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カチャ、カチャと何か金属が小さくぶつかり合う音が聞こえてくる。
うっすらと目を開けると、天蓋付きのベッドの天井が見え、周りを見渡すと内装の豪華な広い部屋にいた。
あ。そうか。私、お城に引っ越してきたんだっけ。
睡蓮は何度か瞬きをする。昨日だいぶ泣いたから瞼が思い切り腫れているのが瞬きだけでわかる。
心なしか、喉も痛い。
城の中は一日中暖房が切れることはないけれど、加湿にはあまり気を配っていないようだった。
「今日……会いたくないな」
「誰に会いたくないだって?」
「えぇっ?」
突然、声をかけられ、思わず背後にあった枕を手前に抱き寄せて体を強張らせる。
見ると、ソファに誰かが座っていたようだった。こちらからは後ろ姿しか見えない。
長い金髪で髪を一つにまとめた人の影があった。その後ろ姿には見覚えがあった。
「……クレールさん……?」
いくらなんでも寝ている女性の部屋に無断で入ってくるなんて、あり得ない。
その人はすっくと立ちあがり、無駄のない動きでくるりとこちらへ体を向き直ると、スタスタとベッドサイドまでやってきた。
「寝起きのところ、失礼。私はアビゲイル・ド・モンターク。アビーと呼んでくれ。クレールは私の兄貴だ」
アビゲイルと名乗ったその人は、金髪にサファイアの瞳を持つ、非常にキレイで端正な顔立ちをしているのだけれど、一見、男性なのか女性なのかわからなかった。
というのも、女性が着るような服ではなく、ラフなシャツに腰には帯剣をし、ジョッキーパンツのようなズボンにブーツを履いていたからだった。
そして、物騒なことに片手には飛び出しナイフを持ち、それをさっきからずっと出したり引っ込めたりしているのだった。
「レン。貴女に早く会いたくて、こちらから出向いてみた。朝稽古が終わった後ならいいかと思ったんだが、貴女は朝が遅いんだな。早く支度をして朝食を一緒に取ろう」
訳も分からないまま、支度を促される。
戸惑いつつも支度をしていると、バタンと扉を勢いよく開けてケイナがワゴンを押しながら入ってきた。
「失礼します。アビゲイル様。レンと朝食をお取りになりたいのでしたら、この部屋でお願いします」
てきぱきとした動作で料理をどんどんとテーブルの上に並べていく。一人分の朝食という量をとうに超えていた。
「なんだ。これから騎士団の食堂に連れて行こうと思ったのに」
「なりません。それからナイフは危険ですのでお納めくださいませ」
ピシャリ、とケイナはそう言い放つとジュースをコップに注ぎいれた。アビゲイルは口を尖らせながら、剥き出しになっているままのナイフを空中に放り投げてはキャッチをするという大道芸人のような技を披露していた。
それを見たケイナも二の句を告げずに額に手をやり、ため息をつきながら睡蓮に話しかける。
「レン。あなたひどい顔してるわ。顔洗って来たら?」
「うん。そうする」
バスルームに行き、鏡を見るとケイナの言う通り、瞼が腫れてひどい顔をしていた。
「……ひどい顔」
ぽつりと呟いた声は思いがけずバスルームに響いた。睡蓮は慌てて顔を洗い、濡れてしまった髪をタオルで拭く。
―――あの後。
ヴァレリーはやっぱり顔を見られたくないのか、距離を取って接していた。
何か話す話題をと思って手に取った新聞には、イリーナに対する懸賞金についての記載があった。何の情報でもいいからイリーナに関するものならお金を出すというものらしい。
お金が欲しいだけの人間が大挙してやってきそうだが、中には本物の情報があるかもしれない。
ヴァレリーは表面上あまり期待していないようだったけれど、でもやっぱり竜珠を渡した女性なのだから会いたいんだろうなとは思う。
「イリーナさん、見つかるといいね」
ヴァレリーは少しの間考えている様子だったが、やがて口を開いた。
