14
城内の厨房は王族や貴族専用と使用人用とに分かれていて、ヴァレリー用の昼食は貴族用の厨房で作ってもらっている。
今日も昼食が出来上がるのを厨房の片隅で絵本を読みながら待っていると、クレールがやってきた。
「レン。ちょっと話があるんだがいいか?」
クレールは厨房の中に置いてあるリンゴを手に取り、がぶりとかぶりついた。
使用人が見ていない隙を見計らって手に入れるあたり、常習犯ともいえる手つきだった。
「お前、ウチに養子縁組するんだってな」
初対面の時の礼儀正しい口調とは打って変わって、やけに口が悪い。王から竜珠を返してもらった時も気に入らないようだったけれど、養子縁組の話も気に入らないんだろう。
「耳に入るのが早いですね」
睡蓮も厨房に来る前、ケイナから伝えられたばかりだった。
ケイナとはあの後、事務的な会話しかしていない。
この世界で頼りになる友人が出来て嬉しかった半面、自分に近づいてきた理由が純粋な友情ではないことに気づかされて複雑な気持ちになっている。
もう少し時間が経ったら普通に話せるようになるのか、それともずっとこのままなのかはわからない。
「俺の妹が今度夜会デビューするから、それに合わせて遠縁の娘もお披露目するって形にするんだろう。我が家はツェベレシカ建国時から代々王家に仕えている旧貴族だしな」
「旧貴族?」
「ん? …ああ、貴族の見分け方がわからないなら教えてやるよ。俺みたいに名前と苗字の間にドが入る人間は旧貴族。先祖代々歴史がある家系のことを言う。入らなくても苗字にアークという単語が語尾に着けば新貴族。こちらは古くても三世代前に爵位を陛下から賜った奴らさ。ちなみにヴァルの家は新貴族な」
「ああ…だから苗字が似たような人ばかりなんですね。そういやクレールさん、妹さんがいるんですか?」
「ああ、今度16歳になる。レン、お前は?」
「私ですか? 23です」
クレールが思わずぶっとリンゴを吹き出す。こっちにリンゴのカスがはねてこなくて良かったとほっとする。
「…はぁ!? 俺と5歳しか変わんねーのか? よし、今度家に引っ越して来たらヴァルの好みを細かく教えてやる」
口の悪い端正な顔立ちの美青年がにやっと笑う。睡蓮は嫌われているとばかり思っていたので少し面食らった。
ちょうどその時、厨房から侍女が二人分の昼食をバスケットに入れて持ってきた。
「レン様。先ほどお持ちいただいたものも、一緒に詰めておきましたよ」
「ありがとうございます。助かります」
クレールが当然のごとくそのバスケットを持ち、教会の方へと歩き出す。
睡蓮も慌てて彼の後を追った。
「クレールさんは私のこと嫌ってるんじゃなかったんですか?」
「嫌う? なんでさ」
「食堂で竜珠を返してもらった時、睨んでたじゃないですか」
「あー、あのこと? あれは…」
そこで一旦クレールは口を閉ざした。
「?」
「…ま、いいや。妹のアビゲイルもレンが家に来るの待ち遠しいって言ってたから、なるべく早く引っ越せるよう部屋の準備を急がないとな」
教会の建物の前までバスケットを持って一緒に来てくれたのは心強かった。毎度ここの重装備の兵士たちに会うのは緊張するのだ。剣を持っているからというだけじゃなく、何か嫌悪感を抱かせるものを持っているような感じがする。
礼もそこそこに素早く建物の中に滑り込もうとすると、クレールも一緒に入ってきた。
扉が閉じられると静けさが降りてくる。
「ようやく本音で話せる場所にこれたな」
「え?」
「ここなら狸ジジイの耳に入らないだろうからさ」
クレールはゆっくりと歩き出す。話が長くなるのを見越してのことかもしれなかった。
「なぁ、ヴァルからプロポーズされたのっていつ?」
睡蓮は咄嗟にうまい嘘をつけずにクレールを見つめ返すだけだった。
「…やっぱりな」
確信をついたという顔で、うなずいた。
