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「迂闊だった。甘く見てたわ、彼女のこと」
屋敷を訪れて一緒に昼食を取っているケイナが怒りを露にしながら吐き捨てるように言った。
先日、イリーナから贈られたお茶に毒が入っていた件で、あからさまな宣戦布告をしてきた彼女に対する印象は当然ながら悪い。
ただそれは貴族同士の牽制のやり方の一つでもあり、相手に遅効性の毒を盛ってじわじわと追い詰めていくというのは常套手段らしく、その話を聞いて改めて自分には理解できない世界だと驚くばかりだった。
ヴァレリーには考える余地を与えると言ってはいたけれど、当事者を除く周りの人たちの間では、ほぼトゥシャンに行くことが本決まりになっているようだった。睡蓮は曖昧に笑みを浮かべながらも、どこか他人事のように聞いていた。
「私もレン付きの侍女としてトゥシャンに行くことになったわ。国王陛下の許可は得てる。ただ、逐一宰相に連絡を入れなければいけないのが気に入らないけど」
宰相も自分の命を狙っているかもしれないということをケイナに伝えてもいいんだろうかと逡巡するが、あえて言わなくてもいいかと思い直す。あれはあくまでクレールの憶測でもあるし、ケイナを通じて連絡を取りたがっているのなら、命を狙うこともないんじゃないかと思ったのだ。
「そうそう。出国前にツェベレシカの魔術師に言霊の術をかけられるのは承知しておいてね。あなたが不用意に秘密を喋らないよう、言いかけたときに声が出なくなるだけだから。何も言おうとしなければ普段の生活に支障はないわ。その術はもって3か月だから…おそらく3か月以内にまたここへ戻ってくることになるんでしょうね」
3か月だけ、羽伸ばしが出来るのか…と少しほっとする。そんな安堵のため息をケイナはじっと見つめていたが何も言及はしてこなかった。
「トゥシャンに3か月いるなら、初夏のお祭りに参加できるわよ。その頃、私の師匠が旅を終えて故郷へ戻ってくるから、その時にレンも紹介するわね」
「ケイナの師匠?」
「トゥシャンで唯一、神と対話のできる大魔術師よ」
神と対話の出来る大魔術師と聞いて、竜のいるツェベレシカとは全く違う文化の国なんだろうな…と想像する。
この世界は何でもありなんだなぁ、と改めて思うと共に、本当の魔術師に会えるのが密かな楽しみだった。
「言い忘れていたけど、レンは歌い手。アビゲイル様はナイフの使い手になっていただく予定よ」
「え?」
「イリーナにレンの出国を悟られたくないの。本物の大道芸人の旅の一座に紛れて出国することにしたわ。私たちは旅芸人の中に紛れさせてもらう代わりに、明後日、一座の親方に挨拶がてら技を披露しなくちゃいけないのよ」
「……は?」
突然のことに睡蓮は目が点になった。
なんでいつもケイナは何の相談もなく、決定事項として後から伝えに来るんだろう。
いや、それが彼女らしさと言えば、そうなのかもしれないけど。
「私は魔術を使う踊り子に扮するから。歌ぐらいは大丈夫でしょう? 衣装もこちらで準備するから何でもいいから数曲練習しておいてね」
そう言い残してケイナは城へと戻っていった。
ケイナと入れ替わりに戻ってきたアビーは、ナイフ使いの女を演じることに関して、面白そうだからやる、と結構やる気のようだった。
「レン。私、出国前にオリバーに気持ちを伝えることにしたよ。トゥシャンに行ったらしばらく会えないし、玉砕するのわかってるけど、やっぱり言いたい」
いつまでもウジウジしていないのが、アビーのいいところだ。睡蓮はにっこりと笑って頷いた。
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結局、歌は元の世界で聞きなれたバラードを歌うことにした。
