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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 イリーナとのお茶会は、事情をよく知らない護衛騎士や侍女から見れば、表面上は和やかに話がはずんでいるように見えた。


「今日はリリー様とお話しできて良かったですわ。またこういう機会を設けたいと思っているので、ぜひいらしてくださいね」


 席を立ち、お別れの挨拶の時にイリーナがそう言うと、ほんの一瞬、睡蓮の動きが止まる。

 あくまで自分が主導権を持ち、睡蓮は受ける側に位置づけたいのだろう。

 ツェベレシカ王国の正妃、竜珠の花嫁になるのだと確信して疑わないものの話し方だ。

 マウンティングされているなぁ、と内心思いながらも笑顔でそうですね、と受け答えてその場を後にした。

 出来ることなら、もう二人きりのお茶会なんて遠慮したいところだけれど、偽者と確信したからには第三者が納得できる証拠を何とか見つけたい。

 突然、ヴァレリーにあのイリーナは偽者だと言いつけるようなことをしたって彼に信じてはもらえないだろう。

 だったら確固たる証拠を見せられればいい。


「リリー様、出口はこちらですが」


 慌てた護衛騎士が後ろから声をかけてくる。

 睡蓮が自分の後ろをついてきているとばかり思っていたら、出口とは違う方へと歩き出していたからだ。

 振り返りざま、睡蓮は竜の巣へ行きたいと告げた。


「竜の巣ですか…。入場の許可を得るために少々お待ちいただけますか? いいですか? 決してひとりで行ったりしないでくださいね?」


 困ったような顔をして護衛騎士がそう言うと、睡蓮はあいまいに笑みを浮かべて、すぐ近くにある廊下のベンチに座る。

 おそらくこのまま一人で行ってオリバーに出くわしても、自分自身にはお咎めはないだろう。でもこの護衛騎士が後でお咎めを食らうのは必至だ。

 王城のしきたりは面倒くさいことがあるけれど、ここは言うことを聞いておこう。


「ここで待ってますから、オリバー様によろしくお伝えください」


 ********


 しばらくすると、睡蓮の周りに騎士たちが集まりだして仰々しい雰囲気になってきた。

 てっきりオリバーが来るとばかり思っていたけれど、やってきたのは国王陛下だった。


「久しぶりだね、元気そうで何より」


 呼吸一つするのにも力を使わなければいけないような圧倒的な威圧感を醸し出しながら、和やかに笑みを浮かべる。


「竜の巣へ行きたいそうだね。生憎と竜の巣へ入れる人間が私しかいないんだ。オリバーは今、飛行訓練に出かけているからね」

「それでしたら日を改めます」


 最上級のお辞儀をし、国王陛下が立ち去るのを待とうと思った。

 だが、わざわざやってきたということは一緒に竜の巣へと行くつもりなのだろう。

 睡蓮が何を考え、何をしようとしているのかを察しているかのようなタイミングだった。


「さっき昼食を食べすぎたせいかな。少し運動しなくてはいけないと思っていたんだ。ちょうどいい散歩になる」


 やや演技が入った様子で恭しく手を差し出される。まさか国王陛下に手を差し伸べられて歩くとは思っていなかったから、ドキドキしながら手を添えた。

 ふいに国王陛下が睡蓮の方へ顔を傾けて囁いてきた。


