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「まったく、離宮のお勤めになったら出会いがなくなっちゃうわ」
王城のリネン室の中で、侍女たちがシーツをたたみながら顔を合わせてひそひそと愚痴をこぼしていく。
ここは王城で働く者しか入ってこない場所だからこそ気兼ねなく本音を吐き出せるので、数人集まればほとんどは仕事の愚痴や噂話で終始していた。
「あーあ。王城内でのお勤めなら、竜騎士団の団員と出会えるかもしれないって思って行儀見習いに来たのに」
王城内の侍女のほとんどは、行儀見習いとしてやってきた近隣諸国の貴族クラスの子女たちだった。
行儀見習い期間が終われば自国に帰り、竜騎士団よりも数段肩書が見劣りする爵位しか持たない貴族のもとへと嫁がなくてはいけない者もいる。
ゆえに単なる行儀見習いのみならず、今ではあわよくば大国ツェベレシカの竜騎士団の団員と結婚できたらいいと思う女性も少なくない。
「それ言える! 何が悲しくて女性しか入れない離宮勤めにしなきゃいけないんだっていう話よね」
「ほら、ヴァレリー様の想い人がようやく見つかったってことで、客間にいるイリーナ様が花嫁候補になってるらしいじゃない? その彼女のための離宮だって言うんだから…」
「ヴァレリー様のお顔を間近で拝見出来るのは嬉しいけど、もうお相手が決まってる方のお側にいてもねぇ」
「離宮の護衛騎士だって万全を期して女性だって噂よ」
「アビゲイル様なら、女同士でもいいかも」
「やだ。馬鹿言わないでよ、公爵家のお嬢様よ?」
「ねえ、それより聞いてくれる? ヴァレリー様って二股かけてるようなの。お一人はもちろんイリーナ様だけど、もう一人背の高い地味な女がいるの知ってた?」
「あ、私知ってる! この前、ここで厨房への道をたずねてきた人よ。貴族らしからぬ薄茶の髪だったわ。最近、クレール様やオリバー様にやたら絡んでる女性よね?」
「うわ、あなた、目ざといわねぇ」
「だってヴァレリー様って近くにいるだけで威圧感すごいじゃない? だから私にはとても無理って思ってお二人を狙ってたんだもの。内心、誰よあれって思ってたの」
「ヴァレリー様って以前から恋多き方って噂だものねぇ。誰にも本気にならなかったけど、それじゃとうとうその二人に絞ったってわけか」
…まったく、女性同士の噂話はきりがないな。
リネン室の外で影が心の中でひとりごちる。
以前、化け物が教会に閉じ込められていた時、そこへ通っていた女と外見や状況が一致する。
何故だか空と陸の竜騎士団の両団長が特別気にかけているようだったし、公爵家所縁の子女として彼女の素性を隠している節も見えた。
教会の警備に当たっていた兵士の言動からは、化け物の単なる慰み者扱いされている女だと思っていたが、花嫁候補となれば話は別だ。
影はその場から立ち去ったが、それに気づく者は誰もいなかった。
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窓ガラスに小石が当たったような音がして、イリーナは窓辺へと視線を向けた。
みると窓には小さな紙片が挟まれており、室内の侍女に悟られないようゆっくりとした動作で窓辺に近づき、そっと窓を小さく開けると紙片を手のひらに忍ばせる。
紙片の内容には、もう一人の花嫁候補の名前が書いてあった。
リリー・ド・モンターク。
名前だけでは顔が思い出せないが、イリーナはふとお茶に誘うことを思い立つ。
「ちょっとお願いがあるのだけど」
イリーナは窓辺のテーブルに腰かけ、押し花があしらわれた紙にさらりと内容をしたためると、近づいてきた侍女にそっと渡した。
「リリー様へお茶会のお誘いをしたいので、よろしくお願いしますね」
貴族の令嬢同士がお茶会に誘い合うことは珍しくない。侍女は何も疑問に思わず頷いて部屋を出て行った。
「今なら平気よ」
イリーナが小さく声をかけると、窓辺に人影が現れた。フードを深く被ってうつむき、表情まではうかがい知ることができない。
「彼女をお茶会に誘うことにしたわ。早めに牽制しておかないとね」
影ははっとして顔をあげるが、イリーナは影の方へ顔を向けずに侍女の去っていったドアの方を見つめていただけだった。
「…そんなことをなさらずとも姫様に敵うものなどおりません!」
影がそう言葉を発すると、その時初めてイリーナは影の方へ視線だけを向けた。
憐れむような蔑むような冷たい視線だった。
影は昔からイリーナからそういう視線を向けられ続けていたが、いつまで経っても慣れることはなく、きつい視線を受けるたびに内心胸が痛むのだった。
「ばかね。油断していると計画が水の泡になるわ。何年待ったと思ってるの。万全を期して慎重にするべきよ」
「それにしても…あの化け物に本気で嫁ぐ気なのですか?」
イリーナの顔が一瞬だけ厳しいものに変わった。影は言い過ぎたと後悔したが、本当のことを伝えておかねばという気持ちであえてその表現を使った。
「まあ、化け物だなんて言いすぎよ。彼はそんな野蛮な人間じゃないわ」
「しかし」
城内でヴァレリーの異形な姿を見た者は複数いる。けれど緘口令が敷かれているのか、異形の姿のことを聞こうとすると皆、口をつぐんでしまうのだ。
噂好きな侍女たちは実際に見たことがないため、ヴァレリーと化け物は別物だととらえている節があった。
教会の警備を担当していた兵士たちも、夕闇の中、慌てていたのもあり、遠目で教会の中へ入っていく姿しか見ていない。
十年前、イシュト帝国を滅ぼした黒い雷竜。ばらばらに散らばったイシュトの民の中では化け物が朝晩問わずにそこらじゅうに雷を落とし火事を起こして焼野原にしていったと伝えられている。
それがここツェベレシカではヴァレリーが国を勝利に導いた英雄として崇められている事実を知った時、影はすぐさま彼の寝首をかきに行こうと思ったくらいだった。
その時は自分たちには反撃するほどの力がなく、時期を見ろと周りから押さえつけられ今では影として諜報係をしているのだが。
「いくらあなたといえど、言葉が過ぎるわ。慎みなさい」
「…出過ぎました。申し訳ありません」
イリーナは小さく咳ばらいをしてアクセサリーケースから竜珠を取り出してかざして見せた。
「赦しましょう。この大国の正妃になりさえすれば、何もかも思いのままだなんてね。こうもすんなりいくなんて拍子抜けもいいところよ。既に竜珠は手に入れたし、あとは邪魔な女を舞台から退場させるだけなんだもの」
イリーナは直接的な表現を避け、にやりと笑みを浮かべた。
「いざとなれば、彼は私の言いなり。計画が失敗しそうになったら竜珠で言うことを聞かせればいいんだから」