民族音楽風にアレンジを加えて歌えば、何とか様になるかなと考える。
夕食後、はちみつの入ったお茶を飲みつつ、屋敷の中庭で必死に歌を練習していると、珍しく髪を下ろしてラフなシャツ姿のクレールが近づいてきた。
「随分熱心にやってんな」
「うるさかったですか? すみません」
「いや、どこの国の言葉かわからないけど、上手で驚いた」
「ありがとうございます」
クレールからはあまり褒められたことがなかったので、素直に嬉しくなる。
「アビーはアビーで、ナイフ投げの練習に余念がないしさ。もうすぐ二人がいなくなったらこの屋敷も寂しくなるなと思ってよ」
「ずっといなくなるわけじゃ…。3か月以内に帰ってくる予定みたいですよ?」
「うん、それなんだけどな」
クレールが言いよどむので、何かしら悪い知らせなんだろうと気持ちを引き締めて次の言葉を待った。
「…レンがトゥシャンから帰ってきたらの話だが、ヴァルが、さ。二人とも離宮に住まわせると決めたみたいだ」
その言葉を聞いて、おそらくそうなるだろうなと思っていた睡蓮はあまり衝撃は受けなかった。
結局、どっちつかずのまま、両方キープすることにしたのか、と気持ちが沈んでいくのを感じる。
「だから、3か月後に戻ってきたら、イリーナと共に城の離宮に住むことになる」
離宮で暮らすようになったら、ヴァレリーの子供を産むことになると言われた。
ヴァレリーからは好きだとか愛してるといった言葉は一度も聞いていない。
それなのに世継ぎを産むためだけに存在するだなんて、本当に愛人のような扱いだな、と思う。
「ほんと、勝手なことばっか言ってやがる、あいつ」
吐き捨てるようにそう呟くと、クレールは寂しげな笑みを浮かべた。
「これは最終手段だけど、離宮に住むのが嫌ならトゥシャンで別人になるのも手だ」
「…え?」
「竜珠の気配だかなんだかを、トゥシャンの魔術師に消してもらって、二度とツェベレシカに戻ってこないよう、わざと失踪しろって言ってんの。ケイナにばれないように失踪するのは難しいかもしれないけど。言っとくけど、これは突き放したいから言ってるわけじゃねーぞ? 離宮に行く方が辛いかと思ってだな…」
クレールの優しさが今の睡蓮にはものすごく沁みていく。
「もしかして、トゥシャン行きの計画立てたの、クレールさんですか?」
「ん? ああ、まあな」
「お気遣いありがとうございます」
睡蓮はクレールに向かってにっこりと笑った。
「いざとなったら逃げ場があるって、心強いです」
「お前、もうさ、俺の妹みたいなもんだからな。アビーもそうだがお前のことも心配なんだよ」
クレールはあまり無理すんなよ、と言い残して屋敷へ戻っていった。
クレールは逃げてもいいと言ってくれる。
竜珠の花嫁候補から外れたら、命を狙われるということもなくなるかもしれない。
もし、ヴァレリーがイリーナを本当に選んだのなら、私は元の世界へ帰ろう。
今まではいつ、という期限を決めていなかったけど、今度こそ期限を決めて帰ろう。
ここで過ごした時間は夢だったと思うことにしよう。
そして、元の世界で好きになった人と結婚するんだ。
そこまで考えて、涙がこみ上げてくる。
こんなの、全然私らしくない。
悲劇のヒロインぶってて、ほんと、バカみたいだ。
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王都の広場からほど近く、少しひらけた場所にテントを構えて大道芸人の一座は毎日興業していた。
今日は週に一度の休みの日だったようで、芸人たちが私服で集まっていた。
大道芸人の親方はロイマナフといい、熊のような大男だった。ツェベレシカよりも北方の出身で、いかつい体にも顔全体を覆ってるんじゃないかっていうぐらいに赤茶色のひげを蓄えていて、髪の毛と髭に覆われているためか年齢不詳だった。
