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ヴァレリーが会いたいと侍女を通じて伝えてきたため、イリーナは中庭の東屋に赴いた。
東屋には既にヴァレリーがいて、お茶も準備されている。
「ごきげんよう、ヴァル。遅くなってごめんなさい」
「いや、私も今来たばかりだ。お気になさらず」
ヴァレリーはイリーナのために椅子を引いた。イリーナはさも当然と言わんばかりの態度で礼もせずに着席した。
昔のイリーナだったら、はにかみながらきちんとお礼を言うか、貴族でもないのにとんでもないと恐縮するかどちらかだったな、とふと昔の彼女の言動を思い出す。
「ここのところ忙しくて、あなたとゆっくりお話しする時間が持てなかったことをお許しください」
「北の警備から帰られたばかりなのでしょう。仕方ないわ」
イリーナはそう言ってポットに入ったお茶を自分のカップに注いだ。
「お話と言うのは? こんなところで二人きりになっているところを誰かに見られでもしたら…」
「あなたに竜珠を渡したいと思っているから、問題ない」
きっぱりとそう言うと、ヴァレリーはイリーナの傍に移動し、跪いた。
そして懐から細長いアクセサリーケースを取り出し、中に入っている竜珠を恭しく差し出した。
「イリーナ。もう一度言わせてください。私の竜珠を受け取って欲しい」
イリーナは微かに目を見開き、竜珠とヴァレリーの顔を交互に見やる。
「…喜んで」
どこか妖艶な笑みを浮かべ、イリーナは竜珠を受け取った。
ヴァレリーは受け取ってもらえたことに安堵の溜息をついたが、何故だか睡蓮の近くにいるような優しい竜珠の気配が全く現れないことに戸惑っていた。
まだ受け取ったばかりだからか。
睡蓮が持っていた時にも、硝子の容器に入れていた時には気配が消えていたこともあった。
「これで私は竜珠の花嫁となったのね。公式にあなたの伴侶として発表されるのはいつになるのかしら」
「…あなたに竜珠の気配がまとうようになり、もう一人の花嫁候補の女性が持つ竜珠の気配が消えた時となりましょう」
「…そう。もう一人、いるの…」
イリーナの声音が微妙に変化したのを、ヴァレリーは気づくことができなかった。
これはヴァレリーの賭けでもあった。
元々、イリーナに渡したはずの竜珠を見ず知らずの睡蓮が持ち、更には竜珠の気配も身に纏っていたから混乱してしまうのだ。
彼女の負の感情に引きずられて、いつ突然竜化が起こるとも限らない。
イリーナが竜珠の気配を纏うようになったら睡蓮は不要になる。
いちいち彼女の一挙一動に振り回されなくても大丈夫になるのだ。
そこまで考えて、胸が少し痛くなるのを感じた。
「ねぇ、ヴァル。私、少しやらなければいけないことがあるの。部屋に戻っていいかしら?」
「ああ…。お忙しいところ、お時間を取らせてしまい申し訳ありません」
竜珠を丁寧にケースにしまい、遠くに控えていた護衛騎士に合図をし、イリーナは東屋から去っていった。
イリーナの姿が見えなくなると、ヴァレリーは東屋の長椅子に腰かけ、大きく溜息をついた。
念願だったイリーナに竜珠を渡し、今度こそはっきりと受け取ってもらえた。
本来なら心の底から喜びがあふれてきそうなものだったが、実際には違和感と共に虚無感さえあった。
もしかしたら、今のイリーナに竜珠を渡してしまったのは失敗だったかもしれない。
「…睡蓮」
絞り出すように微かな声で竜珠の気配を持つ彼女の名前を呼ぶ。それだけで心のどこかが軽くなる。
「…俺は竜として欠陥品か? 同時に二人の女性を得ようとして」
王と共に竜騎士団の執務室から出てきた時、睡蓮に近づいて話しかけようとした瞬間、彼女はひどく怯えて倒れてしまった。
無理もない。
男性に触れられるだけで体を強張らせていたのに、あんなことをしたのだから余計に怖がらせてしまった。
睡蓮の異常なほどの怖がりように、王はもとより、自分も近づくことは許されなかった。
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誰の気配も感じられない廊下でイリーナはふと立ち止まった。
手の中にあるのは十年間待ち焦がれた黒い竜珠。
これさえあれば、何もかもが手に入る。
気になるのは竜珠の気配をまとうということだったけれど。
でもそれも竜珠の持ち主であればなんてことはないはず。
すぐさま竜珠の力を使ってずっと思い描いていた計画を実行しようと思っていたというのに、どこかに竜珠の花嫁候補がいると知り、歯ぎしりをする。
ふいに、背後に人の気配を感じる。
振り返らずとも自分の影だということがわかっていた。
「竜珠の花嫁候補はもう一人いるそうよ。急いで探し出して」
「かしこまりました」
イリーナは柱の影に潜む人物にそう告げると、自室へと向かった。
竜珠は手に入れた。
あとは邪魔な候補を消して、そして。
イリーナは表情を消し、冷たい目で廊下に連なる調度品や壁にかけられている絵画を見つめていた。
「…なんとも平和ですこと」
嘲笑めいた声音に、誰も気づくことなく言葉は誰にも届かずに消えていった。




