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―――なんでここにお母さんが…?
睡蓮は思わずヴァレリーと一緒にいる女性を凝視してしまう。
「リリー殿?」
オリバーが少し強めに声をかけると、ヴァレリーが睡蓮の方へ顔を向けた。
それにつられるように赤金髪の女性もこちらへ顔を傾ける。
記憶に残っている母親よりも少し若いが、本当に瓜二つと言っていいほどそっくりだった。
子供の頃の記憶が蘇り、涙がこみあげてきて鼻がつんと痛くなる。
「ごめんなさい。オリバー様、早くダンスフロアの方へ行きましょう」
「あ、ああ…」
睡蓮はふいと顔を背けてオリバーを促した。
「…いちいち気にしない方がいい」
ゆっくりとステップを踏み出した後、オリバーが耳元でそっと告げる。
「……ありがとうございます」
ヴァレリーが自分以外の女性と二人きりで話していることに落ち込んでいると勘違いしているようだったが、違うと言うほど余裕がなかった。
けれど二曲続けてダンスを踊り続けていくうちにステップを間違えないよう足元に意識をしていたためか、いつの間にか少し気持ちが落ち着いてきた。
オリバーがダンスフロアから出るようにエスコートをしてくれ、ウェイターから水を受け取り、差し出してくれた。
「オリバー。次は私と踊れ」
アビゲイルが拗ねたような顔で待ち構えていた。オリバーが睡蓮に向ける笑みとは違う深い笑みになったのを見て、睡蓮はもしかしたら…と淡い期待をしてしまう。
「次は俺のエスコートだ。ちょっと話をしよう」
クレールがお皿におつまみを沢山乗せてやって来た。アビゲイルとオリバーは軽く一礼をしてダンスフロアへと歩いていく。
「空きっ腹のまま酒ばっか飲んでると倒れるからな」
クレールが片手を差し出して室内の隅にあるソファに睡蓮を促して座らせた。
すぐ近くに護衛騎士が立っていたが、クレールは離れるように指示をした。
真横にクレールが座ると、ヴァレリーとは違う柑橘系の香りが鼻をくすぐる。
「顔に笑顔を張り付けたまま聞け。ヴァレリーと一緒にいる女、見たろ?」
クレールは外面だけは笑顔を絶やさず、口元に食べ物を運びながらも声音は低かった。わざわざ人払いをさせたのはその話をするためだったのか、と睡蓮は頷きつつ、口元に扇子を当てた。
どこに唇を読むスパイがいるかわからないのだ。クレールは食べ物を食べるふりをして唇を読ませないようにしているのだと気づいた。
「お前、結構聡い奴だな。…腹減ってんだったらホントに食べていい」
「大丈夫です。シャンパン飲んだらお腹一杯になっちゃったから」
「今、本物かどうか品定めしてるところだ。お触れを出して以来、イリーナに関する情報は玉石混淆だった。その中でも特に信憑性のある彼女を最終候補にした」
「彼女がイリーナさん…」
「彼女に見覚えは?」
「似た人なら」
「いつ。どこで?」
「…最後に会ったのは13年前。病院で」
睡蓮は母親の最後の姿を思い出して笑顔が歪むのを感じていた。
「…触れることをお許しください。レディ」
クレールがそう言うと、そっと肩を抱かれた。クレールの肩に持たれるとオレンジの香りがふわりと漂う。
「辛いことを思い出させたようですまない。お前、今ものすごい顔で笑顔作ろうとしてたぞ」
「…ごめんなさい」
「あー、こんなことしてたらヴァルに半殺しにされそーだなー」
「あはっ、彼女が本物のイリーナさんならそんなことないですよ」
「…それもそうか」
少し体を起こしてちらりとヴァレリーのいる方角へ目を移す。
ヴァレリーは睡蓮のことなどお構いなしに赤金髪の女性と話をしているように見えた。
「…俺とダンスを何曲か踊ったら、今度は騎士団の野郎どもがダンスの申し込みをしてくる。そうなったら小声で良いからヴァルを呼べ。あいつは耳が良いからすぐに来てくれるはずだ」
「見ず知らずの人と踊らなくても大丈夫なの?」
「レンと踊った奴は、あとで使い物にならなくなるからな」
「?」
「知らなくていい」
クレールは話を切り上げ、睡蓮をダンスフロアに連れ出した。
「貴族の女性にも気をつけろ。絶対に牽制しにくる。モンターク家の深窓のお嬢様に優良物件を奪われてたまるかって野心満々のお嬢様ばかりだぞ」
「優良物件?」
「貴族は恋愛結婚はしない。家柄や役職で決めるからな。俺の家は公爵家で、オリバーは男爵家だが飛竜の騎士団長だ。どちらも貴族の娘を嫁がせて恥ずかしくない家柄と役職持ちだからな」
「ヴァレリーさんも?」
「あいつは別格。最近、騎士団内で降格したとはいえ、国の英雄でもあるし、大っぴらに公表していないが、知る人ぞ知る王の息子で、うまくいけば未来の王妃だ。水面下ではものすごい争奪戦だと聞いてる」
そこまで言ったクレールは言い過ぎたかな、という表情で睡蓮を見下ろした。睡蓮は張り付けていた嘘の笑顔をやめ、やんわりとほほ笑んだ。
「大丈夫です。私は期間限定の代理だから。彼女が本当にイリーナさんだと良いですね」
「…レン」
「クレールさん、私この曲のステップ知らないんです。リードしてくれませんか?」
睡蓮は早々に話を切り上げ、ダンスに集中することにした。
