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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 フェルディナンドはかつての自分の仕事場であった竜騎士団の執務室へ寄る前に鍛錬場を見てみようかと思い立った。

 セドラーク宰相の執務室を出てから護衛騎士に連れられ王城奥の竜騎士団の鍛錬場に向かう間、護衛騎士がかいつまんで現状の説明をしてくれていた。

 クレールが現在の竜騎士団団長に就任したという話を聞き、内心ほっとする。

 少し前まではヴァレリーが団長だと聞いていたし、もしまだ彼が団長のままならセドラークの言う通りに執務室へ立ち寄って昔話でもしようという気は起こらなかっただろう。

 何しろ彼はイリーナに恋愛感情を持っていたのだから。

 気づいていないのはイリーナ本人ぐらいのもので、周りの人間には彼の気持ちはダダ漏れだった。

 面と向かって自分はイリーナの婚約者だから必要以上に近づくな、とも大人げなくて言いづらかったし、ヴァレリーの気持ちはダダ漏れではあったが、イリーナに対しては節度ある態度を貫いていたように見えた。

 こういうことに関しては年をとっても心が広くならないものだな、とフェルディナンドは自嘲気味に顔をしかめたが、護衛騎士が何も言わないのをいいことに、一人で変な顔をしていることに気づいて慌てて咳をしてごまかした。


 鍛錬場の傍には厩舎と少し離れた坂の上には竜の巣と呼ばれる飛竜たちの厩舎がある。

 まずは馬や飛竜に会ってからにしようかと厩舎へ足を向けた時、厩舎へ向かって馬を連れて歩いているクレールが見えた。

 十年前に引退を決め、城を後にしたとき以来会っていなかったが相変わらず華奢な姿に驚く。

 あんな細腕で剣を振り回せるんだろうか、団長が務まるんだろうかと、余計なお世話かもしれないが心配になってしまう。


「おーい、クレール!」


 懐かしさもあり、昔の気安さのままに声をかけた。本来なら公爵家嫡男でもあり、竜騎士団団長でもある人物に、一介の一般市民が気安く声をかけていい存在ではなかったのだが。

 隣にいた護衛騎士が慌ててフェルディナンドへ何かを伝えようとしたが、フェルディナンドが足早にその人物のほうへと歩いていったため、それは叶わなかった。

 クレールと呼ばれた人物はフェルディナンドに気づくと馬を厩舎に入れたのち、足早に彼に近づいてきた。


「久しぶりだなぁ、クレー…ル…?」


 フェルディナンドの目の前にやってきたのは昔のクレールと姿かたちは似てはいるが別人だった。

 よくよく見ると女性だったのだ。


「失礼、レディ。昔なじみにとても似ていたのでつい…」


 フェルディナンドは慌てて跪き、自分の胸に手を置いて深々と頭を下げる。竜騎士の礼儀作法が身についている目の前の男を、アビゲイルは眉間にしわを寄せながら訝し気にみやった。


「ここは部外者が気軽に立ち入ることができない場所だが?」

「私は元竜騎士団団長のフェルディナンド・バレージという者です。所用で登城したのですが懐かしさもあり、こちらへと足を向けた次第です」


 フェルディナンドという名前を聞き、アビゲイルは緊張を少し解いた。以前、クレールから私的な理由で引退してしまったが有能な団長がいたという話を耳にしていたからだった。

 隣の護衛騎士に視線をずらすと、彼は黙って頷いた。


「…貴方のお噂はかねがね。現団長の尊敬する先輩だと伺っております。団長は今執務室にいると思いますのでそこまでご一緒しましょう」


 どのような所用で登城したのかはわからないが、今では部外者である彼にあまり竜騎士団の鍛錬場などを歩き回ってほしくない。

 アビゲイルはさっさとクレールに引き渡してしまおうと考えていたのだった。


 **********


 執務室への建物の入り口には、騎士が二人立っていた。アビゲイルが無言のまま中へ入ろうとすると、一人の騎士がそれを止めた。


「申し訳ありません。団長命令で今は誰もここをお通しすることができないのです」

「…団長命令? 私でもか?」

「何人たりとも、という命令です」


 そのとき、建物の階段を降りてくる気配に気づき、そちらを見やるとケイナに連れられている睡蓮がいた。頭をうなだれて、ケイナに寄り添いながら降りてくる様は、とても具合が悪そうに見える。


