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竜珠の花嫁  作者: 理子
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「馬車を呼ぶ間、竜の巣に行きたいんだけどだめかな」


 モンターク家へ送るための馬車を準備する間、ケイナが王城内の客間を準備しようとしたので、落ち着かない広い客間よりも一度も近くで見たことがない竜の巣へ行ってみたいと申し出た。

 案の定、ケイナはあまりいい顔をしなかった。


「さっき倒れたばかりじゃない。竜の巣まで結構きつい坂があるわよ?」

「大丈夫。ちょっとそこで考えたいことがあって」

「…じゃあ、私はオリバー様に許可を取りに行くから勝手に竜の巣に入らずに手前の門のところで待っていてね」

「うん、待ってる」


 ケイナと別れて竜の巣へと続く坂をゆっくりと上っていく。

 さっき、王と一緒にヴァレリーが執務室から出てきた時、反射的に体が強張った。

 改めて対峙するとやっぱり襲われそうになったことを思い出して怖くなる。

 ヴァレリーが済まなそうな顔をして話しかけようとしてきた時、急に耳が遠くなってきつい静電気に打たれたようになり、めまいを起こしてしまった。

 今思えば、男性恐怖症を克服しきれていないがためのフラッシュバックだったのかもしれない。

 ヴァレリーは特別な人だからそんなことはないと思っていたけれど、それはやっぱり思い過ごしだったのかもしれない。

 少し息があがるくらいの坂を上りきると、門の近くには誰もおらず、竜の巣へは自由に入れるようになっていた。


「結構、不用心なのね…」


 ひとりごちて、ケイナの言葉を無視して竜の巣と呼ばれる厩舎の中へと入っていった。

 まだ昼間なので厩舎の中はランプがついていない。薄暗い中、少しだけ爬虫類のもつ生臭いにおいが鼻をつく。

 そして、黄色い光が一斉に睡蓮のいるほうへと集まった。


「こ、こんにちは…」


 黄色い光は飛竜たちの瞳の色だった。時折、ばさばさと翼を羽ばたかせたり、足で床を蹴る音が聞こえる。

 厩舎の中の暗さに目が慣れてきたころ、一番手前の部屋にいた飛竜を見上げた。

 ヴァレリーの竜の姿とは違い、細身で首や前足が長く、後ろ足もそれほど大きくない。そして空を飛ぶための羽が意外と大きいことに気づく。


「グゥルルルル…」


 飛竜をそんな風に観察していると、突然首を伸ばして長い舌で睡蓮の頬を舐めてきた。


「きゃっ!?」


 突然のことにびっくりして後ずさった瞬間、後ろから笑い声が聞こえてきた。

 慌てて振り返ると厩舎の入口にオリバーが立っていた。


「ようこそ竜の巣へ。飛竜たちはいつリリー殿がここに来るのか、首を長くして待ってたよ」


 ずかずかと近づいてきても、不思議とオリバーには怖さを感じなかった。

 薄汚れたつなぎを着て長靴を履いているオリバーは、飛竜騎士団の団長だと言われてもそうは見えない。単なる厩務員にしか見えない気安さもあった。


「…黙って入ってしまってごめんなさい」


 勝手に入ってしまったため、謝るとオリバーは心外だと言わんばかりの顔で返事をかえした。


「いやいや。あなたならいつだって大歓迎だ。少し空の散歩でもしますか?」

「え!? 乗せてもらえるんですか?」

「普通なら乗せない。飛竜は自分の背に竜の血を継ぐ人間しか乗せないからね。ただ竜珠の花嫁なら話は別だ。飛竜たちは竜珠の花嫁を特別扱いしている」


