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全然、外見が変わってなかった。
久しぶりに会った彼女に持った印象は、それだった。
赤金髪の髪をゆるくアップにし、派手な金の装飾を施したワインレッドのドレスを気後れすることなく、堂々と着こなしている。
人に指図をすることに戸惑うこともなく、こちらに対しては勝ち誇ったような挑むような視線を投げかけてくる。
深い緑色の瞳をうっすらと細めて口元に笑みを浮かべるその顔は、妖艶とも言えた。
だが、記憶にあるイリーナは、自分にはそんな表情を見せたことがなかった。
本当に彼女がイリーナなのか、と腑に落ちない部分が多かったのが正直な印象だった。
記憶の中の彼女は、朗らかで優しく、主張するときは毅然とした態度で主張するけれど、普段はどちらかというと控えめで自分のことは後で良いというタイプの人間だった。
十年も経つと、性格や立ち居振る舞いが変わるのだろうか。
確かに生活環境が変われば人は変わるし、変われる。
自分の覚えている限りの彼女との記憶を祝宴会場で質問してみたが、言葉は微妙に違えど内容はほぼ記憶通りの返事が返ってきた。
…彼女の婚約者だったフェルディナンドのことさえも。
そこまでしっかり答えが返ってくるし、外見も中身も彼女に間違いがないはずなのに、違和感があるとしたら彼女に竜珠の気配が全くないということだ。
一時的に持ち主になっている睡蓮ですら、竜珠の気配を纏っているというのに。
ヴァレリーはそこまで考えて、一番自分が落ち込む答えを心の底から引っ張り出す。
おそらく彼女は受け止めなかったのだ。自分の竜珠を。
当時は焦って自分の気持ちを打ち明け、断られるという選択肢があることなんてまったく頭に浮かばなかった。
彼女の返事を聞かないまま、竜珠を押し付けただけだったのだ。
でも今はイリーナが十年経って姿を現した本心がわからない。
地位が欲しくなったのか。それとも金目当てなのか。
そして。
竜珠ごと一生かけて手元に置いておきたいとさえ思っていた睡蓮のこと。
祝宴会場でクレールやオリバーと踊る彼女をまっすぐに見つめることが出来なかった。
もし、クレールたち以外の男性に笑顔を向けていたとしたら、すぐさまその場に赴いて後先考えずに彼女の手を取っていたことだろう。
それが彼女に対する気持ちなのか、一緒に居て心地よい竜珠の気配を独り占めしたいだけなのかはわからない。
昨晩、馬に乗って自分の屋敷へ帰る途中、彼女からにじみ出ていた竜珠の気配を辿るとはっきりとした怒りと悲しみの感情が伝わって来た。
当然だろう。母親の形見を手放さなければならなかったのだから。
しかし彼女の感情の波は、以前のようにすぐさま竜化に繋がるような振り切った感情ではなかったため、なんとか平静を保って居られた。
だが、その感情の元が自分であることをわかっていたため、胃に鉛が流し込まれるような錯覚に陥った。
「ヴァル。朝稽古の相手が終わったら執務室へ来い」
クレールが突然鍛錬場にやって来て声をかけてきたため、他の騎士は慌てて剣を下し、敬礼の型を取る。
ヴァレリーが汗をぬぐいながらゆっくりと振り返ると、心底不愉快そうな顔立ちのクレールが立っていた。
既に一人で十人以上相手をしていたヴァレリーは、今や役職もつかない騎士ではあるが、剣の腕は誰よりも強いため、一般の騎士たちの良い指南役になっていた。
一対一で本気で打ち込めば誰も勝てはしないが、十人が束になってようやく稽古になるというぐらい、実力差がある。
それでもヴァレリーは頭の中で昨日のイリーナとの会話や睡蓮のことを頭の中で考えながら、心ここにあらずといった感じで剣を受けていたのだった。
「……承知した」
*********
「さあて。昨日の報告を直に聞かせてもらおうか」
執務室に赴くと、ソファに沈むように座っていたクレールが、二日酔いに効くというハーブティーをすすりながら口を開いた。
ヴァレリーはクレールの向かいのソファにどかっと音を立てて座り込む。
それと同時にケイナが執務室へお茶を持ってやってきた。
「昨晩、彼女を見送った後、セドラーク宰相に、まだイリーナだと言う決定的な証拠がないうちは正妃候補として扱うことは軽率だと思うと報告した。今後、彼女が竜珠の花嫁を名乗るつもりでいるのなら、当分は側室扱いにさせてもらいたいと思っている」
「だがレンは正妃から格下げの側室候補のままなんだろう?」
「ああ、そのつもりだ」
ヴァレリーが間髪入れずに頷くと、クレールはため息をついて窓の外へ視線を投げた。
ヴァレリーの言い分だけ聞くと、レンにとってのメリットが全く見えない。窮屈で制約の多い、心ない噂話や態度を隠さない人間が多い王城での暮らし、自分と同じ立場の女性が城の離宮に住むのだ。いくら離宮が広いとはいえ、いつ相手と出くわすかわからないのでは、内心穏やかではないだろう。
