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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 睡蓮が帰ってからずいぶんと時間が経ったような気がする。

 雲一つない空の、月明かりだけが教会の礼拝堂を照らしていた。

 ヴァレリーは人の姿に戻り、礼拝堂の奥の部屋で湯あみを終えた後、王からの手紙に目を通していた。


 手紙には頃合いを見計らって騎士団長を退任し、国王陛下になるための儀式を行うと書かれてあった。

 国王になると同時に、結婚の儀も行う予定だとも記されている。

 相手はもちろん睡蓮だった。



 思えば、今日は睡蓮と出会ってから一番長く一緒にいた日だった。

 今日のやり取りを思い返して、ふ、と笑みを浮かべる。


 本当は睡蓮が教会の中へ入ってきても無視を決めこみ、考え事をする振りをしてやり過ごそうと思っていた。

 前日の別れ際、竜に変化する途中の顔を見られたのだ。あんな風に顔が変化していくのを見て、彼女はどう思っただろうか。

 それに、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。


 彼女が扉を開けて入ってきた。

 しばらく無視していれば荷物を置いてすぐに帰るだろうと踏んでいたが、彼女は自分の名前を叫んだあと、顔をバシバシと叩き始めた。

 人の小さな手で叩かれても痛くも痒くもないが、叩いている側は相当痛いんじゃないかと薄く目を開ける。

 泣きそうな顔で叩いているのを見て何をやってるのかと問うと、本気で自分の体調を心配してくれていたようだった。

 驚いたのは、言葉が通じたことだった。おそらく竜の姿になった影響だと思われる。人の姿に戻ればまた言葉が通じなくなるのだろう。未だにどうして彼女の言葉だけが通じないのかよくわからない。

 この姿をあまり見られたくないから早く帰ってほしいという気持ちと、せっかく言葉が通じるのだからいろいろ話をしてみたいという気持ちがないまぜになり、どう表現していいのかわからない感情に、思わず尾を勢いよく振ってしまった。

 近くにあった長椅子がいくつか軽く吹き飛び、大きな音を立てて壊れたが、睡蓮はあまり気にしていない様子だった。


 持ってきた荷物の説明を終えると、睡蓮はすることもなくなったようで帰るそぶりを見せた。

 それで思わず、もう帰るのかと声をかけてしまった。

 これではまるで帰ってほしくないと我がままを言っているようなものだったが、睡蓮はもう少しここにいると言ってくれた。


 彼女がベッドの端に腰かけた時、微かに瞼が腫れていることに気づいた。よく目を凝らして見ると泣き腫らした顔に見える。昨夜感じた強い悲しみに関係することに違いない。

 ひょっとするとこんな化け物の婚約者の振りをすることに、泣いてしまうほど嫌気がさしてしまったのかもしれない。

 案の定、彼女は頼み事の話を持ち出した。断ってくれて構わないと思っていたら、あろうことか受けることにしたと言う。


 そして、彼女はいくつか条件を出した。

 終わりのない契約はしたくないようだった。

 最後に触らないでほしいという条件を出された時、自分を拒絶されたように感じたがそれは杞憂で、彼女の過去に関係のあることだった。

 言いにくいことを言わせてしまった後悔の念が湧き上がる。

 それで、つい、あんな誓いを立ててしまった。


 竜の逆鱗に触れられるのは、竜珠を持つ者のみ。

 竜珠を持つからと言って、触れられて全く平気であるわけではない。

 睡蓮がそっと触れた時に、全身に電気が走り、思わず身震いをしたほどだ。

 竜珠を持つ者でなかったら、即座に噛みついて息の根を止めていただろう。



 昼食を取った後は文字の書き取りの練習をした。

 一つ一つの文字の仕組みと由来を教えると、それを手掛かりにどんどん知識を吸収していった。

 元々、語学の才能があるのだろう。覚えが早い。


 あっという間に日が暮れ、別れの時間になった。

 婚約者の件の話はついたから、明日も来てくれるという確証はなかった。

 一人でずっとここにいるのは気が滅入るから毎日来てほしいなんて言えるはずもなく、ただ、今度はいつ来てもらえるのかと恐る恐る聞いてみた。

 すると彼女は明日も昼食を持ってきてくれると言い、扉の向こうへと去っていった。


 扉が閉まり、何の音も聞こえなくなると、自分の体が縮まっていく感覚がやってきた。

 徐々に鱗が消え、人の姿に戻っていく。

 すっかり元の姿に戻ると、心の中が平穏な感情で満たされていることに気づく。


「…睡蓮。君が竜珠の持ち主だったら良かったのにな」


 あえて言葉に出して言ってみる。

 睡蓮と一緒にいると、いつも子守唄を聞いているような穏やかな気持ちになれる。


 睡蓮は契約が終われば自分の元を去る予定だ。契約期間を設け、既に自分の次の人生のことを考えている。

 イリーナのような愛情を向けることはないだろうが、友情もしくは家族へ向ける情ぐらいは持てそうな気もする。


「ずいぶんと気が穏やかだな。やはり竜珠をもつ者の影響が大きいか。ヴァル」


 小さな扉の入口に、いつの間にか一人の初老の男が立っていた。


「…国王陛下」


 ヴァレリーはその場に膝をつく。


「ここでは堅苦しい挨拶は抜きだ。立ちなさい」


 王に促されてゆっくりと立ち上がる。


「ここを出られるようになったら、次期国王へ向けて準備を行う予定だ。レンはクレールの家に養子縁組をして貴族になる。次期国王陛下の正妃がどこの馬の骨ともわからない女では困る。それと並行して、水面下ではイリーナの捜索を始める。もうすでに少しずつ始めてはいるがね」


 どくん、とヴァレリーの心臓がはねた。


「…イリーナの捜索…ですか」

「なんだ? 嬉しくないのか。お前の竜珠を渡した女性だぞ?」

「いえ、見つかればそれに越したことはありません」

「ふん、あまりレンに心を持っていかれるなよ? あの女はしたたかな女だ。明らかに嘘をついている。イリーナは13年前に亡くなったと言っていた。13年前だ。おまけに妙な気配をまとっている。ジプシーの魔女が関係しているかもしれない。竜珠をどこで手に入れたものかはわからないが、契約したからにはうまく利用しなくてはな」


 これから毎日教会に来させるように言っておいたから、明日以降も彼女は毎日やってくるだろう。お前は竜珠の力で人型を安定させることに尽力しろ。

 お前の恵まれた容姿であの女を虜にして、せいぜい仲の良いふりをしておくんだな。


 王はそれだけを言い捨て、去っていった。


 今日、睡蓮がここへ来たのは王の言いつけでやってきただけ。

 明日も来ると言ったのは契約のうち。


 ―――私はこのお話をビジネスとして捉えているの。


 彼女は確かにそう言ったじゃないか。


 ヴァレリーの顔から表情が消えた。これ以上考えることをやめ、長いこと床を見つめ続けるしかなかった。



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