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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 馬車の窓から外をそっと見やると、少し離れたところで馬に乗ったヴァレリーが並走している。

 靴擦れを起こして踊れなくなったのと、アビゲイルも帰りたがっていたのでちょうど良いタイミングとも言えた。

 クレールはまだ帰れないとのことで、帰る際の護衛にと気を利かせてヴァレリーをつけてくれたのだった。


 別に気を利かせてくれなくて良かったのにと内心思っていたが、屋敷まで来てもらえれば竜珠を早く渡せるし、その後はあまり会わずに済むということも頭にすばやく浮かんで納得した。


「あまり楽しげな顔じゃないな」

「楽しむというより気疲れしたよ。優良物件狙いのお嬢様にもちょっと言われたし」

「ああ、今日は三大優良物件と一緒にいたから目をつけられただろうな」


 楽しそうに笑うアビゲイルに睡蓮は冗談ぽく頬を膨らませる。


「他人事だと思って」

「次回の夜会ではヴァレリーの婚約者として発表するんだろう? なら別にいいじゃないか」


 アビゲイルはほんの概要しか知らされていない。すぐ近くをヴァレリーが並走しているから、恐らく馬車の中の会話は筒抜けになっているだろう。睡蓮はあいまいな笑顔を浮かべて頷いた。


「屋敷に着いたらヴァレリーさんをちょっとサロンに呼び止めておきたいんだけど、いいかな?」

「ああ、構わない。兄貴が帰ってくる前に帰らせないと、そのまま飲みに付き合わされるから気を付けるように言っておいてくれ。兄貴は家で飲むとしつこく絡んできてしょうがないんだ」

「うん、なるべく早く用事を済ませるから大丈夫だと思う」


 窓の外をちらりと見やると、ヴァレリーは承知したとばかりに頷いた。


 *********


「おかえりなさいませ、お嬢さま方」


 モンターク家の屋敷に馬車が到着すると、執事や侍女たちがずらりと並んで出迎えてくれる。

 侍女たちはこれからドレスの着替えと湯あみの手伝いをするために準備をしてくれているのだった。


「すみません、ヴァレリー様をサロンにお通しするので、お茶をお願いします」


 屋敷に仕える侍女たちにすみません、という声掛けは要らない、とミセスジョーンズに教わったが、夜遅くまで働いてくれる人に申し訳ない気持ちが起こるのは仕方ない。

 元いた世界では何事も自分でやる癖がついていたから、人に物を頼むのは人一倍気を遣うのだ。

 ましてやお嬢様と呼ばれる立場になったことがないのだから尚更だ。


「かしこまりました。カフェイン抜きのハーブティーでよろしいでしょうか?」

「そうですね、それでよろしくお願いします」


 侍女にお茶の手配をお願いしていると、遅れてヴァレリーが屋敷の中に入って来た。


「…今、竜珠を持ってくるからサロンで待ってて」

「あ、ああ…」


 少し戸惑った表情のヴァレリーに怪訝な顔を返しつつも、何も言わずに自分の部屋へと戻る。

 ドレスから普段のワンピースに着替えるために侍女に手伝ってもらい、髪もほどいて緩く編み直してもらう。

 編み直してもらっている間に、ゆっくりと鏡台の上に置いてあった硝子ポットに手を伸ばす。

 中に入れておいた竜珠を手に取ると、知らずに涙が込み上げてきた。

 お母さんの形見を、あの女性が身に着けることになるだなんて。そりゃ、元々はヴァルのものだったんだろうけど、私のお誕生日プレゼントにと遺してくれていたお母さんの気持ちや、私がそれを支えにして今まで生きてきたことも少しは考えてほしいよ。