 オリバーの説明を聞いて、睡蓮は飛竜に乗りたい気持ちはやまやまだったが首を横に振った。


「…空の散歩はまた今度に」


 自分でもわかるくらいに声が落ち込んでいることに気づく。

 オリバーは何気ないように飛竜の首を撫でながら、好物の木の実を与えていた。


「…あの。聞いてもいいですか?」

「俺でわかることであれば」


 他の飛竜たちも木の実が食べたくて皆、首を長く出して欲しがる素振りを見せる。オリバーは順番に少しずつ木の実をあげていく。


「竜珠の気配って、竜珠を手放したらどうなるんですか?」


 思い切って、核心だけの質問を投げかけてみた。オリバーならクレールよりも竜のことに詳しいだろうから何か答えを知っているはずだと睡蓮は考えたのだった。

 オリバーはすべての飛竜たちに木の実を分け与えてから睡蓮の元へと戻ってきた。


「竜珠の気配は竜珠を手放しても消えない。物理的に竜珠を持っていればいいというわけじゃない。ヴァレリー殿の心を受け取った証だ。現にここの飛竜たちはリリー殿のことをひどく気にしている」

「…それでは、新たに竜珠を受け取ったらその竜珠の気配を纏うことはありますか?」


 オリバーは睡蓮の瞳をじっと見つめた。睡蓮の質問の真意を知ろうとしているかのようで、睡蓮は思わず目をそらした。


「イリーナ殿のことを随分とお気になされているようだ」

「単なる疑問です」


 あくまでも疑問だということを押し通そうとしていると、しばらくオリバーは思案顔になって口を開かなかった。

 オリバーがどんなことを内心考えているのか怖くなってきた睡蓮は、こらえきれずに自分の足元に視線を落としたが、やがて頭上からオリバーの落ち着いた声音が降りてきた。


「その件についてはクレール殿から伺っている。しかし何故、彼女のことを気にするのか俺には理解不能なんだが」

「ヴァレリー様が竜珠を渡した相手は本当はイリーナさんなんです」


 そこで初めてオリバーの目が軽く見開かれた。

 睡蓮は竜珠が自分の母親の遺品であり、自分の誕生日プレゼントに用意されていたもので、まさかヴァレリーの竜珠だとは思いもよらなかったことをオリバーに力説した。

 オリバーに一生懸命訴えてみたところで、何も状況が変わることはなかったのだけれど。


「…イリーナ殿が受け取ったはずのヴァレリー殿の竜珠を、いつの間にか自分の母君が持っていて、ご自分宛のプレゼントになっていたと」


 自分で言っていても都合のよすぎる話だと思う。泥棒親子だと思われただろうか。

 蔑まれた目で見られても仕方ないと思いつつ、オリバーの次の言葉を待っていた。


「あなたには自覚がないんだろうか? あなたにはしっかりと竜珠の気配が色濃く残っている。立派な竜珠の花嫁だ。俺には逆に何故イリーナ殿が竜珠の花嫁候補になっているのかがわからない。竜の血を引く者ならはっきりわかるようなものなのに」

「では、私はヴァレリー様ではなく、オリバー様みたいに竜の血を引く方の別の竜珠の気配を纏っているということはないですか?」


 睡蓮はオリバーの言うことが信じられず、別の可能性を見出そうとしてみた。


「竜の血を引く者はどんどん少なくなってきて、今の時代、とても少ない。竜化して竜珠を渡せるのは今の時点でヴァレリー殿以外存在しない。そして、竜の血を引く人間は一度この人だと決めたら一生涯その人のことしか見えない。それが竜の本能だからね」