「レン!」


 アビゲイルが睡蓮を呼ぶと、睡蓮はゆっくりと顔を上げた。

 彼女の血の気が引いたような真っ白な顔色にアビゲイルは驚く。


「どこか具合が?」


 ケイナに顔を向けると、彼女はさっと周りの雰囲気を読み、あいまいに頷いた。


「少し体調を崩されたようです」


 ケイナはそれ以上聞いてくれるなと言わんばかりに睡蓮をかばいつつ建物の外へと出た。

 その時、フェルディナンドと睡蓮はほんの一瞬視線を合わせただけで、かすかにお辞儀をしただけでそのまますれ違っていった。

 フェルディナンドはおや? といった顔で睡蓮の後姿を見送ったが、声をかけることもせずそのまま黙っていた。


「おー、アビー。どうした?」


 しばらくしてクレールが階段を降りてきた。

 フェルディナンドはクレールとアビゲイルを見比べて目を見開いた。同じ髪型で身長や体格を除けばほとんどそっくりな双子のような外見に、言葉がすぐに出てこない。


「今度こそ…クレール…だよな…?」


 フェルディナンドがようやく声を絞り出すと、クレールは一瞬怪訝な顔になったけれど、すぐに記憶の底からフェルディナンドを思い出して慌てて敬礼をした。


「お久しぶりでございます、バレージ隊長!」

「いや…、隊長なんて呼ばれるのは久しぶりだな…」


 クレールは素早くフェルディナンドの背中に手をやり、建物の中へと促す。


「話は執務室で…。アビー、お前も来い。…それから、もうしばらく人を通すな」


 クレールは振り返りざま、入口の騎士たちにそう言いつけ、フェルディナンドを伴い再び建物の中へと入っていった。

 アビゲイルも慌てて後をついていく。


 **********



「回りくどい質問はやめておきます。今日登城されたということは、イリーナの件ですよね?」


 アビゲイルは執務室の続き部屋にある簡易キッチンで三人分のお茶を入れながら、クレールの話を黙って聞いていた。

 イリーナという女性を国が捜索していることはアビゲイルも知っていた。ただ、何故国をあげてたった一人の女性を捜索しなくてはいけないのかまでは知らされていなかった。


「ああ、先ほどセドラーク宰相に昔話がてら話してきたばかりだ。イリーナはもうこの世にいないと。これからイリーナと名乗る女性が現れたとしても、その彼女は偽者だと」


 アビゲイルが淹れたお茶をテーブルに置くと、しばらく部屋の中で誰も言葉を発することがなかった。

 フェルディナンドはうつむき、次の言葉を告げずにいた。

 そして、しばしの静寂を破ったのはクレールだった。


「今、イリーナと名乗る女性を王城に滞在させています」


 思わず反射的に顔を上げるフェルディナンドに、クレールは冷静に対応する。


「バレージ隊長のおっしゃりたいことはごもっともです。ヴァレリーも俺もほぼ間違いなく本人だと思っていますが、何しろ十年前の記憶だけが頼りですし、あなたほど長く一緒にいたわけでもない」

「記憶なんて曖昧なものだ。その彼女は巧妙な話術で人の記憶をうまく操れるのではないか? その通りだと思わざるを得ないような」

「そうかもしれません。しかし彼女の言動だけではない、そう思わざるを得ない決定的な事実もあるのです」


 クレールはアビゲイルに視線をやった。クレールは小さく口元で人差し指を一本立てた。

 これから話すことに口出し禁止という合図だった。


「イリーナは十年前とほぼ外見が変わっていません。出生記録によれば彼女は現在三十三歳のはず。しかし、今現在、ほぼ二十歳過ぎの若い女性にしか見えない。もしかすると若く見られる外見の持ち主なのかもしれないが」

「そんな…外見が十年も変わらないだなんてあり得ない」

「ただ一つだけ、あるのです。外見が変わらない理由が」


 クレールのもったいぶった話の持っていき方にいらつきもせず、フェルディナンドの表情が驚愕に変わっていく。


「まさか…?」

「当時ヴァレリーがイリーナに気持ちを寄せていたのはご存知だったはず。彼がイリーナを竜珠の花嫁に選んでいたとしたら辻褄が合うのです」

「兄貴。ちょっと待ってくれ。レンは? 彼女は竜珠の花嫁じゃないのか?」


 思わずアビゲイルが口を開くと、クレールはじろりとアビゲイルをにらみつけた。


「…タレイア姫を無事に国外へ連れ出す作戦中、敵の追撃が激しくなり、我々は二手に分かれることになりましたね。俺はヴァレリーと二人で陽動作戦に出ました。しかしその時すでに彼の竜珠は取り出された後だったのです」

「…そんな…いや、しかし、イリーナは俺の目の前で…」

「ですので、あなただけが知っているイリーナと決定づけられる何かを教えてください」


 クレールに言われて、フェルディナンドは必死に記憶を手繰り寄せていた。


「…彼女は当時妊娠していた。まだ俺たち二人だけしか知らなくて、任務が終わったら病院へ行こうと話をしていたんだ」

「それは確かですか?」


 フェルディナンドは大きく頷いた。


「イリーナと名乗る女性に妊娠のことをたずねてみたらいい。妊娠のことを知らなければ別人だ」


 **********


 フェルディナンドは放心したような顔で帰っていった。

 そのあとすぐにアビゲイルはクレールに食って掛かった。


「兄貴よくも…! 何も知らないせいで、私はレンにいろいろと言ってしまった!」

「知らないほうが自然に接することができると思ってたんだ。それに事実を知る人間が少ないほうがいいとも。でもそろそろお前にも知っていてもらいたいと思っ…」

「このことを知っている人は他に誰だ」

「ヴァルはもちろん、ケイナとオリバーもほぼ全てを知ってる」

「レンの身近な人間はみんな知ってたってわけか! ひどいじゃないか、私が子供だからって仲間外れにしなくたって…!」

「すまない」


 クレールの疲れ切った顔にこれ以上いうのは止め、アビゲイルはふぅと大きく溜息をついた。


「レンのことだけど。さっき具合悪そうにしていたが、なんで屋敷にいるはずの彼女がここにいた?」


 クレールは気まずそうに目をそらすが、無言のアビゲイルの圧力に屈して口を開いた。


「…朝稽古が終わった後、ヴァルと執務室で話をしていた時、微かにだがヴァルの竜化が始まった。それでケイナに魔法陣でレンを呼び出してもらったんだ」


 アビゲイルは無言でうなずき、先を促した。彼女の疑問にすべて答えていないため、クレールは最後まで話を続けるしかなくなった。


「レンにはヴァルの竜化を止める何かがあるらしい。ヴァルの竜珠を長い間持ち続けていたからかもしれないが。ただ、ヴァルの竜化を止める際に何かあったようでそれから…」

「それから?」

「わからない。ただ、ヴァルが近づこうとしたら急にショックを受けて倒れた」

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