クレールも承知とばかりにダンスのリードをすることにしたのだった。
*********
「はじめまして。リリー様でよろしいでしょうか?」
クレールとダンスを一曲踊った後、慣れないステップで靴擦れを起こした睡蓮はソファで休むことにした。
クレールは騎士団長として色々とすることがあるらしく、すぐに離れて行ってしまった。
座った途端、数人の女性たちが目の前に立ちはだかる。
クレールが言っていたのはこれか…と、睡蓮はせっかく座ったばかりだったのにと思いつつも立ち上がった。
立ち上がると、自分よりも小柄な女性ばかりで見下ろすような形になる。
声をかけて来た女性たちも、自分たちよりも背の高い睡蓮に対して少しひるんだような態度を見せたが、すぐに体裁を整えた。
「はい、リリー・ド・モンタークと申します。諸事情によりデビュタントが遅くなりまして、皆さまに自己紹介をするのが遅れてしまいました。以後、お見知りおきを」
公爵家にゆかりのある出自という肩書きなのだからと、出来るだけ毅然とした態度で貴族の挨拶をする。
目線を床に落とすと、小さな声で、背が高いだけじゃない、というつぶやきが聞こえる。
顔を上げれば相手方は皆扇子を口元にやり、誰が発言したのかはわからない。
そのくらいの牽制なら可愛いものだ。
目の前に立っている一人の女性が口を開いた。
「ラウラ・ド・ヘカークと申しますわ。こちらこそお見知りおきを」
豊かな金髪に明るい水色の瞳の女性が勝気な表情で睡蓮を見上げていた。
名前と苗字の間にドが入るということは、モンターク家と同等の公爵家なのだろう。
「貴女、さきほど馬車から降りる時にヴァレリー様にエスコートされていましたわね。あの御方はクレール様のご友人ですからあまり勘違いなさらない方が身のためだと思いますわ」
もっと遠回しに攻撃してくるのかと思ったらドストレートな直球だったため、睡蓮は一瞬呆気に取られてしまうが、すぐさま営業スマイルを顔に張り付け直した。
「まあ、ご親切にお気遣いありがとうございます」
「ヴァレリー様は国の英雄ですし、何より、この国の要である竜騎士団の団長でもあらせられるお方よ。飛竜騎士団のオリバー様と両天秤にかけられるお方ではないわ」
さりげなく、男爵家出身のオリバーを見下す発言をするラウラに嫌悪を感じるが、それが貴族社会なのだろうと思うことにして、そんなことを微塵も顔に出さずに笑みを張り付けておく。
ヴァレリーが降格したことをまだ知らないということは、それほど情報通というわけでもなさそうだった。
「もちろん、心得ております。今日は初めてでしたので、クレールお兄様にお願いをして、一番最初はオリバー様にダンスのエスコートをしていただいていたのです。それにヴァレリー様は先ほどからずっと他の方と歓談されていますから、おそらく今日のエスコートを任されているのでしょうね。私もいつダンスのお相手をお願いできるやら」
扇子を口元に持っていき、目元に笑みを浮かべるとラウラは少し悔しそうな顔をしていた。
「ヴァレリー様のことをお慕いしている方は多いわ。今まで田舎に隠れていた貴女が思うより、ずっと強く想う方が」
そう言って、踵を返して離れていった。周りの取り巻きのような女性たちも眉を少しひそめてラウラの後に続いた。
ふぅ、とため息をついて再びソファに座りこむ。
あんな牽制なら可愛いものだ。もっとひどいのが来るのかと思っていたから拍子抜けしてしまう。
ふとヴァレリーの方を見やると、赤金髪の女性と祝宴会場の外へ出ていこうとするのが見えた。
祝宴を抜けてどこかへ行くんだろうか。
さっきはダンスを一曲お願いする、みたいなこと言ってたくせに。
二人の後ろ姿を見ていると、もやもやした感情が沸き起こってくる。
「ヴァレリーのばーか」
誰にも聞こえないくらいに小さな声で呟き、ウェイターが運んでいるシャンパンを一杯もらう。
勢いよく飲んでいると、ふいにシャンパングラスを取り上げられた。
「酒を水のように飲んでると貴族令嬢に見えないぞ」
見上げると、銀色の瞳を細めて睡蓮を見下ろしているヴァレリーがそこにいた。
「そして、馬鹿呼ばわりされる根拠はなんなんだろうな」
「え。聞こえてたの?」
「睡蓮の言葉ならどこに居たって聞こえるよ」
本当かどうかよくわからないことを呟いた後、睡蓮の隣に座ってヴァレリーはシャンパングラスをゆらゆらと揺らしながら遠くを見やる。
「…ごめんなさい。ところで、さっきの赤金髪の女性はお目当ての人だった?」
「クレールに聞いたか」
黙って頷くと、ヴァレリーは少し寂しそうな顔をして睡蓮を見やった。そして口を開いた。
「睡蓮。彼女はイリーナだった。竜珠を返してもらいたい」
その一言を聞いた時、睡蓮は以前、自分から返すと言った時にはなかった胸の痛みを感じた。
「…わ、かった」
それだけ返事をすると、言葉に詰まる。
これからは側室扱いされながら、元の世界に戻る方法を探すということになるんだろう。
さっきヴァレリーがイリーナさんと二人で話している姿を見ただけでもやっとしてしまったほどだ。
彼女が王妃として彼の隣に立つ姿を想像すると悲しくなる。
かと言って、自分が王妃になりたいというわけではないのだけれど。