ケイナはヴァレリーの前にお茶を出すと少し離れた場所で待機していた。
「彼女は国家機密を知りすぎてるからなあ。頃合いを見てあの夫婦の血縁者として一般人に戻してやりたいと思ってたんだが…」
「彼女はどこにもやらない! 俺の側にずっと居てもらう」
急に声を荒げたヴァレリーに、二日酔いで頭痛がする頭を押さえながらクレールは視線だけを動かした。
「おい、ヴァル…。それじゃレンが可哀想だろう。彼女の一生の問題にもつながるんだぞ?」
「ダメだ。絶対、彼女は手放さない。誰が何と言おうと」
…何かおかしい。
よくよく見ると、口調は冷静であっても目がどこを見ているのかわからない。まるで自分に言い聞かせているだけのようにも見える。
クレールはティーカップをテーブルに置き、ヴァレリーの視線を自分に合わせようと手を振ってみた。
「お…おい…? ヴァル?」
「家に帰りたいなんて言わせない」
視点の合わない顔でぶつぶつと呟いているヴァレリーの目が段々と人ではないものに変わっていく。
瞳孔が徐々に細くなっていき、空気がぱちぱちとはぜる音をたてはじめる。
「ケイナ! レンを連れて来い!」
クレールが大声で叫ぶと、ケイナは頷き、床に淡い緑色の文字と細かな模様が描かれた魔法陣を敷き、すぐにその中心に立ち姿を消した。
*********
「レン。緊急事態なの。今すぐ来て!」
睡蓮がバスルームから出てきた直後、自室の中に侍女服を着たケイナが立っていた。
執事や護衛騎士を通さずに、モンターク家の屋敷内に入って来るのはたやすいことではない。
それに今はまだ早朝と言える時間だった。
「え? どうやってここまで来たの?」
「詳しいことは後で話すから早く!」
ケイナが睡蓮の腕を掴み、素早く魔法陣を敷く。
「口を閉じておいて。舌を噛むわよ」
わけもわからずに突然目もくらみそうな光に包まれたかと思うと、かくんと軽く下に落ちるような感覚に陥った。まるで外が見える下りのエレベーターに乗っているかのように。
そう考えているうちに、眩しすぎる光が落ち着き、ようやく視界が戻ってくると目の前にはヴァレリーが床に片方のひざを立てて座り込んでいた。
表情は虚ろで、瞳孔が爬虫類のようになり、口が少し大きく裂け始めていたところだった。
「助かった! レン、何とかしてくれ!」
「ただちにこの部屋を封印します」
クレールの叫び声と、ケイナの冷静な声が聞こえたかと思うと、部屋の中の音が無音になった。
まるであの教会と同じだと思ったのもつかの間、どこかの誰かの仕事部屋の中には二人以外、誰もいなくなっていた。
「クレールさん…? ケイナ…?」
きょろきょろとあたりを見回すが、それほど広くはない執務室に人が隠れられるスペースはなかった。
目の前で座ったまま、フーフーと荒く肩で呼吸をしているヴァレリーは、睡蓮を認識しているような感じはなく、視線がどこか遠くへと行ってしまっていた。
床についた手は鉤爪のようになっていて、手の甲には鱗も見え始めている。
もう、私は竜珠を持ってないのに。
「…ヴァル?」
睡蓮は目線を同じにするべくしゃがみ込んで恐る恐る声をかけてみるが、何の反応も見られない。
以前、教会で触れ合っていると竜の気が落ち着くと言っていたのを思い出す。
ヴァレリーの左手にそっと手を添えて極力優しく声をかけた。
「今朝はどうかしたの? 私はもう怒ってもいないし泣いてもいないよ?」
睡蓮の声に反応して、細いままの瞳孔が睡蓮を見やる。
目が合ったと思った瞬間、睡蓮の手を荒く振り払う。
彼女の頭を両手で左右からわしづかみにし、ヴァレリーは噛みつくように強引に睡蓮の唇を奪った。
あまりの突然のことに睡蓮はびっくりして思わず離れようとするが、すぐさま片手で後ろから頭を固定し、もう片方は背中から体を固定され、身動きすることが出来ない。
元の世界で恋人同士のキスはもちろんしたことがある。だけれど、呼吸すらままならぬぐらいの強引で性急な、こんなに激しいキスは受けたことがなかった。
痛いほど舌を絡めとられ、何度も角度を変えてはむさぼるようにキスを繰り返すヴァレリーに、睡蓮はいつしか抵抗することをやめていた。
全然優しくもなんともない、感情をぶつけてくるだけの口づけ。
何かにすがりつくような、ちょっとでもバランスを崩したら危うい硝子の橋を渡るような感じ。
睡蓮はヴァレリーに対して抱いていた人物像が、表向きのものだとようやく気付いた。
何でもそつなくこなしてしまう出来すぎな王子様なんて、いるはずがないのだ。
竜珠は心の一部だと言っていた。
その心の一部を十年もなくしていたんだ。何かが欠けたり壊れていたりしても不思議じゃない。
隣国を滅ぼしたということは数えきれない人々の命をも奪ったと言うことだ。
いくら戦時下だったとしても、この国で英雄扱いされようとも、その罪悪感は一生消えないだろう。
この人の心はこんなにも柔くて脆い。




