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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 もうすぐ意識が浮上しそうな頃、鳥のさえずりが聞こえてきた。ぱちりと目を開けて、何度か瞬きをする。目が覚めて一番最初に視界に入ってきたのはこげ茶色をした天井の梁だった。

 こげ茶色の梁に斜めになった屋根の形がそのまま見えていて、不揃いな木目すらも絵になる天井だった。

 睡蓮はいつ旅行に出かけたんだろうとぼんやりとした頭で考える。空気の匂いも家とは違う。


 寝返りを打つと、頭がずきりと痛んだ。後頭部を押さえながらゆっくりと上半身を起こす。

 窓へ目を向けると、白いペンキがところどころ剥げかけている木枠の窓辺に、ゼラニウムのような鉢植えが飾ってあるのが見えた。真正面には小さなアンティークのテーブルがあり、机の横には小さな木製のクローゼットと全身を映せるほどの大きな鏡が壁に掛けられている。


 ここはどこだろう。いつ移動したのか記憶がないまま着ているものを見下ろしてチェックする。見たことのない、麻のような生地の薄手のワンピース一枚しか身に着けていないことに気づき、胸元のペンダントに手をやろうとするも何もない。途端に心臓がバクバクと音をたてはじめる。


 落ち着いて。眠る前は何をしていたのか思い出さなくちゃ。


 ふと、高倉誠の顔が浮かび、身震いする。

 睡蓮は彼の腕を振り払おうとしてバランスを崩したことを思いだした。

 階段で頭を思い切り打ち付けたことは覚えている。けれどもその後の記憶がない。高倉誠が気を失った自分をどこかへ連れて来た可能性も否定できない。ものがなさ過ぎて生活感のあまりないこの部屋は、もしかしたら彼の別荘なのかもしれないし。

 だとしたら気づかれないうちに帰らないと。


 ベッドから飛び起きると勢いよくクローゼットの扉を開いた。クローゼットの中にはヨーロッパ風の民族衣装のようなドレスばかりで、シンプルなワンピースやジーンズの類が一枚も入っていなかった。

 仕方ない、とその中の一着に手を伸ばしかけたその時、ノックもなしに部屋の扉が開いた。


「あらあらまあまあ! 目が覚めた? 大丈夫? どっか痛いとこはない?」


 ドアの向こうには、恰幅の良い赤毛の中年女性がミルクがゆのような食事を手にして立っていたのだった。


「…え、え、まぁ…」


 睡蓮は、勢いに押されて曖昧に頷いた。


「あんたの着ていた服は洗濯してるよ。泥だらけだったからね」


 その女性はお構いなしに睡蓮の横をすり抜け、小さなテーブルにお盆を置くと、どっかりと小さな椅子に腰かけた。


「さてと。下着姿のままでなんだけど、話をしようじゃないの」


 無言でベッドを指さされ、睡蓮はのろのろととベッドへ腰かけた。


「まず、あんたの名前は? あたしゃダフネと言うのさ」


 睡蓮は自分の耳を引っ張ってみた。さっきから耳がおかしい。

 テレビで外国人が母国語を話している上に日本語が被っている翻訳の仕方で聞こえるのだ。

 つまり、日本語と聞いたことのない言語が二つ同時に聞こえてきて、理解できる日本語の方が言葉として脳に伝わってくるという感じ。


「ん? 耳がどうかしたかい?」


 ダフネと名乗った女性が心配げに見つめてくる。

 改めて大丈夫だと言おうとした時、ダフネの目の色が深い緑色をしていることに気づいた。

 懐かしい、母と同じ深い緑色の瞳だった。


「いえ、なんでも…。私は萩野睡蓮と言います」


「ハギー…オスーレ…?」


 ダフネが首をかしげて、妙な発音で繰り返した。それを見て、外国人には発音しにくい名前なのかと思い、睡蓮は言い直した。


「私の名前はちょっと発音しにくいので、レンと呼んでください」


「そうかい、じゃあレンと呼ばせてもらうとするよ。あんたは昨夜裏山で倒れてるところを、うちの旦那が見つけて連れて帰ってきたんだ。そのままじゃ山の獣に食べられてしまうからね。あ、そうそう。竜珠があったからさっき旦那が役所に持っていったよ」


「もしかして私のペンダントですか!?」


 睡蓮は身を乗り出して大声を出した。その顔が切羽詰まっていたのだろう、ダフネは苦笑して説明してくれた。


「そんなに興奮しないで。竜珠をもってるってことは、どこかの竜騎士様の許嫁なんだろうさ。役所から該当する竜騎士のいる騎士団にすぐに連絡がいくから、迎えが来るまで家に泊まっていったらいいよ」


 ダフネの言う事はわからないことだらけだった。

 竜珠? 竜騎士? 許嫁? 騎士団?

