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竜珠の花嫁  作者: 理子
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25

 すぐに力任せに床に押し倒され、体をまさぐられる。

 これ以上はさせたくないし、されたくもない。

 一方的で愛情の伴わない行為に、睡蓮はDVのフラッシュバックを起こしかけていた。


 震える手をなんとか伸ばして、ヴァレリーのこめかみ近くの髪を掴み、後ろへ引っ張った。

 怖くてほとんど力が入ってなかったのに、ヴァレリーの顔はすぐに離れた。銀色の瞳は人間のそれに戻っていたが視点が定まっておらず、どこか遠くを見つめているような顔つきだった。


「…い…やっ」


 床に横たわったまま囁くように呟くと、ヴァレリーの体がびくりと強張った。

 銀色の瞳がゆるゆると動いて睡蓮を見やり、ゆっくりと視点が定まって来たと同時に睡蓮の上から飛び退いた。


 ヴァレリーはたった今、自分がしでかしたことを覚えているようで、ショックを隠せないようだった。

 睡蓮から少し離れたところで座り込み、自分の両手のひらを見下ろして、茫然としてしまっている。


「…竜珠は?」


 震える体を両手でさすりながら起き上がってたずねると、ヴァレリーは俯いたまま首をのろのろと横に振った。まだショック状態から抜け出せていないようだった。


 おずおずと近寄り、ヴァレリーの両頬を両手で支え、そっと上に向かせる。

 すると今までに見たことのない、自信のない不安げな瞳が見上げてきた。


「私に竜珠の気配は残ってる?」


 睡蓮がそうたずねると、ヴァレリーは泣きそうな表情を浮かべ、微かに頷く。


「…側にいてくれ」


 その言葉だけで今は十分だった。ヴァレリーが自分のことを必要としてくれていることに、睡蓮は喜びを感じていた。

 たった今、あんなことをされたにも関わらず。


「わかった。逃げたりしないからおとなしく待ってて」


 おそらく、ヴァレリーは封印された空間から外へは通れないだろうから、と声をかけて扉を開ける。

 すると壁に寄りかかり、落ち込んでいるクレールがそこにいた。

 騎士ともあろう人間が、盾にもならずに女性を置いて逃げ出したとなれば末代までの恥になる。

 クレールはひどい自己嫌悪に陥っていたのだった。

 睡蓮が控えめに声をかけると、クレールは壁から飛び跳ねるようにぱっと動いて睡蓮に駆け寄ってきた。


「レン! さっきは悪かった。俺も一緒にヴァルを抑えようとしてたんだが」

「ううん、きっと封印した部屋の中には、ヴァレリーさんと私しかいちゃいけなかったんだよ。教会の中と同じ原理で。それを見込んでケイナはクレールさんを部屋の外に連れ出したんだと思う。…ところでケイナは?」


 睡蓮がケイナを探そうと視線を泳がせると、クレールは気まずそうな顔で呟いた。


「王城内で魔法を使ったらすぐに王に報告があがる仕組みになってる。王自身も多少は魔法を使えるから感づいてるだろうけどな。他の魔術師からも王へ報告が行ってると思うが、ケイナが自ら報告しに行った」

「ケイナも魔法が使えるんだね」


 睡蓮が初めて知ったと告げると、クレールは心外だという顔をした。


「知らなかったのか? 彼女はトゥシャンの魔術師の家系だ。魔術を貴ぶトゥシャンでは名門貴族扱いで、本来なら他国に花嫁修業なんかしにこなくてもいい家柄なんだ。そんなお嬢様がなんでツェベレシカの王城で侍女をしていたり、王直属の精鋭部隊みたいなところに食い込んでるのか不思議なんだが」


 クレールからケイナの身分を明かされ、睡蓮は驚いて目を見開いた。


「ケイナが優秀なおかげで、いろいろと助かってる部分が多いのも事実なんだけどな」


 いつか彼女が言ったセリフを思い出す。

 自分が本当の竜珠の持ち主なら、王を捨てると言った彼女。

 ケイナの本心はどこにあるのだろう。

 ヴァレリーといい、ケイナといい、人に本心を見せないまま懐近くに入り込んでくるのだから始末に負えない。


「ところでヴァルの様子は…? せっかく外に出られたのに、また教会で軟禁状態にはさせたくない」

「……ちょっと混乱してるみたいですけど、今は外見は元通りに戻ってます」


 二人きりの時に襲われそうになったなんて、クレールには言いづらい。

 何もなかったと平常心を保って返事をしたけれど、果たしてクレールには通用しているかどうかわからなかった。


「…そうか。あいつが辺境地区の警備にあたっていた時の報告書に目を通したんだが、ほとんど野外で単独行動をしていたらしい。ヴァルが常に外で野営をしていれば、竜の気に怖気づいて力のない魔物や冬眠中に目が覚めた熊が人を襲うこともない。そうやって人と関わらないように生活していたようだから、竜珠がそばになくとも心が安定していたんだろう」