「だいぶ、この国の礼儀を覚えたようだな。これならヴァレリーの横に立っても遜色ないだろう」

「それはイリーナ様の役目では?」


 国王陛下は不意を突かれて目を見開き、くくっと小さく笑う。

 その仕草がどことなくヴァレリーを連想させて、睡蓮は複雑な気持ちになった。


「皆の者はここで待て。誰も入ってはならぬ」


 竜の巣の入口で国王陛下が護衛騎士たちに声をかけると、騎士たちは敬礼をしたのち、警備の体制に入った。


 竜の巣の中に入ると、国王陛下は一頭の飛竜を連れ出した。

 巣の中で見るのと外で見上げるのとでは大きさが違うように見えた。

 何より、翼を思い切り広げて伸びをするものだから想像していた大きさよりも何倍もの大きさに見えたのだ。

 ごくりと唾を飲み込み、飛竜を見上げている睡蓮を横に国王陛下はテキパキと鞍を付け始めた。


「何をなさっているのですか?」

「何をって、空を飛びたいのだろう? 違うか?」


 胸の内を見透かされたような気がして、睡蓮は口ごもった。


「案ずるな。私も一緒に乗るから」


 ほぼ片手で勢いよく竜の背に乗せられる。

 体制を整えようとする間もなく飛竜が大きく羽ばたいてふわりと大空へと舞い上がった。


「…っ!」


 声にならない悲鳴をあげながら思わず地上を見下ろすと、竜の巣の入口で警備をしていた護衛騎士たちがうろたえている姿が見てとれた。


「まだ口を開くな。舌を嚙む。安定するまで待て。飛竜を一人前に乗りこなすには練習が必要だ。それが竜珠の花嫁だったとしてもな」


 そう言われて、話す話題もないから黙って眼下の景色を見つめていた。

 この世界へやってきてすぐに通い始めた図書館が見える。それであっという間に王都の郊外までやってきたことがわかった。

 そして、上空を飛んでいるのに全く息苦しくないことに違和感を覚えるが、ここは魔法がある世界だ。国王陛下が呼吸しやすいように何かしているんだろうと思った。


「どこへ向かっているんですか?」

「この世界の地理や歴史は既に習ったかな?」

「はい…大まかには」

「ツェヴェレシカの隣国、イシュト帝国があった場所を見せてあげよう。ツェヴェレシカの最南端の山脈を越えたらそこは元イシュト帝国の領地だ」


 イシュト帝国と聞いて、どきりとする。

 ヴァレリーが滅ぼしてしまったという隣国。まだ10年ほどしか経っていないからそれほど復興もしていないだろう。

 元の世界での災害後の目覚ましい復興は、あくまで先進技術の賜物だと思っている。

 いくら便利な魔法があったとしても、大国ツェヴェレシカでの生活は現代社会よりも不便なことが多い。

 今、イシュト帝国の人々はどんな暮らしを強いられているんだろうか。

 そんなことを考えながら無言で前を見据えるが、ちょうど雲の中を飛んでいるようで、霧の中のようで視界が悪い。


「さあ、山脈を越える。自分の目で見てみるといい」


 薄っすらと周りを覆っていた雲の中から抜け出ると、そこには茶色い平野の中にぽつぽつと緑がまだらにある世界だった。


「報告によるとここはヴァレリーが一番荒れた場所だそうだ。我が国との国境付近は交易も盛んで城下町のように賑やかな街だったが、今ではこの有様だ。ツェヴェレシカとの交易はほぼ途絶え、今では南のトゥシャン寄りに街を再建している」