 そもそも、言語が重なって聞こえることすらおかしいのに、自分の発した言葉はダフネに普通に通じているのがおかしい。


 考え込んでいる睡蓮を見て、ダフネは遠慮しているのと勘違いしたらしい。


「これは娘の服なんだけど…とりあえずこれに着替えて食事しなさいな。もう少しで旦那も何か情報をもって帰ってくるだろうし」


 クローゼットの中から民族衣装のようなドレスを取り出し、半ば押し付けられるように渡された。


 いつもシンプルなデザインのものしか着ていなかったし、背が175センチあるのでほぼジーンズやパンツスーツで過ごしてきたのだ。

 今更可愛いドレスなんて…。


 や、ちょっと着てもいいかな…なんて思ったりもしてるんだけど。


 そんな睡蓮の心中のことなどお構いなく、ダフネは革の室内履きとドレスを用意して部屋から出て行った。

 睡蓮は渡されたドレスを見つめ、それからダフネが持ってきてくれた朝食を見て、ふぅ、とため息をついた。



 ダフネの持ってきてくれたミルクがゆは、昔、母が作ってくれた味とそっくりだった。それだけで、食べながら涙が出そうになる。

 急いで食事を終え、着慣れないドレスを羽織ってみた。

 着てみると、見た目ほどごてごてしてるわけでもなく見ようによってはワンピースのようにも見える。バブーシュのような室内履きと合わせると、どこか海外旅行に来たような気にさえなるのが不思議だ。


 食べ終えたお皿をお盆に載せ、階下へ降りていく。階段を下りるとすぐにリビングダイニングになっていた。

 細かい模様の入った赤茶色の絨毯が一面に敷き詰められていて壁際は全面ソファになっている。端の方にテーブルがあり、そこには背中を向けて座っている男性と、その向かいに座っていたダフネが居た。