 ヴァレリーの顔が少し雪焼けしていた理由はそういうことだったのか、と真相を知り、睡蓮は心のどこかがずきんと痛んだ。

 他人との交流を出来るだけ避け、一人で雪山の中、春が来るのを待つのはどんな気持ちだったのだろう。時折何気ない近況報告の手紙が来ていたのは、そんな人恋しさから誰かと少しでも繋がっていたいという気持ちの表れだったんじゃないだろうか。

 祝宴会場でわざわざ馬車まで迎えに来たり、何か焦っている感じがしたのも、人との触れ合いに飢えていたとも言える。

 歯の浮くようなセリフも他意はなく、本当に教会で二人きりで話をしていた時のように過ごしたかっただけなのかもしれない。

 ただ、今のヴァレリーの状態はあまりにも危うい。

 一緒にいれば精神の安定は保たれるのかもしれないが、それでは竜珠の気配がなくなったときにどうなるのか想像したくない。


「クレールさん、私…」


 とりあえずの救済策として、常にヴァレリーのそばにいたほうがいいのかもしれない、と提案しようとした時だった。


「クレール。報告を聞いた。ヴァルはまだ中だな?」


 圧倒的な威圧感をもって王が執務室の前に現れた。

 急に空気が重たくなって重力に体が負けそうになる。

 王の背後には急いで後をついてきたかのようなケイナが見えた。


 クレールが慌てて姿勢を正して敬礼をしたため、睡蓮もクレールと同様、貴族の礼儀作法としての挨拶の姿勢をとった。


「ここで待て。誰が来ても一切何も話すな」

「御意」


 それだけを告げると、王は足早に扉に近づき、難なく扉を開けて中に入っていった。

 扉が閉まると、睡蓮は無意識のうちに肩に力が入っていたようで、誰にも気づかれないようにほっと溜息をついていた。


 **********


「ご無沙汰しております、バレージ元竜騎士団団長殿」


 宰相の執務室にて、二人の男性が面と向かっている。

 赤い瞳に白い髪を持つセドラーク宰相は目の前の背の高い壮年の男性に向かって恭しくこうべを垂れた。

 上質な衣装を身に着けている宰相とは裏腹に、壮年の男性は一般市民が着る少し上品な外出着を着ていた。

 薄茶色の短く刈り上げた髪に琥珀色の瞳を持つフェルディナンド・バレージは軽く肩をすくめて口元をゆがめた。


「やめてください、セドラーク宰相殿。私はもう引退し、田舎暮らしの一般庶民なのです。貴族でも何でもないのですから」

「それは無理というものです」


 親愛の情を表すかのように赤い瞳が笑みを浮かべると、フェルディナンドはソファに座り込み、頭をかいた。


「婚約者殿の件がなければ、あなたはあの後もずっと騎士団長を務めていたはずです。騎士団のみならず王城内で人望も厚く、何より貴族出身ではなかったため、一般市民の憧れであったでしょう。もちろん私もあなたを信頼していたし、政治にまつわる相談なども頼りにしていたかったですよ」

「それこそが買いかぶりというものですよ。ところで早速本題ですが、先日、私の住む辺境地区にもイリーナの情報を求める旨の内容が届き、本日は十年前の真実を告げに登城した次第なのです」


 今の彼の身分は一般市民であり、目の前の彼は年下の元同僚ではあるが今は一国の宰相でもある。

 礼儀を欠かさぬよう、しかし卑屈にならぬような姿勢を貫いていた。


「それは十年前の報告書に偽りがあったということでしょうか?」

「いいえ。恥ずかしながら、娘の病気の治療費のため。それに我こそがイリーナと名乗る偽者を排除するため」

「…偽者」


 セドラークはゆっくりと噛みしめるように復唱した。

 フェルディナンドは彼のその仕草に、何か思い当たる節があるのかと内心考えたが、きっと今の自分には関係のない話だろう。

 疑問を口に出さずに報告だけに徹することにした。


「はい。再度申し上げますが、イリーナは私の目の前で命を落としました。今後、イリーナと名乗る人物が現れたとしてもその彼女は偽者でありましょう」

「…しかし、結局彼女の亡骸は見つからなかったと報告書には書いてありましたが」

「今は無き隣国のイシュト帝国内に、死と再生の谷という場所があるのはご存知ですよね。落ちたら二度と這い上がれないと呼ばれるその谷底にある湖に、馬車ごと飲まれました。あの湖は底なしで、一度沈んだら二度と浮かび上がってこれないと言われています」