「おれはある仮説を立てた。竜珠を渡した事実がないのにヴァルにレンという婚約者が存在する。しかし極秘にイリーナ探しも任命された。なぜだと思う? あんた、ほんとはヴァルの婚約者じゃねーよな。何かの事情でヴァルの婚約者の振りをすることになっただけ。正妃になるはずのイリーナが見つかるまでの間の替え玉だ。そうだろ? あの時、王が竜珠を返したろ? 俺はあんたが竜珠を持って国外逃亡しやしないかヒヤヒヤしてたんだよ」
クレールのサファイアのような深いブルーの瞳が、睡蓮の心を見透かすように見つめていた。
「俺が救出に向かった日、ヴァルは変化する途中の恐ろしい形相だったにも関わらず、俺に助けを求めてきた。その気になれば森に隠れて元の姿に戻るまでやり過ごせたのに。あんたのこと、婚約者だから助けに行ってやってくれって必死でさ。城内をあの顔で歩き回ったんだ。真相を知らない奴らが噂しまくってる。ヴァレリーは化け物だってね」
その時のことを想像して、言葉に詰まる。どれだけ私なんかに心を割いてくれていたんだろうと今更ながらに心が痛む。
クレールの独白は続いた。長い廊下があともう少しで終わる。
「正妃の替え玉させられるのは正直、今後のあんたの結婚に差しさわりが出てくるかもしれないけどさ。あいつ、背負ってるものが重すぎて見ててしんどいくらいなんだ。替え玉してる間はあいつのこと、ちゃんと見てやってくれないかな」
クレールの言いたいことは核心をついていて、心の底から友のことを心配しているのが伝わってきた。睡蓮は力強く頷いた。
「クレールさん。ありがとう。話してくれて。言いたいことは十分伝わったよ」
扉の前でバスケットを受け取る。ドアノブに手をかけると扉はすんなりと開いた。
クレールに小さく手を振り、パタンとドアを閉めた。
今日は言葉が通じるだろうか。まだティラノザウルスの格好なんだろうか。
ティラノザウルスの姿も、長く一緒にいると意外とお茶目な感じで可愛く思えるから不思議だった。
―――昔、頻繁に母と一緒に恐竜博物館に通っていたことを思い出す。
母は博物館の恐竜の化石や模型を見て、いつもきゃあきゃあ喜んでいたっけ。
ティラノザウルスのぬいぐるみを買った時には「私の可愛いジャバウォックちゃん」と歌を歌っていたくらい。
おかげでヴァレリーの竜の姿を見ても、怖かったのは最初だけだった。
「こんにちは」
声をかけながら中へ入ると、ヴァレリーは人の姿に戻っていた。
こちらに背を向けて、ベッドの端に腰かけて窓の外を見つめていた。
「どうしたの?」
睡蓮が声をかけると、ヴァレリーは今気づいたといった風に立ち上がり、睡蓮からバスケットを受け取った。
「来てくれてありがとう。今日の昼食は何かな」
同時翻訳とは違う、自分で言葉を勉強したからこそわかる、ヴァレリーの生の声が聞こえてくる。
竜の時の声とは少し違い、低めの通る声だった。電話口や耳元で聞いたら、ほとんどの女性がうっとりしそうな魅力のある声に聞こえることだろう。
睡蓮はちゃんと話が出来ることにうれしくなって、バスケットから昼食を取り出しはじめた。
「バスケットに入れられるものしか持ってこれないから…サンドイッチと…こっちははちみつのパン」
今日は午前中、ダフネとアルマンドに教えてもらいながら、ヴァレリーのためにはちみつを練り込んだパンを焼いたのだった。
助けてもらったお礼を、しっかりと伝えきれていないと思っていたから感謝の気持ちも込めて持ってきた。
「はちみつのパン? 珍しいな。食べたことないぞ」
水筒からお茶を出してヴァレリーに差し出すと、彼ははちみつパンを先に口にした。
「…どう?」
「うん、甘くておいしい。これは睡蓮が作ったんだろう?」
「なんでわかったの?」
「なんとなく。料理できるのかい?」