「竜珠を渡したけど、振られたようなものだ。今更名乗り出てくるとは思えないけど会いたい」
「……ふぅん」
普通に言ったつもりが、意外なほど低い声になってしまった。
「睡蓮。君が婚約者じゃなくなったとしても城にずっと居て構わないと思ってる」
「え?」
城に居て構わないとはどんな意味で言っているんだろう。
怪訝な顔をして無言のままヴァレリーの次の言葉を待っていると。
「身分は保証する。……その……側室…という形になるだろうけど……」
ヴァレリーは言い淀んではいたが、あろうことかイリーナが見つかった後は側室という身分で城にいたらいいと言い放った。
その言葉を聞いた時、鳥肌が立った。
もしかすると、初めてこの人に怒りにも似た感情が芽生えたかもしれない瞬間だった。
そんな剣呑な雰囲気を察したのか、ヴァレリーは帰り際、普通にお休みと言っただけだった。
いつもと違う顔立ちでも寂しげな表情というのは雰囲気でわかる。
ほだされるもんか、と思い、睡蓮もお休みとしか告げずに部屋に戻ってきたのだった。
―――そんなにイライラしないで。
頭の中に小さな女の子のような声が響いた。この声はどこから聞こえてくるんだろう。
「誰なの?」
―――鏡の前にいるよ、睡蓮。
鏡を見ても、自分しか写っていない。誰か他の人が写り込んでいてもそれはそれで怖い。
―――昨日のあいつの失言、許してあげてよ。睡蓮を手放したくないだけなんだからさ。
よく見ると、鏡の自分の口が動いていた。
「手放したくない?」
睡蓮が質問するとその声はもう何も答えなくなった。
*********
バスルームを出ると、アビゲイルが既に朝食を食べているところだった。
「遅いな。食べるものなくなるぞ?」
「……」
ものすごいスピードで料理が減っていく。丸ごとのリンゴに先ほどのナイフが突き刺さったまま、テーブルの上に置いてあるのがシュールだった。
「お昼にヴァレリーのとこ行くまでは自由時間なんだろ? だったら一緒にドレスを新調しないか。その後、私の愛馬ダグラスを紹介したい」
声は女性なのに、顔がクレールさんを幼くしたような感じなので、ものすごく違和感を覚える。
「ドレスかぁ……」
「兄貴から夜会デビューの話、聞いてるだろう? 何が悲しくてドレス着てオホホなんて笑ってなきゃいけないんだ。私はナイフ投げ飛ばしたり、馬に乗ってる方が楽しいのに」
「貴族なら当然のことです」
ケイナがお茶を入れながらピシャリと言い放つ。
「厳しいな、ケイナ。まぁいい。ドレスの仕立て屋が城に来てるから行こう。兄貴も店で待ってくれているから」
マイペースなアビゲイルに引っ張られるように連れだされて城内の出張店舗へと向かった。
城内の出張店舗までやってくると、クレールが既に待ち構えていた。
アビゲイルと同じように長い金髪を一つに結わえているものだから、双子のように見えてしまう。
「お、来たな。アビーが朝から無理言って悪かったな」
クレールが苦笑しながら睡蓮に話しかけてくる。視線が目の辺りに集中していて、睡蓮の瞼の腫れ具合に気づいていたようだったが、あえてそこには何も触れないでいてくれたようだった。
「い、いえ。大丈夫です」
「レンと一緒に夜会に行くって決めたからな」
「お前ね、その言葉遣い、いい加減直しなさいよ?」
「兄貴のしゃべり方を真似てたらこうなったんだから、兄貴が責任取れ」
「いいからいいから。早くサイズ計ってもらえ」
微笑ましい兄妹の会話もそこそこに、睡蓮も奥の部屋に連れていかれ、数名の女性に囲まれ体のいろんな場所の寸法を測られる。
「まぁー手足がとても長いんですのね! でしたらそれを強調するドレスなんていかがでしょう! ミニのドレスも斬新ですわよ?」
「ええっ!? 普通で良いです、普通で!」
「それでは瞳の色に合わせてゴールド系のドレスに仕立てましょうか?」
