国の属国にして欲しいの」

「ああ、約束する」


 イリーナはヴァレリーの即答に驚く。


「何故、即答できるの? 国が関わってくるのよ?」

「イシュト帝国は俺が壊してしまった。罪滅ぼしの機会をずっと伺っていた」


 ヴァレリーの偽りのない言葉に、イリーナの顔が少し歪む。


「―――嘘っ! イシュト帝国は憎い黒竜が滅ぼしたの。貴方じゃないわ。あなたにはその黒竜を討伐してもらう。竜騎士団一の実力者なのだから、それぐらいできるでしょう!?」


 イリーナが少しヒステリックに叫ぶと、ヴァレリーは首を横に振った。少しの間俯き、目を伏せていたけれど、やがて顔をあげると、虚ろな瞳ではなく、しっかりと意識を持った瞳に戻っていた。

 薬が切れた。切れてしまった。

 イリーナはヴァレリーの胸倉を掴んでもう一度口づけしようと試みるが、それは叶わず反対にヴァレリーに抱きしめられた。


「~~~~っや! 離して!」


 ふいに胸の中で身じろぎをするが、日頃から鍛錬している男の腕力には勝てない。

 何をやってもびくともしないヴァレリーの腕の中で、抵抗するのが無駄だと気付いて力を抜いたその瞬間。


「……あなたは、タレイア姫だな?」


 ヴァレリーの腕の中で、イリーナがびくりと体を強張らせる。

 その強張り方が、肯定の証となってしまった。


「何のこと?」


 ばれてしまってもなお、白々しく知らない振りをするイリーナに、ヴァレリーはうんざりするどころか同情する気持ちが芽生えてきていた。


「自分では気づかなかったかもしれないが、俺の名前を呼ぶときの発音が大陸共通語ではなく、イシュト帝国のそれに似ていた」

「……初歩的なミスを犯したのね、私」


 イリーナがゆっくりとヴァレリーから身を引こうとする。ヴァレリーも腕の力を抜き、イリーナがしたいようにさせた。

 少し離れた場所に座りなおし、髪の乱れを整えながらイリーナは溜息をついた。


「…そう、私はタレイアよ。この姿はトゥシャンのハズレの魔術師に禁忌の術で変えてもらったの。イリーナの毛髪を素材に使っているから彼女自身の記憶も朧げに流れてきたわ。だからあなたからの過去の答え合わせも大筋では難なくできた」

「どうして、そんなことを…」


 ヴァレリーの痛々しい視線を見返し、イリーナは怒りを露にした。


「どうして? 生き残った王族がどんなに惨めだったかあなたにはわかる!? この10年何もしてこなかったわけじゃないわ。もちろん、帝国の復興を目指してきたけれど私の願いはこの国を支配下に置き、祖国を奪った憎い黒竜を討ち取ることなの! そして今回のイリーナ探しは私にはまたとないチャンスだったのよ!」


 勢いで本音をぶちまけてしまった後、ヴァレリーの無言に耐え切れず、水差しへと手を伸ばす。

 水を一気に喉に流し込むと、ようやく一息ついた。


「…あなたが正妃や、竜珠に拘る理由がようやくわかった。イシュト帝国の復興にはツェベレシカ王国は最大限の援助を惜しまない。だが、黒竜を討つのは…不可能だ」


 ヴァレリーが苦痛に歪む顔で、声を絞り出すように訴えると、畳みかけるようにイリーナが問いかける。


「どうして? また黒竜が現れて滅ぼされてしまっては元も子もないわ!」

「教会で、俺の別の顔を垣間見ただろう。10年前、黒竜となってイシュト帝国を滅ぼしたのは…俺だ」


 ヴァレリーの告白で、イリーナの顔が無表情に固まった。

 影や周りの人間が、ヴァレリーは化け物だと言っていたことを本気にしてこなかった。

 ツェベレシカ王家の先祖に竜がいるという話は、単なるおとぎ話なのだと思っていた。

 あの教会でほんの僅かに見えた、人間の瞳とは違う何か。あれは竜の眼だったのかと腑に落ちる。

 けれど、昔から淡い恋心を抱いていた相手が、まさか憎い仇だったなんて思ってもみなかった。


「……そう。そうなのね」

「謝って済むことではないが…申し訳なかった」


 さっきまでのむせるような熱い空気はとうの昔に失せ、沈黙で重たい雰囲気が漂っている。


「それではこれから私はあなたに交渉という名の脅迫をするわ」


 脅迫という単語に、眉をひそめながらもイリーナの要求を聞こうと頷いた。


「宰相はトゥシャンへの道中であの娘を亡き者にしようと画策している。私も同じ理由で別の者を差し向けているわ」

「…っ!」


 ヴァレリーが思わず息を飲むと、イリーナは水差しから水を注いで口元に運んだ。


「…ヴァレリー様。あなたが王位継承する暁には私を必ず正妃にすること。その条件を飲んでくれさえすれば、私の手の内の者に彼女を守らせてもいい。でもその条件を飲めないようであれば…いくら護衛騎士がいようとも多勢に無勢よ。異国では思うように動けないものね」

「ではトゥシャン行きを止めさせる!」

「無駄よ。それに離宮に入ったらすぐに消されるでしょうね。離宮で側室候補が一人いなくなったって、誰も何の関心も持たない。国内より外国の方がより安心だなんて、この国は思っていたよりも腐敗が進んでいるのね」


 ヴァレリーは目をつむり、歯を食いしばってイリーナの言葉に耐えていた。

 彼女の言うことはいちいち正論でもっともなことばかりだ。そして自分には睡蓮を守る力がまだない。

 彼女が自分の唯一の竜珠の花嫁だという認識もまだあまり実感がないというのに。


「あなたの…手の内の者の腕は…確かなのか?」

「幾多の仕事を任せてきたけれど…失敗したことは一度もないわ。腕は一流よ、どう? あなたが頷いてくれさえすれば、あの娘にとってこれ以上ないお守りになる」

「……本当に、脅迫なんだな」

「交渉よ。あなたに選択肢を与えているのだから」


 ヴァレリーが苦悩しながらも顔をあげると、イリーナは静かに声も出さずに涙を流していた。


「今すぐ答えは出ないでしょうから、時間をあげるわ。でもそれほど長くないことを覚えておいて」

「…タレイア姫…」

「今すぐここから出ていって。『お願いだから』」


 イリーナのお願い、という言葉にヴァレリーは反射的に動かざるを得なかった。

 正統な竜珠の持ち主でなくとも竜珠を持って命令さえすれば、自分の意志とは関係なくその通りに動く。

 ヴァレリーは立ち上がり、もう一度礼をしてイリーナの部屋から出ていった。

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