「ごちそうさま、ミルクがゆ美味しかったです」


 睡蓮が声をかけると、大柄な初老の男性が振り返った。短く刈り込んだ薄茶色の髪に、薄茶色の瞳。優し気な雰囲気の人だった。


「服、ちょうどよかったみたいね、良かったわ。似合ってるわよ」


「アルマンドだ。具合はどうだい? よく眠れたかな?」


 立ち上がって睡蓮に向かって手を差し出した。見上げるほどに背の高い人だった。柔和な顔立ちで笑顔が優しい。何となくダフネにいつも尻に敷かれていそうな感じ。

 睡蓮はそう思いながら、おずおずと手を差し出した。



 三人で話す場所をソファに移し、ダフネがお茶を入れてくれた。赤くて甘酸っぱいお茶だった。


「それでだ。早速だが、竜珠の件で役所へ行ってみたんだが、残念ながら該当する竜騎士はいないそうだ」


 心底残念そうな顔つきのまま、アルマンドが睡蓮に黒真珠のペンダントを返してくれた。


「黒の竜珠なんて珍しいからすぐに見つかるだろうと思ったんだけど…」


 ダフネもがっかりしたような顔でため息をつく。


「もしかしてあの竜騎士様かと思ったんだが、どうも違うらしい」

「黒騎士様でしょう? 年頃も合うし、あたしも実はそうじゃないかって思ってたところだったんだよ」

「それにあの騎士様なら、逆に捜索願いが出されていてもおかしくない」


 二人の会話が全く見えてこなくて睡蓮は混乱してしまった。

 さっき、一人で食事をしながら考えていた、あくまで仮定としての話。


 もしかしなくても、ここは異世界という場所なのかもしれない。


 パスポートもなしに海外へ行けるわけもないし、そもそも、自分が日本語を話しているのに、ちゃんと通じているところもおかしい。


 でもここでいきなり自分は異世界からやってきましたなんて言えない。

 そこで記憶喪失のふりをしていた方が良いかもしれないと思いついた。その方が気軽に質問出来るし、この世界の情報を仕入れやすい。


「あ、あの…私、さっきからずっと…いろいろと思い出そうとしていたんですが…」


 ダフネとアルマンドが見つめる中、睡蓮はうまく嘘をつけるか心配だったけど、記憶喪失のふりをすることに決めた。


「私、自分の名前以外、記憶がないみたいなんです」


 そう言った直後のダフネの泣きそうな顔を見て、ついごめんなさい、嘘ですと言いたくなるほど良心の呵責に苛まされそうになったが、ここはぐっと堪えることにした。




 記憶喪失だと告白してからダフネたちの行動は早かった。


 アルマンドが本棚から地図を引っ張り出してきて広げて見せてくれた。

 今、自分たちは大陸の北側にあるツェベレシカ王国の王都の外れにいるのだと知らされた。


 ツェベレシカ王国。


 やっぱりというか、聞いたことのない国名だった。

 地図には地名らしい文字が書かれていたが、一つも読めない。

 そのことを伝えると、ダフネは移民向けの語学学校の手配をすると腕まくりをしはじめた。

 さすがにそこまでお世話になることはできないと辞退しようとすると、ダフネが懐かしむような顔でぽつりと言った。

 自分の娘が亡くなったときの年齢が、今の私と同じぐらいだったと。


「レンの髪や瞳が旦那と似ているから、つい娘みたいに思っちゃってね…」


 そんなことを言われた後、頑なに辞退し続けることもないかと、ありがたく好意を受けることにした。


 そして。


 睡蓮の持っていた黒真珠のペンダントは一般に竜珠と呼ばれ、竜騎士がプロポーズをする時に女性に渡すものだと教えてもらった。

 その竜珠は騎士団によって刻印され、竜騎士の妻としての身分証明にもなるらしく、役所に行けばどこの所属の竜騎士の物かすぐにわかるようなシステムになっているのだという。


 この国では真珠を婚約指輪のように扱っているんだなとぼんやり思う。

 睡蓮にとっては母の形見で、睡蓮自身が誰かからプロポーズされたなどというロマンチックな代物ではないけど、いつか自分にもプロポーズしてくれる人が出てくるんだろうかとふと考える。

 男性恐怖症を克服できていない自分には、全く想像つかない未来だったけれど。


 その時、突然家の外からトランペットのような音が鳴り響いてきた。


「噂をすれば竜騎士団のお帰りだ。レン、大通りに行ってみて来ようか。黒騎士様もお通りになる。何かを思い出すかもしれないよ」




 ダフネに連れられて、家から数ブロック先の大通りへやってきた。既に大勢の人々が人待ち顔で通りの先を見つめている。

 世界地図でみたツェベレシカ王国は、大陸勢力分布図で言うと大国に入るが、四方を他国に囲まれている。そのため、国境付近の辺境地区では他国との小競り合いが後を絶たない。

 平和な日本で育った睡蓮にはピンと来ないが、大通りを見守る人たちの中には不安げな顔立ちをする人々も多かった。


 やがて、遠くに国旗を持つ先陣の騎兵隊が見えてきた。

 徐々に石畳の上を歩く蹄の音が響いてくると、いつか神社で行われた流鏑馬を見に行った時のことを思い出した。

 ダフネの言う黒騎士と呼ばれる男は、10年前にあった大戦でわずか18歳だったにも関わらず、最後にはたった一人で相手国を倒し、唯一生還した人物なのだという。


 ヴァレリー・リブターク。


 それが黒騎士の名前だった。

 この国では知らない人がいないと言われるほどの英雄らしかった。

 そんな話を聞いて、睡蓮は騎兵隊がほんの目の前のすぐ近くに来るまで、馬に乗った騎士様ってさぞやかっこいいんだろうな、などと安易に考えていた。


 予想に反して、目の前を馬に乗ってゆっくりと通り過ぎていく騎士たちは表情も虚ろで体は傷だらけだった。泥や血のようなもので汚れたままの鎧を身に着け、それはもう死臭を漂わせた亡霊のように陰鬱な雰囲気を醸し出したまま城へと向かう。その姿に思わず口を押えてしまうほどだった。


 ふいに、強い視線を感じてその方角へ顔を向けると、その中でもひときわ黒い鎧を付けた騎士がいた。

 睡蓮は胸がざわつくのを感じたが、顔をそむけることが出来なかった。

 馬に乗った黒髪の騎士が段々と近づいてきた。馬上から銀色の冷たい瞳が見下ろしている。

 睡蓮の目の前を騎士が通り過ぎようとした時、時間が止まったかのような感覚に陥った。

 呼吸をするのも忘れて騎士の顔を見上げた。

 騎士の顔は前を向いていたけれど、視線は睡蓮をとらえていた。

 その瞳には、怒りの表情が見て取れた。


 …どうして?


 心細くなって思わず黒真珠のペンダントに手をやると、ほんの少しピリッと静電気のようなものを感じる。

 そして、ゆっくりと周りの音が戻ってきたと思ったら、騎士は睡蓮の方など振り向かずにそのまま城がある方へとゆっくりと去っていった。


「顔色が悪いけど…、大丈夫?」


 黒騎士に会えば、もしかしたら向こうから声をかけられるかもしれないと思っていたダフネは、顔色の悪くなった睡蓮を気遣い、質問するのをやめた。


「いえ…何も。ごめんなさい」


 騎士団の列が王都へと去っていった後、大通りに集まっていた人々は次第に四方へ散らばっていった。

 記憶喪失自体が嘘なのだから、思い出すことも何もあるわけない。


 ただ、今まであんな目をする人に出会ったことがなかった。

 なぜ、あの人はあんなに自分のことを睨みつけていたんだろう。

 初めて会ったというのに。

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