「一人暮らしが長いから、一通りは出来るよ。今朝パン焼いたのは助けてくれたお礼をもっとちゃんと言いたくて…」
「一人暮らし? ご両親は?」
ヴァレリーは睡蓮の言葉を遮って質問を投げかける。
「えと…二人とももう亡くなってる、よ」
「ふぅん」
ヴァレリーは何かを考えているような顔で睡蓮を見下ろしていた。
「…?」
昨日とは打って変わって、何かヴァレリーの周りに薄い壁が出来ているような感じを受ける。どことなく、居心地の悪い視線だった。
「…記憶喪失は嘘?」
ヴァレリーの瞳が鋭くなり、睡蓮をまっすぐに見遣った。
「…ごめんなさい。嘘をついてたの。事情があって」
「事情?」
今、本当のことを言っても良いかな。
睡蓮はヴァレリーを見つめ返しながらどうするべきか躊躇した。
やがて、ヴァレリーが小さくため息をついて口を開いた。
「…先に俺の話をしよう」
ヴァレリーが着ていたシャツのボタンを一つ外して胸元を睡蓮に見せた。
竜から人の姿に戻った時にも見た、首から胸にかけてひきつれた古傷の痕。
「竜珠は竜騎士の心の一部と呼ばれ、婚約者の女性に贈るのが習わしになっている。一般的に流通している竜珠は全て、宝石店で刻印されて購入される既製品だ」
ヴァレリーは自分の喉元の傷に手をやり、言葉を続けた。
「だけど睡蓮の持っているその竜珠は違う。俺が竜になった時にここから取り出したものなんだよ」
喉の奥に何かが詰まったような気がした。ヴァレリーは疑っている。
愛する人に渡したものを、どこでどうやって手に入れたのかを知りたがっている。
言葉を発しようとしても、声をどうやって出したらいいのかわからなくなりそうだった。
「竜珠を持っている人間は、思いのままに竜を使うことが出来る。俺はその命令に背けない。竜珠を持つ者の言葉は絶対なんだ。だから王は睡蓮を国外へ逃がさないように縛りつけた。他国に流れてこの国への脅威とならないように」
お祭りの時に老婆が言った言葉が不意に浮かんだ。
天の翼を地に縫いつける者。
それは自由であるはずのヴァルを、竜珠で意のままに操れるということだったんだ。
老婆の真意がわかり、睡蓮は胸がいっぱいになる。
「睡蓮の持っている竜珠は、誰からもらったもの?」
表情のない、無機質な銀色の瞳が睡蓮の返事を待っていた。
睡蓮は震える手でお茶の入ったカップを持ち直し、ぐいっと飲み干した。
「…これは母の形見だよ。遺品の中にあったの。私の16歳の時のお誕生日プレゼントにする予定だったって手紙が残ってた」
「母上は病に倒れたのか? それとも不慮の事故?」
少し、ヴァレリーの口調に感情が戻ってきたような気がした。少し気遣うような優しい口調になる。それだけで睡蓮は泣きそうになっていた。
「治らない病気だったんだ。でもこのペンダントを持ってると、いつもお母さんと一緒にいるような気がして落ち着くの」
もう、13年も前のことなのに、こうやって言葉に出す時には声が震える。母親の話をする時、いつも脳裏に浮かぶのは最後に言葉を交わした時の風景だ。
まさかそれが最後になるとは思わないから、たわいもない夢物語を語った日。
次の日には昏睡状態になり、二度と目覚めなかった母。
ベッドサイドに腰かけたまま俯いていると、ヴァレリーが睡蓮の前に跪いた。
「睡蓮」
少し顔を上げると、苦しそうな顔でこちらを見ているヴァレリーの顔があった。
「ごめん。俺はいつも睡蓮に言いにくいことを言わせてるな」
睡蓮は無言のまま首を横に振った。
「君の母上とイリーナは知り合いで、イリーナが竜珠を渡したということになるのか?」
「…わからない」
「だろうな」
ヴァレリーが唸りながら前髪をかきあげた。左の眉の傷が露わになり、睡蓮はそれをじっと見つめた。
「今から話すこと、信じてくれなくてもいいけど、聞いてくれる?」
睡蓮は、ヴァレリーに本当のことを告げようと決意した。