 飛竜の空を飛んでいる高度がどんどん低くなっていくにつれて、地表がえぐれたまま野ざらしになっていたり、至る所に廃墟らしき残骸が残っているのが目に入ってくる。

 ここで、どれだけの人々が犠牲になったんだろう。

 思わず目を背けると、陛下は睡蓮の顎を背後から掴み、再び眼下へと顔を向けさせられた。


「目を背けてはいけない。これがこの世界の現実だ。ヴァレリーはこの現状から逃げることは許されない立場にある。そしてそれは竜珠の花嫁にも課せられる」


 やがて飛竜は吊り橋がかかった谷の裂け目に下降していき、ひらけた場所に着地した。


「ここは死と再生の谷と呼ばれるところだ。報告によるとイリーナが消息を絶った場所だ」


 ひらりと先に飛び降り、睡蓮に手を差し伸べて降りる手助けをしながらそう告げた。


「私はここが異世界への帰り道だとにらんでいる。ただ、どのような条件で異世界への扉が開くのかまでは、まだわからないがね」


「ここが…元の世界へ帰れる場所…」


 目の前には湖しかない。睡蓮は湖の淵まで近づいて水面を眺めてみた。

 透明度は高そうで、かなり底の方まで見える。

 ざっと見たところ、一番浅いところでも20メートルぐらいはありそうだった。


「さて。私は君に謝らなければならないことがある」


 国王陛下が謝罪? と睡蓮が振り返ると国王陛下が地面に膝をついていた。

 国の一番偉い立場の人間が地に膝を付けるということがどんなにすごいことなのか、睡蓮にはよくわからなかったけれど、慌てて膝を立たせようと駆け寄った。


「い、いけません、陛下! 私のようなものに膝をつけては!」

「ヴァレリーの生涯唯一無二の竜珠の花嫁が、今回二人となってしまった件についてだ」


 国王陛下の穏やかな視線に、睡蓮は吸い込まれるように動きを止めた。


「レン、私にも竜の血が流れているからね。君が正統なる竜珠の花嫁だということはわかっている。だが、いついなくなってしまうかわからない異世界の人間を竜珠の花嫁にするには、諸手を上げて賛成というわけにはいかなかった。そして、どのような経緯かわからないがヴァレリーがイリーナに竜珠を渡したと自ら認めているのをいいことに、二人の花嫁候補を仕立て上げることになった」


 睡蓮には国王陛下の言わんとすることがなんとなくわかってきた。

 本当の竜珠の花嫁だということを知っていながら、この世界の住人であるイリーナに正妃の座を渡し、二番手に甘んじて欲しいと頼んでいるのだ。

 なんて勝手なことを言っているんだろう、と他人事のようにぼんやりと聞いていた。


「先ほどのイシュト帝国の惨状の一部を見ただろう。イリーナの気配が無くなった後にヴァレリーが暴走した結果があれだ。異世界の人間を竜珠の花嫁にし、ある日突然前触れもなくいなくなってしまったら、この世界がどうなるか想像できるかい?」


 今ですら心が危ういヴァレリーだ。想像するのは容易い。

 今は魔法陣の張られた教会でじっと時期を待てば波が収まるのだろうが、リミッターが外れた場合はどこまで甚大な被害が広がるのか…。一度手にしたものがなくなってしまう喪失感は計り知れない。


「元の世界へ帰れる条件はまだわからないが、場所はここだと示した。南の国、トゥシャンには延命の魔術もあると聞く。万が一、寿命が短いとわかった場合には、内密に延命し、元の世界へ戻らず、どうか生涯ヴァレリーを側室として支えてはくれないか」


 首を垂れる国王陛下を見下ろしながら、睡蓮は頭の中でいろんな情景を思い描いていた。


 イシュト帝国の民からは悪魔や化け物だと言われているヴァレリーを、生涯支えなければいけない立場は正直、荷が重い。

 ヴァレリーの揺るぎない寵愛を一生涯受けながら、竜珠の花嫁として横で支えていく人生なら喜んで頷いただろう。

 だが実際は表舞台に立つことはなく、ヴァレリーの近くにいながらも日陰の人生を送らざるを得ないのだ。

 それも、延命までさせられて。

 どれだけ長い時間、人を苦しめようとしているのだろう。ヴァレリーさえ良ければ私の人生なんてどうでもいいと思っているんだろうか。



「…酷いことをおっしゃいますね…陛下…」

「私はヴァレリーの父である前に、ツェヴェレシカの王である。国民の安全を願うのは当然だろう。そのためには何だってする」


 ゆっくりと立ち上がり、膝についた土を払う。

 ふいに空が暗くなったかと思うと、飛竜が降りてくるところだった。


「ヴァレリーが来たようだ。帰りはヴァレリーと一緒に帰ってくるといい。あれの小言は聞きたくないから私は先に帰るよ」


 国王陛下は軽やかに自分の乗ってきた飛竜に飛び乗ると、すぅっと飛び立っていった。

 それと同時に地面に降り立ったヴァレリーを、睡蓮は胡乱な目で黙って見つめていた。

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