「リリー様? いかがなさいました? 申し訳ありません。御髪が引っかかってしまいましたでしょうか?」


 侍女が手を止めて心配顔で睡蓮の顔を覗き込んでくる。

 声をかけられるまで自分勝手な考えをしていたことに気づき、頭を軽く振った。


「…ううん。大丈夫、ちょっと悲しいことを思い出しただけ。ありがとう」


 そう言ってアクセサリーを入れるビロードの空ケースに竜珠をしまい、サロンへと赴く。

 既にお茶が出されていたようで、ヴァレリーはティーカップを手にしてソファに座り、寛いでいるように見えた。


「お待たせ」

「お茶をありがとう。体が思っていたよりも冷えていたみたいだ」

「それは良かった。夜風はまだ冷たいからね」


 睡蓮は無言のまま、アクセサリーケースをカフェテーブルの上に置いた。


「ケースの中に竜珠を入れてあるよ。それで私は今度はこれから王城で側室の教育が始まるのかな」


 席に座らず立ったまま、そう告げる。言動が少し嫌味になってしまったと思いつつも、ヴァレリーの返事を待った。

 彼は祝宴会場で竜珠を返してほしいと言った後からずっと気落ちしたような顔だった。

 けれど睡蓮はその寂しげな表情に気づいてはいても、言ったほうが傷ついている顔をしないで欲しいと内心思っていた。

 ヴァレリーは黙ってアクセサリーケースを手に取り、ふたを開けて竜珠を確かめるとゆっくりと頷いた。


「…確かに受け取った」


 睡蓮は自分の発した質問に答えをもらえていなかったため、無言でヴァレリーの次の言葉を待っていた。

 何やら思案顔で竜珠を見つめているうちに、どんどんと顔が険しくなり、身に纏う雰囲気がピリピリしたものに変化していった。


「…睡蓮」


 ヴァレリーが険しい顔をしたままソファから立ち上がり、睡蓮に向かって一歩足を出した。

 睡蓮はびくりと体をすくませ、後ずさる。


「あ、ああ、いやすまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ、確かめさせてほしいんだが、いいだろうか」


 拒絶反応を見せた睡蓮に慌てて表情を和らげるが、見に纏う雰囲気はまだ緊張したものだった。


「何を?」


 質問をしたと同時に、ヴァレリーに二の腕をぎゅっと強く掴まれる。

 ものすごく痛いというわけではないけれど、軽く振り払えるほどではなかった。


「ヴァ、ヴァル!?」


 慌てふためく睡蓮とは裏腹に、ヴァレリーは真剣な表情で睡蓮を見下ろしていた。


「すまない。竜珠を返してくれというつもりはなかった。だが…」


 ヴァレリーの銀色の瞳が苦し気に細まる。


「…竜珠を持っていないのに、なぜ君から竜珠の気配がなくならないんだ?」

「……え?」


 自分では竜珠の気配というものがわからないため、どういうことなのか問いただそうとした時。


「おいおーい、うちでイチャイチャすんのやめてくんなーい?」


 後から一人で屋敷に帰って来たクレールが、玄関ホールからまっすぐサロンへとやってきた。


「いや、これはその…」

「クレールさん! 違いますから!」


 慌てて離れて弁解するも、クレールはいい、と手を振ってサロンのソファにどっかりと座り込んだ。


「それよかヴァル! あれ! 説明しろ!」

「明日、お前の酔いが醒めてから王城で伝える」


 暗に今ここで睡蓮の耳に入れたくないのだと意思表示をしているのが見え隠れして、睡蓮は少しもやっとしてしまう。


「俺は酔ってない」


 明らかにアルコールの匂いを漂わせているクレールの台詞は、酔っぱらいが酔ってないと言い張るそれにそっくりだった。


「酔ってる奴はみんなそう言う。早く休めよ。明日詳しく話してやるから」

「レンの前で説明しろ! なんでイリーナを正妃じゃなくて側室にするんだ! 一度に二人も側室を迎えるだなんておかしいだろ!」


 クレールの言葉に睡蓮は思わずヴァレリーの顔を見上げた。

 ヴァレリーはすぐに目をそらして気まずそうな顔のまま黙り込んでいる。


「え? 何…? どういうこと…?」

「今は言えない」


 ヴァレリーは竜珠の入ったアクセサリーケースを掴むと、足早にサロンを抜け、屋敷から出て行った。


「ヴァルのやーつ。逃げた…な…」


 ソファに横になりながら、クレールはもはや目も開けられない様子だった。


「ちきしょ、明日、吐かせてやるー…」


 そしてそのまますぅすぅと寝息を立てて眠ってしまった。

 しばらくして執事がサロンへとやってきて、数人の使用人と共にクレールを寝室へと連れて行った。

 迎えに来てくれた侍女に促され、睡蓮も自室へと戻ることになった。


 どうして、イリーナさんが見つかったというのに彼女が側室扱いになるの?

 竜珠の花嫁は正統なお妃候補になるんじゃなかったの?

 側室なら竜珠を持ってなくたっていいじゃない。私が今まで通り持っていたっておかしくないよね。

 どうして今、返してって言われなきゃいけないの?

 母の形見が手元から無くなったせいで、睡蓮の心の中はぐちゃぐちゃになっていた。


 ―――睡蓮。


 どこからか、いつかの子供の声が聞こえてきた。


 ―――どうか、落ち着いて。あなたの負の感情がヴァレリーに悪影響を及ぼすのはわかってるわよね。


「誰? この間から時々話しかけてくるのは!」


 ―――私はあなたよ、睡蓮。


「それ、わけわかんない! 何なの? 一体!」


 ―――ヴァレリーと貴女がしばらく離れていると私の声が届かなくなってしまうみたいね。さっきみたいに腕を掴まれた時に少しだけ繋がったみたいで声が届いたの。私は貴女であり、竜珠でもあるのよ。


「…竜珠?」


 ―――ヴァレリーのことを信じてあげて。彼は今、一番最善だということをしようとしているから。

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