「きれいどころが集まったねぇ、いいんじゃない?」
「でも芸人なら何かしらできないとこの一座には入れないよ」
「ナイフ使いに踊り子、歌い手か。よし、ちょっくら見せてもらおう」
芸人たちが口々に噂をする中、最初はアビーが小さなナイフを使ってジャグリングや百発百中じゃないかっていうぐらいに同じ的に連続でナイフを投げつけたりして、傍で見ていてもかっこよくて、芸人たちにも歓声をあげさせていた。
ケイナはどうやっているのか、指や足のつま先に炎や氷をちらつかせて体を滑らかにゆらゆらと動かしながら優雅に踊る。
くるくると回転するたびに炎の残像が虹色の線となってケイナの動きに追随していく。それがまた幻想的で美しい。
最初の二人のレベルが高いものだったから、最後の睡蓮に見ている者たちの期待値がどんどん高まる。
一番最初にすればよかった…と内心後悔しながらアカペラで練習した歌を直立不動のまま歌い上げた。
この世界の言語ではないため、最初はみな驚いた顔をしていたけれど、次第に頷いてリズムを取り出すものも出てきた。
歌い終わると、何故か泣いている者もいた。バラードは悲恋ものだったからか、言葉は分からなくても感情が伝わったのかもしれない。
ロイマナフが鼻をすすりながら合格だ、と告げ、ギターのような楽器を持っている一人の男を紹介してくれた。
少し長めの金髪に、浅黒い肌。瞳は明るい緑色と虹のような色合いが混じって見え、まるで宝石のようだった。一言でいえば美形と形容できる、端正な顔立ちの青年だった。
「こいつはフィン。本来ナイフ使いなんだが、このドムラをうまく弾けるんだ。見たくれも良いし、歌い手と一緒にやればうまいこと客を呼べるかもしれないぞ」
「…よろしく」
ぼそりと呟いた小さい声に、睡蓮たち三人も戸惑いつつ挨拶をし、解散することになった。
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宰相のもとにあった情報によると、例の女は大道芸人の一座に紛れて出国するという話だった。
なぜそんなまどろっこいいことをするのだろうと思うが、姉上…イリーナに気づかれないようにするためだったようだ。
宰相自らイリーナの部屋に出向き、情報を伝えているんだからせっかくの努力も水の泡になっているけれど。
その話を聞いてすぐにトゥシャンに向かう大道芸人の一座を探しだした。
おそらくここの旅芸人のところへ入ってくるだろうと見当をつけ、自らナイフ使いとして一座に加わらせてもらうことにした。
いつもフードを深く被っていたせいか、他人の前で顔を出すのは少し勇気が要った。
父親譲りの髪と瞳。母親譲りの肌の色。自分では何とも思わない顔立ちが、傍から見れば見目麗しいのだと言う。
芸人たちは他意はないとはいえ、外見をことのほか褒めてくれたが、他人に褒められたり触れられるのは閨でのことを思い出し、嫌悪感が先にたってしまう。
フィン―――イリーナの『影』は、知らず知らずのうちに両手を胸の前で組んで自分を守る姿勢になっていた。
道中、仲間として例の女の動向を調べあげ、タイミングの良い時に消してしまえばいいか。
旅芸人の仲間が犯人だとはすぐには気づかれにくいだろう。
ただ、あとの二人が厄介だった。
特に踊り子の方が。
普通の人間なら気づかないくらいのレベルで、さりげなく誰に対しても探るような目で見つめてくる。
宰相に情報を流しているのはあの女だ。宰相のコマであるなら味方なのかもしれないが。
ただ、例の女の命を突然奪うことはためらわれた。
憎い黒竜の暴走によって、10年前の祖国の時のように、復興の前に世界が滅びてしまう可能性もある。
黒竜がとてつもなく不愉快になるやり方で復讐をしたい。
ひとまずは、接触できたことに納得し、フィンはこれからの計画を練ることにしようと決めた。