アクセサリーもとっかえひっかえ胸元にあてられ、ドレスとの相性をデザイナーの女性が考えていく。
アビゲイルもへとへとになってはいたが、やはり女の子なんだろうか。当初よりは楽しげだった。
いろんなデザインのドレスが提案され、それに合うアクセサリーや靴も何種類かテーブルの上に並べられている。
自分が受け取ったお小遣いから買えるアクセサリーは…と値札のついてないシンプルなものを指して、値段を聞こうとすると。
「気に入ったんだったら全部頂こう。後でモンターク家に請求書をよろしく頼む」
と、クレールがさらりと言いのけたのだった。
*********
「クレールさん! さっきのドレス代」
「ああ、いいよ。全部うちで出すから気にしないでくれ」
「いえ、そういうわけには!」
「そうだ、レン。うちの子になるなら気兼ねなく使っていいんだ」
「レンのおかげでアビーが夜会に出席するって言ってくれただけでも、うちとしては万々歳なんだよ、気にすんなって」
「はぁ」
クレールはドレス代金を精算すると、仕事があるからとすぐに立ち去ってしまった。
この後はアビゲイルの愛馬を見せてもらう約束だったので、厩舎へと向かう。
馬を見たら、もやもやした気持ちが少しは晴れるかなと思いながら歩いていく。
「そういえば、レン。今朝、会いたくないって呟いてたな。ケンカでもしたのか?」
少し前を歩いていたアビゲイルが振り返りながら話しかけてきた。
今、一番触れられたくない話題だったし、彼女がほんの一言の呟きを覚えていたことにも少し驚いた。
「ケンカなんてしてないよ」
「ヴァレリーは時々いろいろとやらかすが、いい奴だ。騎士団長としても私は尊敬している」
「お兄さんと同じこと言うんだね」
アビゲイルは大人びた笑顔を見せながら建物の角を曲がった。
大きな厩舎が見え、中から馬のいななきが聞こえてきた。
厩舎の奥には栗毛の大きな馬がいた。たてがみと尾が金髪でなかなか派手な馬だった。
アビゲイルが懐から角砂糖を取り出して馬に差し出すと、喜んで食べている。
他の馬たちも首を出して物欲しそうにアビゲイルの方を見つめていた。
「アビーだったか! ヴァレリー殿が来ているのかと思った」
突然、厩舎の中に大きな声が響いた。睡蓮はびくりと体を震わせ、思わずアビゲイルの背後に体を寄せた。
振り返ると、つなぎの作業服を着た大柄な青年がこちらへ大股で歩いてくるところだった。
「オリバー。飛竜の巣にいたのか?」
「ああ、飛竜たちがいらついてるって報告を受けたから見に来たんだ。ところで隣の彼女は? ここは関係者しか入れない場所だけど」
顔は笑顔のままなのに、声が暗にアビゲイルを責めているように聞こえて睡蓮は身がすくむ思いだった。
オリバーと呼ばれた男は自分に自信がある男なのだろう。ちらっと顔を見上げると、射貫かれるような目で見つめ返された。
「すまない。私の遠縁の人間でレンという。レン、彼はオリバー。飛竜騎士団の団長をしている」
「オリバー・ノアークだ。よろしく」
空軍と陸軍の違いみたいなものだろうか、と考えていると、分厚い革の手袋を外して握手をしようと手を伸ばしてくる。
すぐさまアビゲイルにばしっと手を叩かれてしまったけれど。
「そんな臭い手を出すな」
「ごめんごめん。気づかなくて」
オリバーは自分の手のにおいを改めて嗅ぎ、うっと顔をしかめる。革の手袋をポケットに入れてすぐそばの蛇口から水を出し、手を洗いだした。
その時、お昼を知らせる鐘が鳴りだした。
「もうこんな時間か。お昼に行こう、レン。じゃあまたな、オリバー」
アビゲイルが睡蓮を促し、厩舎を後にしようとする。睡蓮もまた申し訳程度に会釈をしてその場を立ち去ろうとした。
「レンとやら。今度は時間のある時にでもぜひ話したい」
笑顔なのに威圧感があって身がすくむような雰囲気を持つ彼に、レンは返事をせずにアビゲイルの後を追った。