 きっぱりとした物言いでオリバーがそう言うと、睡蓮はますますわけがわからなくなってしまった。


「……突然不躾な質問をして申し訳ありませんでした」


 深々とお辞儀をして、睡蓮は竜の巣から出て坂を下りて行った。

 オリバーは肩を落として坂を下りていく睡蓮の後姿をじっと見つめていた。


 **********


 王都を出る乗合馬車は、人気のない夜道を走ることがないよう比較的早い時間に出払ってしまう。

 フェルディナンドは王都でしか買えない数種類の高価な薬を手に入れ、翌朝一番で出発する馬車の予約を入れた。

 少し早めの夕飯を取ろうと、酒場と食堂が一緒になった店にふらりと立ち寄る。

 カウンターの端に座ってゆったりと酒を飲んでいると、近くのテーブルに座っていた数人の男たちの会話が途切れ途切れに聞こえてきた。


「……花嫁候補がもう一人いるそうだ」

「姫には絶対に花嫁になってもらわなければ」

「そうだ、我らは十年もこの時を待っていたんだ。焦って機を逃してはならない」

「ではもう一人の花嫁候補を…」


 そこで男たちはフェルディナンドがすぐそばに座っていることに気づき、ことさらに声を潜めた。


「タレイア様の指示があるまで、我らは待機するしかあるまい…」

「ああ、早くあの化け物を手玉に取るタレイア様を拝みたいものだ…」


 タレイアという名前を聞き、フェルディナンドの頬の筋肉がぴくりと動いた。

 食堂兼酒場の中は中途半端な時間帯とは言え、人がまばらにいて店内は適度にざわついていた。


「おやっさん、おかわり」


 何事もなかったかのように酒のお代わりを頼み、近くに置いてある新聞に手を伸ばし、男たちの会話を聞いていない振りをする。

 今、タレイアと言ったな。

 女の子が生まれたとき、王族の姫にあやかって同じ名前を名付ける親は少なくない。

 タレイアという名前も十年前まではこの国でも比較的ありふれた名前だった。

 ではあいつらはイシュト帝国の人間ということか。

 しかし、もう一人の花嫁候補…?


 昼間、クレールの妹が言った言葉が蘇る。


 ―――レンは? 彼女は竜珠の花嫁じゃないのか?


 いろんな情報のかけらがパチリと正しい位置へとはまっていきそうな、でもまだはっきりと断定はできなくてもどかしさもあり、フェルディナンドはつまみで出されていた燻製肉を思い切り嚙み千切った。

 何度か咀嚼し、酒で肉を喉の奥へ流し込むと、アルコールが回ってきたせいか、段々と自分には関係のない話だ、と思うようになっていた。

 見ず知らずの二人の女性が一人の男性を取り合っているだけじゃないか。

 自分には第二の故郷で自分の帰りを待っていてくれる妻と子供がいる。

 薬も買えたし、明日には王都を後にする。何かよほどのことがない限り、王都へ来ることもないだろう。

 今さっき聞いた話は、自分には全く関係のない話だ。


「お勘定!」


 がたん、と椅子にぶつかりながら席を立つ。

 長旅の疲れが足腰に来たのかもしれない。少しふらっとしながらも食事代を払って建物の外へ出る。

 夕陽が落ちたばかりのまだ空が少し明るい頃、フードを深く被った女性が目の前を通り、建物の中へと入っていった。

 フェルディナンドは一瞬フードの中に見えた赤毛にどきりとする。

 窓から店内をそっと盗み見ると、自分の横を通り過ぎていった女性は、端のテーブルでひそひそ話をしていた男たちのテーブルへとまっすぐ向かい、そして席についてフードを外した。

 薄汚れたガラスの窓からは、はっきりと顔立ちまでは確認できなかった。

 ただ、燃えるような赤く長い髪はイリーナと同じで、フェルディナンドは酒のせいだけではなく心臓がばくばくと音を立てはじめるのを感じていた。


 もう一度、店内に戻って彼女の顔をはっきり見てみたい。


 その思いだけで店の入り口まで戻り、ドアに手をかけようとしたとき、ふと家族の顔が浮かぶ。


 お父さん、寂しいから早く帰ってきてよ?

 あなた、いくら昔は騎士団に所属してたからって、自分の力を過信しちゃだめ。

 山賊に襲われないように気を付けるのよ。


 故郷を出るときの二人の顔が鮮明に浮かび、フェルディナンドはドアを開けるのを躊躇する。


「ちょっと、入らないんだったらどいてくれないかな」


 背後から飲みにやってきた数人のグループが、入口をふさいでいるフェルディナンドに声をかけてくる。


「あ、ああ…すまないな」


 出入り口のドアから離れ、フェルディナンドは空に顔を向け、両手で顔を覆った。


 忘れろ。

 イリーナはもう、俺にとって過去でしかない。


 フェルディナンドはしばらくそうやっていたが、やがて頭をゆっくりと振ると、自分のとった宿へと歩き出した。

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