 フェルディナンドはその当時の出来事を、今でも鮮明に思い出せる。


 世界大戦が始まった後、イシュト帝国から行儀見習いでやってきていたタレイア姫を秘密裏に帝国内に戻す計画が立てられた。

 ツェベレシカ国内で万が一命を落とすようなことがあれば、今後に悪影響を及ぼすと考えられたためだ。

 そのため、目立たぬよう、少人数で避難移民を装いつつ移動することになった。

 当時竜騎士団団長であったフェルディナンド、新米騎士でも弓と剣の腕利きであるクレールとヴァレリー、そしてタレイア姫の身の回りの世話をする侍女はイリーナが選ばれた。その五人で越境するには過酷な強行軍であったが、戦火が王都ほど及ばぬ辺境では一時ののどかな休憩も取れたのも事実だった。


 戦時下のどさくさに紛れて盗賊が頻繁に出没するようになっていた。

 大雨の中、追われたあげくに吊り橋の途中で馬車が橋から落ちそうになった。

 馬車の危ういバランスの中、タレイア姫だけは馬車から救出できたが、イリーナを馬車から連れ出そうとしたとき、運悪く馬車ごと谷底へと落ちていってしまった。

 ほどなく、吊り橋自体が壊れ、馬に乗っていたフェルディナンドとタレイア姫も同様に谷底へと吸い込まれるように落ちていった。

 フェルディナンドが気づいたとき、彼は谷底の湖の岸辺に打ち上げられていた。近くにタレイア姫も倒れていた。

 口元に耳を傾けると呼吸をしているのが感じられたので安堵の溜息をついた。

 そして、イリーナはとあたりを見回すと、湖の真ん中あたりで馬車が半分沈みかけているのが見えた。

 馬車の中で気を失っているのか目をつむって身じろぎしないまま、窓際に顔を寄せているイリーナ。

 フェルディナンドは湖に飛び込み、馬車に向かって死に物狂いで泳ぐも馬車のほうが沈んでいくのが早く、追いつく間もなく湖の底へと沈んで行ってしまった。


 慌ててその場で潜ると湖の底がうっすらと明るく光っており、馬車が光の中へと沈んでいくのを焦る気持ちの中、見ていることしかできなかった。

 息が続かなくなり、一旦湖面へ浮上し、再度潜ろうとした時には湖底はすでに暗くなり、馬車はどこにも見えなくなってしまった。


 あの時の喪失感は何事にも代えられなかった。

 呆然としながら岸に向かおうとすると、タレイア姫が何者かに連れ去られていくところだった。

 陸に上がるとすでに姫の姿はなく、大雨で土はぬかるみ、連れ去った者たちの足跡はすでに消えていた。

 フェルディナンドはイリーナを亡くした喪失感と、姫を護衛できなかった自分の不甲斐なさに打ちのめされ、唸り声をあげて地面に拳を振るうしかできなかったのだった。



「当事者であるあなたの情報は信頼に値するものとしたいところですが、何しろ目撃者がおりません。その情報をどこまで信じていいのか私の一存では決めかねます。しかし情報は情報として受け取りましたので」


 セドラークは分厚い皮袋をフェルディナンドに差し出した。フェルディナンドは過去の苦い記憶をたどるのをやめ、差し出された皮袋の厚さに驚きつつ、丁重に受け取った。


「こんな昔話をしただけでこんなに…?」


 セドラークは小声でフェルディナンドに声をかけた。


「別の女性と結婚されていたのですね。お祝いというと語弊がありますが、これで幼い娘さんの治療費が足りると良いのですが」

「…ありがとう。セドラーク宰相」


 フェルディナンドは感極まり、体を震わせながら懐に皮袋をしまい込んだ。


「王への直接の謁見ができずに申し訳ありません。…ああ、帰りは竜騎士団の執務室のそばを通って行かれては? 懐かしい顔ぶれに会えるかもしれませんよ?」

「…ああ、それも良いかもしれない。長い間不義理にしていたことだし。世代交代して若者なんだろうが」


 フェルディナンドが記憶を呼び覚まそうと遠い目をしながらそう言って部屋を出ていくと、セドラークはそれまで常に浮かべていた笑みを消した。


「…レンと顔を合わせたら彼はどんな反応を見せるんでしょうね…」


 フェルディナンドと顔を合わせることによって、どこか得体のしれない彼女との接点が何かしら見えてくるかもしれない。

 不透明な不確定要素は早いうちになくしておくに限る。

 彼女のそばにはケイナがいる。

 報告はあとでケイナから聞けばいい。

 フェルディナンドの持つ薄茶色の髪の色、琥珀色の瞳。背の高さ。どことなく似ている二人の顔立ち。



「年の離れた兄妹…、もしくは従妹あたりか。彼の家族構成を詳しく聞いておくんだったな…」


 セドラークの独り言は誰にも聞かれずに消えていった。

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